「ヤドランカのやつが出て行ってから、どんぐらい経ったかのう」
「だいぶ経ったぞ、羽根なし連れていっぺんもんて来たんが今ぐらいの時期じゃなかったかいのう」
「まだ王に会うとる風はないんけ」
「あいつのことじゃ、うまそげなもんでも見つけて寄り道しよるんじゃないんけ」
「のう、長老、やはりわしが……」
「かまんのよ」

寄り合い所に満ちる、喧々諤々とした空気の手綱を引き締めたのは、やはり長老の声だった。
もう羽根も剥げかけたおしりを揺らして、長老はほっほと笑う。

「そんなに甘やかしちゃるなや、よい。
あいつもこの村で初めての魔女なんじゃ、同い年の小娘よりは役に立とわい。
それにほれ、連れ戻してどうするんぞな？
また１から一揆のやり直しけ？
下手に王の手勢に目ぇ付けられとうみや、襲うてこられたら、どうなるで？」

「…………」

水を打ったように、集会所が静まり返った。

「また、巣を捨てて逃げないかんのかいのう…」
「それはかわなんなあ……」

空気は、通夜のように沈んでしまった。
表の子供たちは、老人たちのそんな空気も、その理由も知らぬげににぎやかに駆け回っている。
その重い沈黙を、長老の声が破った。

「ほじゃろげ。せやしそがいに逸らんと、もうちいとヤドランカに任しとうきや。
……ほれ、あの羽根なしのお人もついとるで、心配はせんでよかろ」
「しかしじい様……！」
「かまんかまん。の？」

彼の何かを察しているのか、長老はいたって気楽な調子であったのだが。

「ほいでもの、ヤドランカの奴は口が軽いぞな。
おまけに知りたがりじゃ、よそとうちとの違いを面白がって、ぺらぺら喋っとるかもしれん」
「ほうじゃほうじゃ、気楽にあの羽根なし連れて来たんもほうじゃ！」
「長老、いくらあいつがややでなんも知らんちゃいうても、こいだけ長なるなら、ちいと気にした方がええんじゃなかろかのう」

集会所の灯りは、ひそひそ、ひそひそと、遅くまで消えることがなかった。

考え込んでいた彼女が突然自らの頬を張って、思わず双眸を丸くする。
大丈夫かと問うよりも早く声を掛けられ、ピタリと動きが止まり。

有難うと礼を述べられれば、どう致しまして、と喉を鳴らして小さく笑う。
てきぱきと形になって行く足を守る布を眺めながら、アヒル用の靴に思いを馳せ。
彼女は本当に裁縫が得意なのだと———己の服やマントに飾られた諸々に、口端を綻ばせた。

そこで一度沈黙を挟むと、ぐう、と腹が鳴って思わず虚を突かれた顔をする。
相手のが鳴るならともかく、自らのが鳴ってしまうと妙に気恥しい。
誤魔化すようにわざとらしく咳き込み、相手の方へと歩を刻み手を伸ばして。

葛藤の末に彼女が手を伸ばしてくれれば、その手を掴み。
取りあえずは大きなお尻に不用意に触れぬよう気を払って、その身体を姫抱きに——
しようとして、口ずさまれたメロディに思案げな表情を浮かべる。

もうずっと昔に聴いた覚えのある童謡を思い出して、メロディこそなくとも歌詞を紡ぐ。
人とは抱き心地も何も違うと気付けば、暫し、彼女を持ち上げるのに試行錯誤を重ねつつ。
やがて無事に抱き上げられれば、揺れるぞ、と断りを入れて廊下を駆け出した。

あちこちで起きている戦に兵は駆り出されているようだ。
何なく、彼女と共に来た道を戻って行ったに違いない。時折、その童謡を口ずさんで。

改めて相手の羽根と足下を見るが、暫くしてはっと気づき目線を顔に戻す

じめっとした空気に、ゆるりと首を振って。

男の指に嵌る指輪から、不穏な気配が漂い始める。

鞄から飛び出してきたエンブリオが、くるくると回る。
回る。
回る。
２人の周りをひと回りするたび、翠の風のように透き通ったその姿が、少しずつ伸びてくる。
まるで影のように、長く、長く。
風が吹き上がる。
髪を揺らす。
ケープが巻き上がる。
たまご色の羽毛があたりに散った。
２人に並ぶように、いつの間にか並ぶ影があった。