含んだお茶の濃さに彼の気配りを感じて頬が緩む。
こころなしか、お互い、皿の上が綺麗になるペースも常より速いようだった。
もっともこれは、話に夢中になって時間の感覚があやふやになっていたからかもしれないけれど。
イイんじゃねェの、という彼の言葉に嬉しそうに身を縮めて頬を押さえる。

「うふふ、エンバーさんにそう言っていただけると、自信が持てるわ〜
あのね、ほら、絵本やそれ以外でも…　お話の中には、おいしそうなものがたくさん出てくるでしょう〜？
それをね、食べてみたいなあっていろいろ作ってみているうちにね、
お菓子を作るのが好きになったの〜」

野ねずみの双子が大きな卵で作るかすてら。
木の周りをぐるぐる回りすぎた虎からできたバターを使って焼いたホットケーキ。
箪笥の向こうの世界で、魔女が主人公を誘惑するのに使ったロクム。
悲しい思い出から隠されてしまった庭を見つけた女の子が、お腹いっぱい食べたライスプディング。
幼いころにわくわくした、食べてみたいと焦がれたお菓子を挙げていく。
そして、ふと。悪戯っぽくくすくす笑った。

「そうそう、バタつきパンのちょうちょも美味しそうだったわ〜
食べちゃうのはかわいそうだなって思ったけれど、
でもちっちゃいころはとっても、食べてみたかったのよね〜」

言いながら、もう一度バクラヴァを取り分ける。
自分にひとつ。彼にもひとつ。少し、迷うふりしてみせてからもうひとつ。
お茶はまだたっぷりある。少し考えて、自分の皿にももうひとつ。
どうする？　と問うように彼の顔を一度見る。
笑みに肩先が揺れたあと、少し思案するような間があった。

物語から抜け出して自由を得る——かつての彼の望みは、
夢といっても差し支えのないものであったかもしれない。
それを叶え、長い期間謳歌してきた彼は、ある意味夢を叶えた人であったのだろうと。
だが、その思いは彼自身によって否定される。

「あら！　ご本〜？　いろんな世界のおいしいものをご紹介する…？
素敵、素敵〜！
そんなご本があったら、わたし、絶対真似して作っちゃうわ〜！
別の世界で、自分では行けないかも知れないけれど……って、
あら、そんなことないわね〜、どこでも……」

言いかけたその時。急に小さな風が吹く。ふわりと漂う甘い香りは、バクラヴァではなく、花の香り。
小さなシルフが、そこにいた。

「マリク！」

名を呼ぶ。花の帽子をかぶったその姿は、よく知っていた。
アンキッツァ先生と契約しているシルフだ。
今の帽子は白の釣鐘草。先生の庭はもうこんな花が咲く季節なのかと、
ついこの前会ったばかりなのに懐かしさに胸がふさがれるような気がする。
飛び出してきたエユプとひとしきり舞い合ってから、マリクは抱えていた羽根を差し出した。
見慣れた白。きっと、先生の羽根だ。

「マリク……」

受け取ると、羽根からはぶわっと花の香りのする風が巻き上がり、髪とケープを舞い上がらせた。
思わず閉じてしまった目を開けると、羽根はいつの間にやら手紙へと変わっている。

「！」

助けを求めるように、咄嗟に彼の顔を見てしまって。
けれどすぐに、唇を噛んで手の中の封筒たちに視線を戻す。
封を切ると、便箋のほかに小さな紙包みがひとつと、古びた白い羽根が顔を覗かせた。
まずは便箋の方を開き、目を通す。
みるみるうちに目が丸くなり、ぼろぼろ、ぼろぼろ、涙が溢れてこぼれだす。

「……っ、ぅ、〜…っ!!」

ついにはこらえきれなくなって、取り落としてしまう手紙。
顔を覆ったその手の隙間、大粒の涙がいくつも落ちる。
はらはらと落ちる便箋と、ふわりと軽くその上に重なる羽根。
落ちた紙包みが解け、中身がテーブルの上に小さくこぼれる。
ふわふわの綿毛のついたそれは、たんぽぽの種だった。

テーブルの上、涙のしずくに縫いとめられて開かれたままの手紙には、たおやかなアンキッツァの筆跡が並んでいる。
村人たちが無事旅立っていったこと。
出立に間に合い、完成した依頼の品を両親に渡したこと。
両親や他の村人たちの希望通り、余分をこちらに送ってくれること。
落ち着いた場所でこのたんぽぽを植えれば、やがて育まれた種が世界を渡り、
同じくアンキッツァの手で作られたこの魔法のたんぽぽの片割れの、
種のある場所、花の咲く場所まで届くこと。
両親は、新しい場所に落ち着いたら必ず植えると約束してくれたこと。
綿毛に手紙を結べば、一緒に運んでくれることなどが、丁寧に書かれている。
そして最後に、

——長老から、あなたへと預かりものをしたので同封するわね。
ふふ、あんなにお年で羽根が抜けているのを気にしておいでだったのに、
一生懸命一番綺麗な羽根を選んでらしたわよ！

からり、ころり。
もらった飴をころころと口の中で転がしている。
何かと腹に溜まる固形物を口にしたがる身ではあれど、
疲れも癒えそうなほんのりとした甘さに、思わず鼻歌も漏れていた。

　「当ててみせるから！」と意気込む様子に、何の花かは言わないでおいて。
　花の名前が挙げられて、答えを待つ表情を向けられる。

　食事について聞けば、目を瞬かせる。

　食べられないものと聞いて、躊躇いがちに口を開く。

歌うように呟いて、羽根ペンを持った右手を伸べる。
羽根ペンに宿った光のひとつが飛び出して、くるくると回り始めた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。
回るたび、辺りの温度が下がっていく。
吐く息が白くなる。ちらちらと、白いものが落ちてくる。
星まで凍らせるような冷たい風が、サッと下から上へと吹き上げた。
目を開けると、いつから立っていたのだろう。
そこには、白い肌、赤い反物を携えた女がいた。

足を止める。