[水辺の町：レストラン・ヤリゼイサ]

川辺の近くに沿うように形成されたこの町は、外との交流が希薄で、豊富な森や川といった資源から恵みを受けて成り立っていた。
街道から外れた人があまり訪れない町ではあったが、今日のこの日ばかりはいつもと勝手が違ったようだった。
外から来た一揆参加者が街に溢れ返り、近年稀に見るほど大きな賑わいを見せている。
一揆と聞いて、最初は荒くれ者どもが大挙して押し寄せてくるかもしれないと一時は騒然とたものだったが、どうやらそれは杞憂に終わってくれたらしかった。
もちろん、一揆をする者の中にはごろつき紛いの荒んだ目をした輩も居るには居たが、それは極々一部。
なぜならその大半は若い女性で、中には小さな子どもまで多く居たからだ。
想像していた一団とは様相が大きく異なっていた。

「まったく、世の中どうなってるんだかねぇ…」

ため息と共につぶやくと、向かいの席に座っている先程のいう所の小さな子供が「何ですか」と、食事の手を止めてこちらを見つめてくる。

「なんでもねぇよ、早く食べな」

不思議そうな顔(っても無表情だが)を浮かべて、再び食事を始める様子を見ながら、再び俺はため息をついた。

（ったく、なんでこうなったんだっけなぁ…）

柄じゃないが少し前のことでも思い返してみようか。
俺は一度こうだと決めたことに後悔はしない主義だったが、それが相手にとって余計なお世話となれば話は別だ。
反省すべきことには反省をする必要がある。
事の始まりは数時間前。
仕事帰りに一杯引っ掛けようと、俺はいつもの酒場へ向かっていた。
いつもと違っていたのは、すれ違う人の波に見慣れない顔が多くあり、人通りの少ない通りにもそれなりに賑わっていたことだろう。

（その時に一揆の話を思い出していれば話も変わったんだろうが……いや、変わらなかったかもしれねぇなぁ）

俺は日頃のストレスに追われながら、共に暮らしていた女房には逃げられ、子供も居ない。
そんな生活を何年も続けていた。
これといった趣味もなく、友人と呼べる者も居ない。
そんな俺が、唯一楽しみと言えるのは、精々仕事帰りの一杯だけだった。
その日も俺は一人寂しくカウンターで飲もうと、行き付けの酒場に向かって歩いていた。そんな時だ。
年の頃は5,6歳の小さな子供が、夜の街を1人トボトボと前を歩いていたんだ。
普段の人通りの少ない道だったら、ただの家出かと思って無視していたかもしれない。
だが、旅行客と思しき人で溢れ返ってるその日ならば、真っ先に思い浮かべるのは迷子の可能性だろう。
この迷子を助けたら、謝礼として今晩の酒代くらい稼げるかもしれない、と算段している部分もあったかもしれない。
しかし、子を探している親が居るのなら、手を貸してやるのが人情ってもんだろう。
そうして、その子供に声を掛けてしまってからが勘違いの始まりだった。
だって、よく考えてみろよ？
親はどこだと聞くと『親は居ない』と答える。
そして被ってるフードの中には子猫が一匹。
ははぁん、こいつぁ家でペットが買えないから家出しましたって所だろうなと、俺は当たりを付けて夜も遅いし食事に連れてって、食後ウトウトし始めたら担いでパトロールしてる奴らに任せようかとレストランに無理やり連れてきたら……この有様だ。
子供のクセに嫌に丁寧な話し方をするなと思って話を聞いてみると、

「一人旅を続けていると、自然とこういった話し方が身につくものです。
　幼い言動では同情は誘えても誰もまともに相手してくれませんからね。
　まぁ、あなたのような直情的でこちらの話を全く聞かないお節介焼きも中には居るのですけれど」

これである。
話し掛けた当初は照れ隠しか何かだと思っていたが、食事の席で話をするにつれて常に無表情でこちらの話にくすりとも笑わない所をみるに、本当に迷惑に思っていた可能性が高い。
こいつは大きな反省点だ。
こんな子供みたいな見た目でもあの一揆の参加者だ。
一揆に参加しているということは、当然戦闘用のエンブリオとも契約をしているはず。
つまりそれは、試験に対して合格するだけの知性と力量を有しているって証拠にもなる。
一人前と認められたようなものだろうに、迷子と勘違いして連れて来られたら、そりゃ不機嫌にもなるだろう。
改めてそいつの様子をジーっと観察してみる。
ナイフとフォークで音を立てずに魚を切り分け、口を運ぶ様からすると良いトコのおぼっちゃんだろうか。
よく見ると上品な顔立ちをしているし、一見すると少女と見間違えるほどだ。
きちんとした身なりをそれば、それなりに映えるようにも思える。
こちらの思惑を知ってか知らずか、当の本人はモグモグと咀嚼しながら、ふと思い出したかのように懐に手を入れ、何かを取り出した。
それは小さなケースに入っていて、中身は赤い葉っぱのような……って、ありゃネクターか？！
目の前でおもむろに取り出したそれを、頭上のフードへと突っ込んだ。
頭の上に居る子猫に与えてるようだが……

「お、おい。それがなんだか知ってるのか…？」

「それ…？　この赤い花のことですか」小首を傾げて「ネクターと呼ばれる花だそうですね。…一枚いりますか？」

いやいや。そんな煙草を勧めるように言われてもな…
このお坊ちゃんはネクターが今、この世界でどれだけ重要になっているか判っていないようだった。
新しい王が独占する前はそうでもなかったが、今ではすっかり品薄になってしまって喉から手が出るほど欲しがる奴らがそこら中にごまんと居る。
そいつをほいほいと猫に食わせてる……ってこたぁ、その子猫がエンブリオなのか？
フードの下でもそもそと動く様子に見とれていれると「なんなんですか、まったく」と不機嫌そうに(相変わらず表情は変わらないので想像だが)口を拭いている。
それはこっちのセリフだとは思ったが、変わり者の多い異世界人も多い。
深く考えるだけ野暮というものだろう。
俺は「なんでもねぇよ」と答えてはぐらかし、席を立った。
『トイレですか』と目線で訴えてくる相手(そういえば名前も聞いてなかったな)に、テーブルの上に食事の代金を置いて「いや……なに。無理やり食事に誘って悪かったな。ゆっくり食べててくれ」と答えてその場を後にする。
思えばここで食事を始めてからずっとこいつは無表情で、機嫌が悪そうだった。
俺が居るよりも1人で静かに食べている方がいいだろう、と。
そう思って席を立ったのだが、店の外へ出た後で、ばたばたと荷物を纏めて追ってくる小さな足音が聞こえてくる。
(なんだ…？)と思い、振り返ってみるとその子供が、やはり何の表情も浮かべず、

「あの……ありがとうございました」

と言ってきたから驚いた。
食事をおごったことに対して、律儀に礼を言いに来たのかと思ったが、違った。
しばらく逡巡した様子を見せてから、そいつは口を開く。

「……こうやって誰かと食事を取るのは久々でしたから、そう、その、ありがとう、ございます。
　とても……楽しかったです」

下を向いてそう言われ、俺は頭がくらくらした。
いや、だってお前、えぇ？
俺にはとても機嫌が悪そうに見えたのだが。
そう伝えると「そんなことはありません」と、ムキになって返してきた。
その様子はとても冗談を言っている様子ではなく、表情は変わらなくとも真剣な表情で訴えかけていた。
……そうだな。
今日はもうひとつ反省が必要だな……

「もう一件いこうか」

「…え？」

「この辺にな、ケーキのうまいカフェがあるんだよ。
　確か夜はバーも兼任してはずだが、気にしなくていい。
　お前さんくらいの見た目の20歳以上だなんて、この世界じゃ珍しくないからな。
　適当にソフトドリンクでも頼んでおけば問題ない」

「いや、でも……ご迷惑では」

（やはり、断らないんだな）

こいつは、同じなのだ。
他人との関わりを強く求めながら、その切っ掛けが上手く掴めない。
その不器用さがそっくりだ。

「さっきの所ではろくに会話も出来なかっただろ。遠慮したり落ち込むのはもう止めだ。俺は思った通りに行動する。よければ今夜の話し相手になってくれないか」

そうだ。
今にして思えば、俺はこいつの捨てられた子猫のような様子が気になって、それで話し掛けたんだった。
会話に飢えている、孤独で、寂しがりの子猫のような、そんな様子に。

「じゃ、じゃあ…その、よろしく、お願いします……」

「…よし、それじゃ行くか」

迷子にならないように手を引きながら、歩き出す。
「あ、あの」「ん？」「私の名前は涼夜頼代と言います。あなたのお名前は…」
「そういやぁ、お互い名乗るのもまだだったな。俺の名前は——」

一夜限りではあったが、その夜は店が閉まるまで楽しい時間を過ごすことができた。
頼代は相変わらず表情は表に出なかったが、段々と、なんとなくだが、喜怒哀楽くらいは徐々に判るようになった。
そして、宿泊している宿に戻るのを見送った次の日、そいつは先に進むために街を出発した。
それ以来、そいつの姿を見たことはない。
一度進んだ道を引き返すことは無いと言っていたから、そういうことなんだろう。
今日も水辺の街には、一揆の参加者が大勢通る。
その誰もが一期一会の旅人で、俺は今日もそんな彼らの話を聞きながら、旅の無事を祈るのだった。


※日記イラストは早瀬六藻さんに描いて頂いたものを使わせていただきました！ありがとうございます！

自分のことは棚に置きつつ。
ちらりと視界に入った、小柄だけれども、その割に目立つネコミミ（のパーカー）が気になったらしく。

そう言って頼代に近付いたところで、フードから顔を出している三毛猫に気が付いて。

続けて、そう、尋ねた。