「ごめんなさいね、エンバーさん。急なお話になっちゃって〜」

調理場で食事を終え、人心地ついてから。
食後のお茶のカップを両手で包み、手のひらを暖めながら詫びの言葉を口にする。
とはいえ、あまり恐縮している風もないのは、先ほど相談した際に彼が「一度帰郷したい」という己の相談に、あっさりと頷いてくれたからだろう。
食事を終えた皿が、テーブルに並んでいる。
サラダはジャガイモとビーツを使って赤い色。
ビーフシチューもワインをたっぷり使ってこっくりした赤。
彼にもらった赤い果実はゼリーにした。
グロゼイユのゼリーはもちろん赤い。
故郷までの道中のお弁当にと仕込んだうなぎのマトロットも、ワインを使っているから、テーブルの上は赤いものだらけになってしまった。

「うふふ、寒い季節だから、あったかそうな色がおいしそうに見えるのかしらね〜」

言いながら、残りものとマトロットを容器に詰めていく。
見つけたバゲットも、丁寧に包んでかばんに入れた。

「ね、エンバーさん？
やっぱりトート村の辺りはもう寒くなってるかしらね〜。
あっちは風が強いですもの、あれで暖かさが吹き飛んじゃうのよね〜。
ね、エユプ一昨年はどうだったかしらね〜」

あったかくしたほうがいいわよね、なんて彼にだかエンブリオにだか言いながら、荷物を整理していれば。
ふと、赤い布地が指先に触れた。

「…あっ　うふふ、そうよ〜　これがあったじゃない〜」

去年、クロマ・セロシアでお小遣いをはたいて買った服。
上等の、赤いコート。
調理場の窓から見える外の景色はもうすっかり冬。
今がまさに、着るべき時といえるだろう。

やっぱり自分は、世界一幸運なあひるだ——
そんな思いを強くして、おしりをぴこぴこ振りながら、いそいそと袖を通す。

「……あらっ　わたしも、赤くなっちゃった〜
うふふ、おいしそうにみえちゃうかしら〜？」

城から一歩外へと出れば、冷たい風が吹き寄せてくる。
寒さにたちまち頬を赤く染めながらも、てちん、と一歩を踏み出した。

「さあ、帰りましょう〜　帰るころには新年で、村できっとたくさんご馳走が食べられるわ〜」

もじもじ。

差し出したのは、ネックウォーマー。
落ち着いた色合いは、彼の指輪に宿るエンブリオ、チャコールブラックと同じ色。
裾に、さりげなく彼の眼鏡と同じ色の幾何学模様が編み込まれている。

遅れて渡した袋には、パイ皮の上に薄くスライスしたりんごを並べてくるくる丸めた、バラの形のアップルパイ。
ひとつ手を伸ばしてつまみ上げ、己の髪に飾るまねをしておどけてみせた。

くつくつと喉を鳴らして笑い、
背中をぽんと叩かれて、瞬き交じりに背筋を伸ばす。
彼女の言葉を噛み締めるよう、そうだなあ、と。

取ってからな、と、その途切れた言葉の先は紡がれなかった。
“絶対行っちゃう”と言った限り、彼女はきっと絶対来てくれるだろう。
それならば、わざわざダメになりそうな方に話を振る必要はあるまい。
後で——戻って来た時に、ゴメンなさい、とすれば大丈夫だろう。

殴られるかもしれないが。
いや、水に落とされるかもしれない。
或いは袋叩きにされるかもしれない。
誘拐犯として、手配でもされるだろうか。
まァ、なんでもいい。

一瞬にして巡ったそんな考えを、おかしげに自ら笑い飛ばし。

彼女との、或いはエンブリオとの。
忘れてしまった約束も、きちんと果たしたいと。

そう半ば独り言めいて呟いてから、かくりと首を傾ぎ。
怪物を説得してみせるという彼女の力強い言葉に、
じゃァよろしく、と口端を持ち上げ楽しそうに笑ってみせた。

一瞬だけ思わず真顔になった。
相も変わらずのピクニック気分ではあったが、
それも、魔王パラダイスの居城が見えれば口数も減る。

彼女の嘆きは、メルンテーゼの嘆きだ。
この戦いが続く限りネクターもエンブリオも奪われたままで、
人の居なくなった畑が、新しい果実や野菜を実らせる事もない。

いずれ、王城にもその影響は出るだろう。
それでもなおネクターを奪い続ける王の意図を知る日は、…

事もあろうに、女性の年齢を上に見た男である。
何処か満足そうにも思える、悪戯めいた表情の彼女に頭を下げ。
じゃあ酒を飲むのはもう少し先だな、と、肩を竦めて笑った。

歌うように呟いて、羽根ペンを持った右手を伸べる。
羽根ペンに宿った光のひとつが飛び出して、くるくると回り始めた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。
回るたび、辺りの温度が下がっていく。
吐く息が白くなる。ちらちらと、白いものが落ちてくる。
星まで凍らせるような冷たい風が、サッと下から上へと吹き上げた。
目を開けると、いつから立っていたのだろう。
そこには、白い肌、赤い反物を携えた女がいた。

こねこねこねこね…

氷の上でも砂の上でも滑らず足を痛めず、そんなふこふこスリッパだ。
あたたかい。