おねえちゃんのはなし




姉が出て行っても、町の人が姉を悪く言っても、母が忘れてしまっても。
私は姉を信じ続けました。

そして、十年近く経って、姉は家に帰ってきました。

母は涙を流して喜びました。
町の人もとてもとても歓迎していました。
私も姉が帰ってきて嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

姉は世界樹のすぐ下の街である『帝都』で魔術の勉強をしたのだと、私に教えてくれました。
帝都では皆が魔術を使えるのだと言います。

青い本の世界では、お姫様だけが特別でした。
この町でも、私の中でも、姉だけが特別だったのです。

ですが姉は言いました。
それが『普通』なのだと。

普通とは何でしょう。
昔は姉にとっても、この町が、私と同じこの町の人々が普通であったはずなのに。
出て行った姉にとっては『魔術が使えない人』が特別なのです。

そして姉は言うのです。
魔力を持たない人間は魔力の持つ者に従うのが帝都での決まりだと、姉はそう言うのです。

姉は言ったのです。
探し物をしていると、そのために町に戻ったのだと。
ここは世界樹から遠く、探し物を見つけ易いのだと。






　　　　　　　　　　　　　　　「ねえお姉ちゃん　　　　　　　　　　　　　　？」

「世界樹以外に選ばれてしまった、可愛そうな　　　だよ」


　　　　　　　　　　　　　　　「ねえお姉ちゃん　　　　　　　　　　　　　　？」

「世界樹の根が健やかに育つように、見つけたらすぐに　　　ないといけない」






そして姉は仲間だといい、三人の人間を紹介してきました。
彼らは皆、世界樹に選ばれ、帝都で学び、帝都での教えを世界に広め、そして、その教えを信じる者を守るために帝都から派遣されてきた騎士なのだそうです。


町の人々は喜びました。
これでこの町も援助を受ける事ができると喜びました。
母も喜んでいました。
信じて出した娘が、立派になって戻ってきたと喜びました。

私は。


町は豊かになりました。
人々は少しだけ農業を疎かにしても、食べる事に困らなくなりました。
けれど、少しは、少しでなくなっていったのです。

町は平和でした。
町は元々平和でした。




農業に従事する人が減り、食はあっても職のない人のために、一つの施設が建てられました。
全ての人間を受け入れ、いずれは兵士として『帝都』に派遣するための『人材』を育成するための施設でした。

私はよくその施設を眺めていました。


そんななか、三人のうちの一人は私によくしてくれました。
成長した姉よりも背が低い女性でした。

その人からは「妹ちゃん」と呼ばれていました。

「妹ちゃんは兵士になりたいの？」
施設を良く眺めていた私に、そう声をかけてくれました。

「いつか、この町が農業を忘れてしまったら」
どうしよう。
私がなりたいのは兵士ではなかったのです。


そんな私に女性は弓を教えてくれました。
彼女は弓兵でした。

弓を覚えれば、動物を狩ることで畑への被害も防げるし、食べ物も手に入る。
女性は私にそういって教えてくれたのです。

助かりました。
私は、心から助かった気持ちだったのです。
私がなりたいものとは少し違いましたが、それでも私に別の道を示してくれた彼女に、私はとても感謝していました。

彼女からは、姉の昔話も聞きました。
たった１０年で姉はいろんなことをしていました。
思い出の中の姉はとても充実していて楽しそうでした。



弓を覚え始めた私を姉は褒めてくれました。
母を助けながら弓を覚えている私に偉いと褒めてくれました。

そして、上手だと褒めてくれました。



姉は家には帰ってきません。
それでも母は喜んでいました。
今まで姉の話をしなかった家の中は、姉の話しかしない場所になりました。

私も。



私も、姉のことは好きでした。
大好きでした。
ですが、ですが。
一度は姉を裏切った町の人は、好きではありませんでした。


私の嫌いな人たちは、少しずつ減って行きました。
そして、好きでも嫌いでもない人へと変わっていきます。



お姉ちゃん、私は信じていたのに。
お姉ちゃん、私が信じていたのに。


町は平和です。
今日も、町は平和です。
『帝都の教え』も十分に行き渡り、町にやってくる帝都の人も増えました。
重たい荷物を持って、帝都の人は町を経由していきます。
町は平和でした。


ですが、私は。






英雄のように扱われる姉。

町の人の憧れの姉。

母の自慢の姉。

私の大好きなお姉ちゃん。

帝都へ行ってしまったお姉ちゃん。



私は町を出る事にしました。
初めて作った弓を持って。
母が作ってくれなくなった服を着て。
私はお姉ちゃんを見つけるために。
私がお姉ちゃんになるために。

誰にも見つからないように。
もう見つける人も居ない町を私は離れます。
平和で、そして幸せに包まれた町を離れます。


さようなら、お姉ちゃん。



最後に聞いておきたかったな。

ねえ、お姉ちゃん。
嘘をついていたのはだあれ？

「そうですか。猫を見ないと言うのも珍しい……。
……この子は2歳……だったと聴いていたので、人間換算だと21、22くらいでしょうか。差はありますが、猫は1歳を過ぎると大人になるので……大人ですね。この子は、小さいです、けど」

しゃがみ込んでラウの黒い毛並みを撫でる。それにしても小柄で子供と間違われる大きさの黒猫は暢気にくわ、とあくびをしてリラックスしてる。

「好きですよ。耳の辺りとか、可愛らしい、ですから。
　……よけれ、ば……触ってみます、か？」

若干イライラ。

お前がいい加減にしろ。

少しばかり言い淀んで後、ああ、と幾らか取り成すように。

それからまた少し、黙り込む。

——すまない。
ひとつ、謝罪。

そう語る瞳が、どこか遠くを見据えていた。

*蒲公英を手に眺める*

まだ、胸が痛む。海象やセイレーン、兵士と戦う時にはなかった痛み。
——違う。気のせいだ。私はそう自分に言い聞かせ、心を律する。
そして、『仮面』をかぶる。彼らや仲間たちに、違和感を抱かせないため。

ぽつり。
呟きながら、剣を引き抜く。
正眼に構えた刃の向こう——濁った瞳の内に宿るのは、眼差しよりもなお鋭い光。

おもむろに柄から手を離すと、先程呼びかけた少女の肩に軽く手を置いた。