—ウルドの物語—

　Replay.01
　何処かの裏路地を、あてもなく私は彷徨っていた。
　未だに残る身体の痛みをこらえて、朦朧とした記憶の糸をたぐり寄せる。
　レイヤ先生達と灘さんの魂を追跡して辿りついた場所は、魔王の待つ大きな樹の下だった。
　力を取り戻した魔王の前に、私達の力は無力だった。
　力尽きるレイヤ先生を救うことができなかった。倒れるサクラにも手を差し伸べることができなかった。
　そして何よりも、私の全力でも魔王には傷一つ付けることができなかった。
　不意に受けた衝撃に吹き飛ばされ、意識を失った私が目を醒ましたのはすべてが終わってからの事だった。
　倒れたまま、息をしていないレイヤ先生。冷たくなって動かなくなったサクラ。
　現実を受け止めきれなかった私は、錯乱したまま転移術を唱えていた。　
　そう。
　あの場所から逃げ出して、私だけ生き延びてしまった。
　魔王と出会った場所はレイヤ先生しか知らない。あの場所がどこなのかすら、私には分からない。
　あれは夢だったと片付けようとしても、身体に残る痛みや冷たくなったサクラに触れた感覚が、否が応でも現実を突きつけてきた。
　なぜ、逃げ出してしまったのだろう。
　咄嗟にとった軽率な行いを思い返すたびに、止め処なく涙が溢れた。
　どれぐらいこの裏路地を歩いていたのだろう。
　ふと、目に止まったアンティーク調の鏡に誘われるように、私は魔術商会という看板のかかる店の中に入っていた。

　「その鏡に興味がおありですか？」
　
　店員と思われる紫の髪と目の色の女性は、私の憔悴しきった顔を興味深そうに覗きこんでいた。
　
　「この鏡は、思い描く場所へ何処にでも行くことができる魔法の転移鏡なんですよ。」
　「思い描く場所……何処へでも？例えば、既に起きてしまった事もやり直しに行けるの？」

　私の質問に、紫の目の女性は目を細めて微笑んだ。

　「ええ。あなたがそう望むなら。相応の対価は、支払っていただきますが。ああ、申し遅れましたが、私はノウァと申します。」
　「私の名前はウルド。対価って、何を払えばいいの？悪いけど、そんなにお金は持ってないよ。」

　ノウァは私の言葉に頷くと、甘い声で囁いた。

　「お金はいりません。ウルド様。あなたの運を、少しだけ分けてくだされば結構です。」


　Replay.02
　魔王との戦いに備え、できるだけの準備はした。
　レイヤ先生に頼み込んで魔法を学んだり、サクラと一緒に修行を行って以前の私より遥かに強くなった。
　それでも、結果は変わらなかった。
　もっと強くならなければ、過去を変えることは出来無い。
　私は再び、鏡のあるあの店へと足を踏み入れた。

　

　Replay.03
　何かがおかしい。何かがずれ始めている。
　私が魔王の脅威についてサクラ達に話し、それを信じてもらえたのに事態は好転しなかった。
　灘さんの魂が奪われる日が予定より早く、結局準備も儘ならぬまま魔王に挑み、そして敗れた。
　何がいけなかったのか？どうすれば、魔王を倒すことができるのか？
　漠然とした答えしか思い浮かばないまま、私はまた鏡を使って過去へと遡った。
　

　
　
　Replay.10
　「……ねぇ、サクラ。灘さんの事は諦めよう。これ以上この件に関わるのは止そう。」
　
　驚いた顔で私をじっと見詰めたサクラは、俯いて首を横に振った。
　
　「そんな事、できないよ。灘さんの身体は半日しか持たないんだよ。放っておいたら、本当に死んじゃう。」
　　
　サクラの言葉にレイヤ先生も頷き、私を睨んだ。

　「アホ毛がそんな事を言うとは、思ってもみなかった。だが、無駄だ。道産子がそれで納得すると思ったのか？魔力の気配は掴めている。行くのが怖いなら、お前だけ残ればいい。」
　
　そう言い残して、私を置いて旅立ったレイヤ先生達は、結局帰ってこなかった。
　





　Replay.20
　駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。
　駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。
　
　失敗の原因は紫の髪と目の女、ノウァだ。
　この悪魔が私が不幸になるように運命を操ってるに違いない。
　私は魔術商会に乗り込むと、すべての憎しみを込めてノウァをナイフで滅多刺しにした。
　事切れるノウァを確認して、青い血に塗れたナイフを投げ捨てると、私はまた鏡に入って過去へと遡った。






　Replay.30
　私は、何度過去を遡ったのだろう。
　何度も繰り返す記憶が、今いる世界の現実味すら失わせて、ずっと悪い夢の中にいるようだった。
　少しでも未来を変えようと、より深い過去へと遡ってゆくうちに、王立錬金術アカデミーでサクラに出会う前にまで来てしまった。
　この世界では初めて会う事になるサクラに、私は切なさを隠しきれずに目を潤ませてしまっていた。
　「……ごめんなさい。私ではあなたを救うことができないかもしれない。」

　サクラが心配そうに見つめると、ハンカチを取り出して涙ぐむ私に手渡した。

　「大丈夫ですか、おばさま。何か、悲しいことでもありましたか？」
　「ええ、大切な友達を失ってしまったの。何が間違っているのか、気がつくのが遅すぎた所為ね。」
　
　ハンカチを受け取り、私がサクラの手を強く握ると、サクラは戸惑うような様子ではにかんだ。







　Replay.40
　幾度も目にする光景。
　あの角を曲がった先に、魔術商会と書かれた看板の建物がある。
　私は、店に入ると迷うこと無くアンティーク調の鏡の前に立った。

「その鏡に興味がおありですか？」

　声の主は、振り返らなくても私には分かっている。
　紫の髪に紫の目の女性、魔術商会の店長ノウァの艶やかな声。
　
「ええ、異送鏡に。鏡に映った者の、思い描く場所へ行くことができる転送の門に用事があるの。」

　振り返らずに答える私。

「あの……あなたは何処でこの鏡の事を知ったのですか？」

「ふふ、全く同じ応えね。そして私はこう答えるわ……此処であなたに教えてもらったのよ。」

　振り返った私は、不思議そうに見つめているノウァの方へと歩み寄った。

「え？どこかでお会いしましたでしょうか？私にはちょっと覚えがないのですけど。」

「ええ、そうでしょうね。此処とは違う世界の同じ時間と同じ場所で、ノウァに教えてもらったのだから。」

　私の言葉に、やっと意味を察したノウァは、改めて興味深そうに私を見つめ始めた。

「つまり、あなたは……異送鏡で時を遡った事があるのですか？」

　ノウァの質問に、私は少し怒気を孕んだ目で睨めつけたが、すぐにため息を吐くと、苦笑いをした。

「もうこのやり取りは何度目でしょうね。怒りに任せてここでノウァを刺した事もあったわ。今はもうその気力も若さも無くなってしまったけど。」
「あの、一方的な話ばかりで内容は深く察せませんが、何かを変えようとして失敗したという事でしょうか？でも、それなら諦めて他の手段を考えるとか……」

　ノウァの言葉に、また私は首を横に振ってため息を吐いた。

「何をしても何かを変えたつもりでも、結果は何も変わらなかった。張り詰めた糸を爪弾いても、ただ目先の物事が振れて変わったように見えるだけで、同じ結果へと辿り着く。それに気づくのに私は遅すぎたのね。同い年だった親友も、最後には私が誰なのか気づいてもくれなくなったわ。」

　私は、今までの思い出を噛み締めるように目を細めた。

「もっと遡れば或いは……でも、駄目ね。きっと災厄の火種は遥か昔にあるのよ。でも、私は時の海に地図もコンパスも持たずに旅立ってしまった。助けたい親友も助けられずに、またこの場所に独りでやってきた。そして、結局異送鏡を使うの。今までしてきたことが無駄じゃないって自分に言い聞かせるために。」

　肩を落とす私を、ノウァが宥めるように背中を優しくさすった。
　如何に過去に遡ろうとも、それは目先の変化でしか無く、張り詰めた糸の端のように、人が足掻いて爪弾いとところで同じ結果へと収束する。
　禍根を断つほどの過去へと遡り、魔王を生まれる前に消してしまえば今の悲劇は防げるかもしれないが、その未来が今に繋がる保証も何処にもないのだ。

「あなたが親友を助けたいって思った気持ちだけは嘘ではないから、また旅立たれるのですのね。」
「ええ、そうね。ありがとう。私も今頃になって、地図とコンパスの代わりになる術を見つけることが出来たわ。私には出来なくても、残りの時間で未来を変える特異点を見つけることはできるかもしれない。」

　私は微笑んでノウァから離れると、確りとした足取りで鏡の前に立った。

「対価は、いらないのよね。もう貰っているって言うんでしょう？」
「ふふ、やりにくいですね。ええ、どうか良い旅路を。」

　ノウァは目を細めた後、私にお辞儀をした。

「旅立つ前に、せめてお名前を教えて下さいますか。次にあなたが会う私は覚えては居ないとは思いますが。」

　ノウァの言葉に、私は苦笑いしつつも頷いた。

「私の名前はウルド。ノウァ、私はもうあなたを恨んだりはしていないわ。自分の運命を切り開く手段と、親友を助ける機会を貰ったのだから。」
　
　過去へ遡っても、老いた私は元の私には戻れない。
　だが、私の経験や知識は託すことができる。
　　　
　そう、ウルドはもう私ではない。
　サクラと出会う前のウルドを、新たに見つけ出して私の希望を委ねよう。
　私の名前はスクルド。未来を識るものにして、世界の輪から外れしもの。
　私は新たな決意を胸に、ゆっくりと鏡の中へ入っていった。
　

　
　Replay.???
　
　「うん？んんっ？なんかこう、デジャヴ的な！？」

　サクラ達のいる場所へ向かっていた私は、急に既視感に襲われた。
　特に明確なビジョンがあった訳ではないが、この風景が何となく懐かしいような感覚になった。

　「どうしたの深雪。何か電波届いた？」

　鞄の中から顔を出したうさぎの縫い包みのFPは、小賢しく首を傾げた。　

　「いや、なんかちょっとデジャヴ感じただけ。ってか、深雪って呼ぶなって前から言ってるでしょ！私はウルド、ウルドだっつーの！」
　「別に他に聞いてる人いないし、深雪でも同じじゃない？深雪がそう言うならウルドって呼んでおくけど。」
　
　大人しく鞄の中に潜ったFPを仕舞いこむと、気合を入れて森の中を走り抜けた。