—○月××日—（晴れ/朝）
　さて、ここにマッスルポテトの種子がある。これは先日倒したマッスルポテトが落としたもの。
　この世界にいる農家出身の者曰く「あれは食用として親しまれている食料の1つ」だという。
　世界によってはゴブリンの肉を食べる、蜘蛛を食べる、イナゴを食べる、時に同族さえ食べると中々に人間というのは強かな者が多いと痛感するが、今回も驚き……というか半信半疑な所ではあった。
　しかし筋肉質なあのポテトは堅い印象があったのに、いざ食す機会があって食べてみると、普通のポテトとなんら変わらない食感だったのには驚いた。肉の様に引き締まった食べごたえで、量もあるので満足だった。

　……閑話休題。ともかくこのマッスルポテトから取った種子を使って、実験も兼ねた家庭菜園を試みることにする。
本来植える時期として最適なのが春と秋の涼やかな時期なのだが、　都合上致し方のない事である。梅雨は過ぎた後、水は欠かせないから暫く森の奥に居座る事にしよう。



—○月×○日—（霧雨/昼）
　数日後。
　家庭菜園と云ってもやることは農家のそれとほぼ同じ手法。環境と素体を時間を掛けて吟味し、土を耕し畝を作り、タネイモを通常の間隔とやや遠くの間隔に……実験も兼ねて、様々な位置に植えつけて水をやる。
　気温は冷涼な気温を好むので、出来る限り維持できるよう土壌豊富な陰る森の一角に畑を作った。
　ポテトは多少土が固くとも育てられるのでこのような急ごしらえの畑でもきっと育ってくれるだろう。事前に別件で土壌の具合を調べていたから、栽培に選んだ土も良い所だ。
　細かい部分の説明は長くなりがちなので割愛する。



—○月×▽日—（雨/昼）
　さらに時間をかけて芽を生やすものがちらほらと出てきた。通常のポテトよりも早い成長を促すために異世より持ち出した栄養剤は効いているようだ。
　今日は雨だから涼やかで大変よろしい。傘が無いので森の木々と蓮の葉を傘代わりにして畑を見守る。



—☆月×日—（晴れ/朝）
　芽掻きを済ませ、追肥、土壌の確定と土寄せを行う。
　簡易的とはいえ1人でやる分には少々つらい。一揆の進行もあるというのに……。菜園も手慣れているとはいえ……後発でこんなことをすれば疲労も溜まる。
　麦わら帽子はじっとり湿り、衣服はべちゃべちゃ。汚れないよう最低限の防護手段として持っていたエプロンも土塊でよれよれ。慣れない農作業を一手に受けているから疲労困憊。
　……あぁ、少し眠くなってきた。木陰に腰掛け仮眠を取るとしよう。



—日が変わり深夜—（晴れ/深夜）
　改めて云うが、これは実験を兼ねている。
　マッスルポテトは普通のポテトとなんら変わりない成長を示していたが、1つ特異点を上げれば……。
　普通のポテトと違い、あれは平均して妖精サイズまで大きくなる。小さいものは妖精程の30㎝代、大きいものになれば人間の赤子程の大きさとなるらしい。
　地面が隆起する度合いが違う上に横向きにも圧迫する為、通常のポテトの栽培方法では他のポテトを圧迫し、他のポテトをダメにしてしまう。故に通常の方法で作ったものはほぼ全滅となってしまった。

　そう……つまり現在、マッスルポテトの存在が確認できてしまった。

　顔半分を外にだし、下へはどこまで続いているのか計り知れないほど土が膨れ上がった存在を目にした時には目を疑った。
　メルンテーゼの芳醇な魔力がそうさせているのか、よくよく観察すれば体が魔力を帯びているように観える。
　この事から、彼らは通常の生物と云うより、魔法生命と表現した方が的を得ているのではないかと思う。

　マッスルポテトは普通に植えたポテトの内、5つに1つはそうなると原住民は云う。今回植えた数は20、間引いたのは数本。生存を確認できる限り2体の小柄なマッスルポテトがいた。
　それ以外にあと1体いたが、それは土の中で半分、なんとも間抜けな状態で沈黙していた。後で聞いたところ、成長する環境が劣悪か、過度なストレスを受けるか、病気、あるいは齧られたりすると"死んで"しまうようだ。
　畑の前でスケッチブックに記録の最中、つきっきりで居たため疲労がたたり居眠りをしてしまった。目が覚めたらマッスルポテトとなったポテトが1体齧られた痕を残して伏していた。かけた土の山が崩れ、身体が小刻みに震えている光景は、しばらく忘れられそうにない。
　ラットの実験に等しい観察だが、こうして生き物と化したポテトには、言い知れぬ感情が湧きあがるのをどうしても肯定したくなかった。
　……ちなみにマッスルポテトは既にこの段階から赤ん坊のように喚きながらの発声が可能なので、よくもまぁ、目覚まし代わりにポテトの断末魔を聴かずに済んだと思う。
　臥したあとのマッスルポテトも後学のために獲り出し、よく洗って蒸かしてバターを塗って頂いた。小ぶりで腹を満たす大きさではないものの、中々柔らかく。ぷちりとしてて甘みがあって、美味しかった。



—☆月○日—（晴れ/朝）

　土から口元までマッスルポテトが柔軟に喋る事ができるようになったので、ここから会話も出来る限り記録していくことにする。
　なお、彼らは普通の人が理解できる言語で話している訳ではなく植物系統が使用する言語であることを先に述べて置く。

　如雨露に汲んだ水をまんべんなく浴びせ、彼が満足そうに笑みを浮かべるとにこりと笑って返す。通常のじゃがいもにも掛けてやり、もう1体いるマッスルポテトの元にも歩み寄り、声を掛けてやる。

　妙なイントネーションで喋る快活なマッスルポテトとは対照的に、土偶のように強張らせた厳ついマッスルポテトはとても無口な性格だった。
　水を掛けても表情一つ変えず、ただ水は甘んじて受け入れる。
半ば生物でありよく動くので、随時きちんと土をかぶせてやって、よく育つようにしなければならない。
　露出したままでは病気にもかかりやすくなろう。だからこそ、いつも以上に目を輝かせなければならなくなった。

　この狭い土から出られるようになるのも、ほんの、あとすこし————



—☆月Д日—（晴れ/朝）

　マッスルポテトは熟したら、勝手に飛び出して逃げて行く。そうして逃げたポテトの多くは人を襲い、旅人に喰われて糧となる。
　強かな生物の多いこのメルンテーゼでは、きっと鼠を潰すような感覚で、このマッスルポテトを倒せる。
　いつものように近くの川で水を組み、畑まで赴いたところで私は気付いた。
　マッスルポテトが土から這い出ようとしている。意外な事に、先んじて出たのは一言も口を利かなかったマッスルポテト。彼はするすると筋肉質な体をぐわりと大気に曝け出していた。
　片方のよく喋るポテトは、中々抜け出せないでいた。彼が助けを求める声が聞こえるが、無口のマッスルポテトは意に介さず、ひたりひたりと逞しい足で地面を踏みしめる。

　彼の前に立ちはだかる。マッスルポテトは静かに睨みつけていた。

　邪魔をするな。言葉を介さずとも理解できる訴え。

　どしん、という音。無口なポテトより筋肉質、というよりやや小太りしたな印象を受ける体格のポテトが、きゃいきゃいとはしゃぎながら近づいてくる。

　そこで、私の注意が逸れたと直感したのか、無口なマッスルポテトがこの場から逃げおおせようと健脚を露わにして走り出す。中々、足は速かった。

　それでも遅い。

　マッスルポテト両名は地面から突如として隆起した蔓草に足を掴まれ、脚部に鋭い棘の付いた葉が貫通して刺さった。

　エンブリオがいたわけではない。他者の力を借りたわけでもない。そも、辺りに私以外の生物の気配はない。

　私自身から発せられた魔力に気付く事は、覚醒したばかりのこの子達が気付ける事は無いだろう。
　自らの足から下ろした根をそのまま、彼らの足元からじわじわ体を縛られているマッスルポテトに近づいて、笑顔で云ってやった。

恵みに感謝を、食に感謝を。旅人に思召しを与えられないのは残念ですが————あなた方は残さず頂きますので、ご安心ください。



—同日—（晴れ/夜）

　絶叫、苦悶する声。そして断末魔。2つの音が響く。噂に違わず中々の声量だ。
　タオルケットの上で包まって寝ていたラウが飛び起き、テーブルに頭をぶつけた音がした。幸いけがはない様なので安心した。
ラウが足元に歩み寄りながら『何しておられるのか主よ』と言いたげな眼をして欠伸をした。
　……誰だってこんな絶叫を狭い家の中で聴いたらそれはそんな反応もするだろう。
　軽い謝罪の後、少しして出来上がった———白米、肉じゃが、豚汁、ポテトサラダ———を並べる。実に芋尽くし。ラウにも蒸かした芋を上げてやる。
　そうしてラウと、示し合せたように

「いただきます」

　感謝の言葉を静かに告げて、一緒にポテトを頬張った。



　かくして食農はこれにて終わり。実に貴重な体験をしたが、農家に厄介になる機会でもあれば、色々と話を聞きたい所である。
　このスケッチブックにしおりを挟み、観察日記を一度〆るとしよう。

　———さて、残りの『ダンディ人参』と『ナスビーンズ』『ナイスミドルパンプキン』の栽培の研究も進めなければならないな。

と、言うと袋の中から更に小さな小袋を出し、匂いについて答えられると少しいたずらっぽく笑いながらそれを偽に差し出す。

ちなみに、小袋の中身はクッキーが数枚。彼の手作り菓子のようだ。

　唐突にかけた言葉。
　その声の主が人型を取る蜥蜴と知っても、驚いた様子も怯えた様子も無いように見えた。
　それは素直に喜ばしいことと感じた。

　得心いった風に頷いていると、不意に何かを思い出したらしく、蜥蜴は尖った口を持つ顔を上げた。

　花は身近。植物は傍にいる。その言葉から推し量り、蜥蜴は尋ねる。

　と、話をしていると。ニンゲンは手品と称して手のひらを見せる。
　裏に表にひらひらと返す様を眺めていると。
　最後に表に返した瞬間、蜥蜴は信じられないものを見た。

それは大咲の牡丹。何もなかったはずの掌に、見事な花がほころんでいた。

　身を屈め、掌の牡丹を食い入るように見つめながら蜥蜴は自分の思考をぶつぶつと口に出し続ける。
　牡丹の香りを感じてはいたが、それよりもこの手品のカラクリが気になるようだ。

偽の警戒心が解かれたのを見て柔らかな笑みを浮かべる。
巻きついた蔓草と恥かしそうもしている偽を見ると「あらあら」ととても嬉しそうに見ていた。

その植物と自分の知識から察するに彼女もまた、『妖（あやかし）』の類と思っているようだ