ノウァを振りきったうさぎ先生と深雪は、オリフィアの待つ樹の下を目指して走り続けていた。（主にうさぎ先生が）
　
　「うさぎ先生！もっと早く！ハリーハリー！」

　背中で手綱を引くように着ぐるみを引っ張る深雪に、ようやくうさぎ先生が気がついた。

　「深雪か。いつの間に、俺の背に乗ってたんだ。」

　「えへへ。ノウァが急に姿を消したから、どうせ部屋に戻ってるんじゃないかなって鏡の裏で待ち伏せしてたんだー。ノウァが鏡に入る瞬間に、うさぎ先生に飛び乗ったの気づかなかったよね。」

　舌を出してはにかむ深雪に、うさぎ先生は特にリアクションをせず只管走り続けた。

　「言っておくが、俺は戦場に着いたとしても深雪の味方をする訳ではないぞ。それが嫌ならここで降りろ……とは言っても無駄だな。」

　深雪の返事を待たずにうさぎ先生は頷くと、駆けながら深雪をしっかりと背負いなおした。
　暫く走り続けていると目の前の空間が、黒い霧のようなものに包まれて、うさぎ先生は足を止めた。

　「ふっ。異送鏡の魔力はまだまだ余裕があるの。あの程度で私を謀ったと思ったら、大間違いよ！」

　少し息切れ気味で鏡から現れたノウァは、深雪達の前に立ちふさがった。

　「あ、うん。あれであのまま逃げ切ったら、私も後味悪かったし。でも、邪魔してダメだよノウァ。オリフィアさんの所には、サクラ達も居るんでしょ？私だけ蚊帳の外って訳にもいかないよ。」

　立ち止まったうさぎ先生から飛び降りると、深雪はノウァの前に立って黒いうさぎの縫い包みを盾にした。

　「さぁ、ノウァ！ぜんぶ受け止めてあげるから、全力で来なよ！」
　「受け止めるのは、多分ぜんぶ僕だよね。」

　黒いうさぎの縫い包み、FPは悟りきったような声で小さく呟いた。

　「深雪……私に一つだけ後悔があるとしたら、情に絆されてテーセウスさんから頂いた大切なうさぎの縫い包みを、あんたにあげたことだったわ。」

　額に手をあてながら小刻みに震えるノウァに、ただ突っ立っていたうさぎ先生がようやく口を開いた。

　「ノウァ。援護は必要か？」

　深雪の顔をチラリと見た後、ノウァの方に向き直るとノウァは左手をヒラヒラと横に振った。

　「深雪は私が此処で食い止める。後で追いつくから、先にオリフィアの所へ行ってて。」

　「承知した。ノウァ……死ぬなよ。」

　
　ノウァとすれ違いざまに肩を叩くと、うさぎ先生はそのまま走り去っていった。

　「え、何。この私が悪い方みたいな流れ？つうか、ノウァの事殺すとか考えたこともないからマジで。」

　「ふぅん、その程度の覚悟で私に挑むつもりだったの？言っておくけど、私は殺すつもりで行かせてもらうわ。」

　ノウァが片手を掲げると、黒い霧のようなものが手元に集まって首狩り鎌の形状となった。

　「大変だ、深雪。あんなの食らったら、僕と深雪ごと真っ二つだ。」

　感情の篭っていない声で棒読みするFPを仕方なく鞄に押し込んで仕舞うと、深雪も手元に黒い霧を集めて大きな盾を作った。

　「さて問題です。ノウァと同じ能力で作ったこの盾を、ノウァの鎌で真っ二つにできるでしょーか
？」

　ドヤ顔の深雪に、歯ぎしりするノウァ。

　「ぐぬぬ……同じ力では千日手と言うわけね。深雪にしてはよく考えたものね。」

　黒い霧の鎌を霧散させた後、ノウァは深雪の前に向き直った。

　「でも、無駄よ。私にはオルタンシアの記憶から呼び起こした数々の秘術が……」　

　と、話しているうちに気が付くと、目の前に深雪の姿がなかった。
　慌てて周りを見回そうとするノウァの腹部辺りに、ずしりと重い衝撃が走った。
　
　「ぐふっ！」

　低姿勢のタックルを鳩尾に食らったノウァは、うさぎを見つけた時に烈火の如く飛びつく深雪のアホなくらいの跳躍力を今更思い出しながら、そのまま倒れこんだ。
　馬乗りになった深雪に両手を握られて身動きを封じ込められると、涙を滲ませながらもノウァは深雪を睨みつけた。

　「いつまで、こうしてるつもり？私を殺すことも出来ないし、サクラさん達だってオリフィアに殺られてしまうのも時間の問題よ。深雪が私をここで足止めしたって何の意味もないわ。」　

　あくまでも抵抗するノウァに、深雪はため息をついて目を細めた。

　「あのさ。私はノウァと望んで契約した訳だし、ノウァが居なくなったりしたらやっぱ嫌だよ。手伝ってとは言わないから、私に従って此処は引いて。こういうのだって、ノウァとの私の契約の一つでしょ？」
　
　「深雪！この期に及んで契約の話なの！今日は後悔することが多すぎるわ……なんで、アホ深雪なんかと契約しちゃったのかしら。」

　自らが悪魔である以上、契約を結んだ相手との関係を無碍にはできない。
　深雪にわざわざ別れを告げたのも、無意識のうちに契約の事が影響していたのかもしれないと、ノウァは思い返していた。

　「いや、なんかね。ノウァは私に引き留めて欲しいように見えてたよ。ここまで異送鏡を持ってきたって事は、過去に干渉する気だったんだよね？その事で、本当にノウァは幸せになれるの？」

　深雪の問いに思い浮かぶのは、宿敵であり最高の友達であるオリフィエル。
　娘のように接してくれる親代わりの鏡の悪魔、テーセウスさん。
　魔術商会を自分に任せてくれたメイガスさんと、やたらとお節介な店員のジョン。
　達観したような独自の世界観に憧れる、人外の南瓜さん。
　腐れ縁で、一応役には立ってる、唐変木のニール。
　そして、目の前にいる深雪。

　きっと、オリフィアの望む世界に幸せなオルタンシアが居るとしても、ノウァとしての自分は存在しないだろう。
　どんな絶望の淵にあっても自分の意志で道を選択してきた、今までの誇りも無に帰ってしまう。
　深雪も過去遡って、変えないことで元の世界に戻って来る道を選んだ。
　オリフィアとオルタンシアの約束が過去の記憶で絶対であったとしても、今あるすべてを捨てるだけの対価にならない事に、ノウァは気付かされてしまった。
　
　「そうね……私は、死に急いでいたのかも知れないわ。助けてくれて、ありがとう深雪。」

　その言葉も、けっきょく嘘。
　ここでオリフィアを失ってしまったら、オルタンシアの記憶を持つ自分は一生悔やみ続ける事になるだろう。
　だが、ノウァを止めた深雪に責任を転化するような逃げ方はしたくなかった。
　抵抗する力を弱めたノウァに、深雪も握っていた手を離して立ち上がった。
　
　「ごめんね、ノウァ。んじゃ、行ってくるね。」
　　
　深雪はスカートの埃を軽く払った後、仰向けで倒れたままのノウァを覗きこんだ。

　「勝手にいけば……深雪が死んでも知らないわよ。」

　目を逸らしたノウァは、そのまま横向きになって深雪から背中を向けた。

　「ノウァがもっと早く私に、相談してくれたらまた違った事になったかもねー。うん、私に今できる事をやるだけだし、頑張る！色々片付いたらまたゆっくり話すね、んじゃ！」

　深雪が手を振ったあと駆け出すと、ノウァは背中を向けたまま手を振り返した。

木で作られた台に乗って、踊りながら歌っている女の子がいる
１曲歌い終わると、ちらほらいる観客に向かって話しかけ始めた