一揆軍の拠点から北西に歩いた、針葉樹木の多い森林の少し開けたところ。
人が立ち入るような場所でもなく、かといって人里からさほど離れた場所でもない。今日の日程——攻城戦と練習試合——を終えたレンツはそこにいた。

ぶぉ——んっ。

右手には小剣、左手の柄には彼の身の丈ほどもある赤錆色の重刃が形成されている。
彼のエンブリオはその姿を刃と化して力を貸す。なのでそのエンブリオ達を使いこなすにはそれらの成長も勿論だが、自身の成長としての剣の修練もまた、欠かすことは出来ない。
ましてやその普段以上に不格好で非対称な双剣は、他のエンブリオよりも修練が必要だった。

ぶぉ——ずしゃあっ。

右を振るえば左が付いてこず、左を振るえば右が浮く。
剣士風に言うならば剣に振り回されており、ありていに言えば使いこなしていない。

レンツの言葉を流し、左手に握った柄——その先に形成された重刃——に目を向けるカメル。

実戦では使用したことがない、先ほどの練習試合で初めて顕剣した刃。
その広くぶ厚い刀身は両手でも容易には扱えなさそうな——ましてや双剣として扱うなど言語道断というべき——代物であるのは一見してわかる。そのせいで練習試合では真っ先に戦闘不能になってしまった。つい先程のように、無様な剣技を晒して。

右の小剣を振るった勢いで振り上げる左の重刃。
しかし小剣の倍以上もの重さのあるそれに引かれ、バランスを崩し、

——ずしゃぁっ。——どかっ。

重刃を上にして倒れ込んだため、今度は潰された。

身体を潰していた重みが消える。顔を上げると、カメルがその“扱えない”重刃を片手で拾い上げていた。
しかも悔しいことに、この自称農民の体躯は重刃の大きさと比べても引けず劣らず、まさに誂えたかのように似合っている。
ちなみに持ち主の手を離れても顕剣が解けていないのは、柄自体がエンブリオと契約を交わしているからである。

そう。この一揆は住民の貧苦が溢れ、発生したものだ。——自分がこの世界に訪れたのはつい六日前の話だが、この世界はもっと前からその苦しみに蝕まれていたはず。
そして、それはまだ何も改善されてはいない。自浄への一歩をようやく踏み出したに過ぎないのだ。

確かに今日も攻城戦を行い、そして練習試合では戦闘不能にまでなった。
それでもまだ身体が動くのだ。なら休むのはせめて、本当に動かなくなってからでもいいだろう。

しかし、一拍を置いて出た言葉は返事ではなかった。

以前にも似たようなことを聞かれたため、つい即答してしまった。
しかし嘘を言った訳ではない。この世界に来た理由は別にあるが、助ける理由は持っていないのだし。

強いて言えば「声を聴いた」ことが理由になるのかもしれない。……しかしそれも何処かおかしい気がする。
たとえ別の方法でメルンテーゼの“今”を知ることになったとしても、自分はきっと此処に居ただろう。それは確信出来る。

しかしそうなるときっかけはもう関係ないのではないか？

そう。なんであれ助けに向かうのだから、そこに在るのは“助けたい”という自分の意志だけだ。

目の前の農民はそこで話題を切るように瞳を閉じ、提げていた重刃を差し出してきた。
時折窺わせる、深く思慮するような表情。先程の答えに合点がいったのか、それともこちらに話す気がないと思ったのか。
……うーむ、何にせよこれで機嫌を損ね稽古をつけて貰えなかったら困る。

どくん。


差し出されていた重刃を受け取った瞬間、カメルが口を開く。
いや、今何と言った？

英雄。
その言葉に、胸の奥で何かが反応する。

どくん。


英雄の一人。別の分割世界。危機。助けを求めた。
淡々と紡がれる言葉に、胸の奥で何かが跳ねる。

『理由はない。助けてと、声を聴いた。
助けたいから、助けた』——と。




どくん。


助けたいから、助けた。
その重なりに、胸の奥で何かが脈動する。

出会ったこともない、名前も知らない英雄が、他の誰よりも由縁を感じた。
その言葉の真意を知っている、由縁。

その真名に、自身を象る何かが震えた。

いつの間にか、拳を握りしめていた。
脳裏に浮かび上がる英雄の姿。そこに投影したのは、自身の姿。

この由縁に名を付けるなら——それはきっと、憧憬か。



——ならば自分も、同じように手を伸ばそう。

咆哮と共に掲げた左手の柄は、応えるように月白の刃を顕剣する。
——昔、英雄と呼ばれた男がいた。

男は自分と、同じ境遇で同じ言葉を持っていた。

そして何よりそれが、何処かの誰かの救いとなるのなら。
英雄となる理由としては十分すぎるぐらいだ。

その夢物語ともいえる“宣言”に、カメルは鼻を鳴らす。
しかし嘲りは籠っていない、その覚悟を真摯に汲んでくれたようだった。

刃を戻し、カメルの後を追う。

いずれ機会があったら他の三人にも話してみよう。
果たして彼女達はどういう反応をするだろう。やはり、呆れられるだろうか。



——しかし、それでも構わない。

やると決めたことはやる。それだけだ。

あの日から7日が経った。約束を言い出したのは自分で、なんであの時約束してしまったのかと後悔するのも自分で……。
逃げてしまっても良かったけど……約束を破るのは嫌。
……どうしよう。

アレコレ悩んでるうちに、たどり着いてしまった。
少し離れた場所に明るい青年が視界に入る。
どうやら何か独り言を言ってる様子だけど……聞き取れない。
……少しだけ様子を見よう。

——30分経過。

い、いつまで待ち続けるのだろう……いや、そもそもいつから待っているのだろう……まさかあの瞬間からずっと……では無いと思けど。……そんな訳ないよね。……ただの口約束をなんでここまで信じられるのだろう……もし、朝から待ち続けてるのなら……とっくに私なら諦めてる頃だ……信じても……いいのかな。

貴方の足元に小さな桶に入った水を置きにきたと思えば直ぐに物陰に隠れる、少しまぬけな姿を晒す。
約束した少女との再会、以前よりかは幾らか、顔色は良いだろうが、相変わらずその歩行はふらふらと不安定である。ただ、一週間まえのその姿よりは大分安定してる様子。少なくとも、倒れることは無い……っと思いたい。

名前を教える事がお礼っというのも変な話だが……。

震える瞳でまっすぐと目線を合わせてくる。純粋な疑問。
何故、気にかけてきたのか、何故見ず知らずの自分の約束を信じたのか……何より、この世界は、目の前の青年の様にお節介をやいてくれるほど優しい世界じゃないのを知ってる身としては、やっぱり理解できなかった。彼のその姿は御伽に出てくるような冒険者の風格で聖人とも思えなかった……。
とにかく、目の前にいる青年が、自分にとっては不思議な存在に思えて仕方なかった。

　
　なおもはしゃぎ続けるレンツの様子に、ロウは自身の左腕を見つめる。　
　

　

　
　相変わらずロウの表情は乏しいままだが、残念そうな様子はレンツにも伝わるかもしれない。