ファルクレイは、悪魔だ。
　本来ならば体躯はもう少しばかり大きく、猛禽の翼と、蛇の尻尾を持っている。しなやかな尾を覆う鱗は光の加減で複雑に色を変える青い鱗で、夕暮れの紫から真昼の蒼、海の群青と清水の透色まで、複雑な色彩を備えていた。
　ファルクレイとクローシェが生まれた雪国では、国固有の悪魔——大抵においては隣人に対する敬意のようなものを示しつつ、他の悪魔との区別をつけるために、幻獣と呼ばれていた——は混ざっている獣の数が多ければ多い程力が強く、色彩もまた同様とされていたから、ファルクレイはそれなりに力のある存在であったということになる。
　それがただの巨大な狼の姿を取らねばならぬのは、力が落ちていることの査証に他ならない。少なくとも、ファルクレイはそう理解している。
　そしてそれについては、ファルクレイと契約している主人であるフォルカーも同じことを思っているようだった。
　証拠として彼は妙にファルクレイに気を使ってくる。具体的に言えばちょっとした折にファルクレイの背中に騎乗することを避け、場合によってはクローシェも背中から下ろす——そういう塩梅で。
　彼の前職のことを割り引いて考えても、随分な気の使いようだとファルクレイは思う。
　彼がそれが嫌だと曰わないから、ファルクレイもついついそれについて何か言うのを忘れてしまうのだけれども。

＊＊＊

　今日は曇り空だったが、フォルカーは端から目的地への残りの道を徒歩で踏破する心算らしかった。
　その証拠に彼は朝食のリゾットを食い終わると、片付けに続けて愛娘の靴の調子を丁寧に確かめる。靴底が磨り減っていないことを確認し、靴紐を結び直し、緩みを改めて、歩き易いかどうか何度か尋ねることで一連の作業は収束する。
「そんなに長い距離は歩かなくて大丈夫だからな」
　と、フォルカーは言った。クローシェは大人しくうなずいて、彼に手を引かれて歩き出す。
　ファルクレイは少し考えて、父娘に影を作るよう、ふたりと太陽の間に陣取って歩き始めた。幸いにしてファルクレイの銀色をした毛皮は陽の光を上手く弾くようにできている。
　対してフォルカーはちょっとだけ困ったような顔をして、けれども、特に何を言うこともしなかった。彼は黙々とクローシェの手を引く。
　三人きりで歩くとき、誰も特に喋り出さないのはいつものことである。
　思えばクローシェの実の父母——特に母の方は言葉を連ねることを好むタイプではなかった。父親の方は何かを覆い隠すようによく喋るが、芯のところでは沈黙を尊ぶ類の厄介な人間だった。間に生まれた娘のクローシェも、決して沈黙を苦にする子どもではない。
　その養父であるフォルカーもまた沈黙を好む類の人間で、狼であるクーも必要以上に鳴いたり騒いだりを好むわけではなかったから、誰もが喋り出す必要性を持たないのだ。
　否、本当は普段であればフォルカーがクローシェを気遣ってぽつぽつと話すぐらいはしないでもないのだけれど。
　思えば近頃、フォルカーの様子にも疲れが目立つ。
　夏の暑さに倦んでいるらしいことは、聞かずとも知れた。ひょっとすると彼もまた、暑さには弱い性質なのかもしれない。
　それに関して些細を問うつもりは微塵も湧いては来なかったが。
　——目指した場所は本当に近い。
　クローシェを連れていなければ、恐らく本当に短い時間で到達できたことだろう。或いはフォルカーなりファルクレイなりが、彼女を運ぶという手段を取っていれば。
　その短い距離の末に辿り着いた森で、フォルカーはクローシェを抱き上げ、ファルクレイの背中へと乗せた。その折に何を言われるでもないのは慣れたことで、今更怒るような気にもならない。
　それに森の中という立地は、ファルクレイにとって最も活動を得手とする場所だ。敵を警戒しながら平地を歩くより、よほど達者に障害を避けて道を進むことができる。
　滑るような足取りで道を進みながら、狼は一度だけ、そのふんわりとした尾を鋭く揺らした。応じてフォルカーが足を止める。
　既に幾度と無くやりとりした、生き物がいる、の合図だ。気配であれ影であれ実際の姿であれ、ファルクレイはいつもこうして生き物の存在をフォルカーへと伝える。
　ファルクレイもまた歩みを止め、すんと空気の匂いを嗅いだ。
　そうしてそこに、先に出立した本日の同行者の匂いが混じっていることを察して、小さく鳴く。
　フォルカーは安堵した様子で歩みを再開し、程無くして見えた人影に向かって軽く手を上げた。
　彼はひととの付き合いが苦手なくせに、こういうところだけは妙に律儀である。恐らく前職を反映してのことだろう、とファルクレイはそれに関して評価していた。彼は、何せ——

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　ファルクレイの棲む雪国の森に程近い人里には、面白くもない童話がある。
　かつて妖精達に救われた古い森に棲まう妖精達のあるじ、石の呪いを統べる巨狼の悪魔が執心であった娘を手放さなければならなかった話だ。
　悪魔はその背に立派な翼を備え、その気になれば空を越え、世界の境を越え、更には時さえ遡ることができたと伝承は言う。
　その翼を以って悪魔は娘を幾度も追い回し、終いにはぽんと彼の国を追い出したのみならず、世界からさえ追い出してしまった、とも。
　娘にとって幸いであったのは、追い出された先にとんだ知恵者がいたことだった。かつて聖職に就いていたというその男はさも愚かなふりをして悪魔と契約し、その実、言葉巧みに悪魔をみずからの住まいへと追い返した。
　結果、悪魔はぎしぎしと歯を軋らせながら、娘を追うのをやめてしまった。
　何せ悪魔はみずから一度結んだ契約を切ることができない。どうにかして契約を全うして関係を終わりにしようとも、一度契約してしまった相手が悪くて、どうしようもできなかった。
　——そういう話だ。

＊＊＊

「本当に大きいワンちゃん連れなんだな」
　出会った青年——少なくとも外見はそう見える——はそんなことを言って、フォルカーの傍らに立ったファルクレイへと手を伸ばして来る。
　ちょっと撫でてみよう、とでも言わんばかりの態度だった。
　対してファルクレイはわずかに顔を顰め、唸りを上げて対応する。それでも特に青年は恐れる素振りを見せず、——結果としてファルクレイは彼の襟首に噛み付いて、ぶらぶら引っ下げて彼を持ち運ぶことにしたのだった。

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よていちきぞく。
https://www.evernote.com/shard/s43/sh/4c40b759-eb22-4183-b254-105a2d117b2a/f97391c2f2c9de64a33f4259864fc18e

　なんか言い返した

　パリパリの食感。それで思いつくのは昆虫の羽と殻だったが、確かニンゲンは生で虫を食べるのは好まないはず。
　考えに考え、妥協点として思いついたのは

　本当は生が一番だが。内心でそう思いつつ。

時折する咳払いは、多分触れないでくれる配慮に対する感謝の言葉だろうと、恐らく推測できるだろう。

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