カミユにとって新しいエンブリオの契約とは、新たな天使の守護を得ることだった。
最初のエンブリオ…ルーアハ、聖霊であるその天使が、野良のエンブリオの持つ霊性を一つ上の次元…すなわち天使の次元へと引き上げて、肉体を持たないエネルギー体へと変化させる。それらはルーアハの支配下に置かれ、カミユを守護することになる。
ゆえに、カミユがどれだけのエンブリオを引き連れようとも、厳密に「ネクターを捧げ、契約している」のはルーアハそれきりだった。ルーアハ以外のエンブリオ…天使達は、カミユにそれぞれ新たな力を与えるものの、意思の疎通や個の主張をするところがない。

今現在のカミユにとって、ルーアハは絶対的な守護者であり、導き手だった。
ルーアハがいなければアルームを出る事も無かったかもしれない。村の人々と同じように、眠ったまま静かに呼吸することをやめていたか、あるいは…いずれにせよ、ルーアハの持つ癒しの力が無かったならば、母なる霊峰トラメンストルの山を降り、グレイマンに出会い、またグリゴリと出会うこともなかったはずだ。杖で空を切り風を呼び、自ら癒しの術を行使することもなかっただろう。全てを失いかけたカミユにとって、ルーアハに与えられたものはあまりに多い。


そうして、今。
カミユが行使しようとしているのは、やはりルーアハによってもたらされた力の内の一つだった。
なんと言うこともない駄木が、その石膏のような左手の平に乗っている。グリゴリから預かったものだ。空いた右手がそれに触れるか触れまいかというところで、その表面の空気をそっと撫ぜる。もし霊性の強いものならば、瞬間、薄い膜からしゃぼん玉が産まれるように、駄木からゆらめく力の気配が、カミユの手の平に引き上げられるのを見ただろう。
カミユは右手をそのまま中空に留め、駄木をそっと傍らに置き、今度は近くに用意しておいた骰子を左手に取った。仄かに光を帯びた右手の平が、骰子をそっと包み隠す。吸い込まれるように光が消えた。それで事は終わった。

それは付加と呼ばれる力だった。物質の持つ特有の性質を霊性として引き出し、高め、それとは別の物質に収める作業だ。
伝え聞きが正しければ、駄木から引き出された力…物攻を高める力が、手の上の骰子に付加されているはずだった。

駄木。どうという事も無い物質に潜んでいる力。純粋な物質の、ぶつかる力。
これは暴力の根源だ、とカミユは思った。村を出て初めて訪れた街で、棒切れで犬を叩く人の姿を見たことを思い出しながら。
では何故。では何故？暴力が必要なのか。「支配、あるいは征圧のため」とルーアハは言った。
一揆という波に浚われてからというもの、エンブリオに対し、あるいは行く手を阻む人々に対しても、必ずそれは付いて回った。
屈服させる力。カミユもまた、それを着実に自分のものにし始めている。
恐れることはないとルーアハは言った。また、必要な事だとも。しかし未だカミユの中に抗いは消えない。

（祈りと対話が和を成すならば）
（では何故。では何故、主は人々に武器を与えたのだろう？）

カミユはもはや抜け殻となった駄木の皮を指先でなぞった。人々に武器を与えた天使の名など知る由もない。
夏の日差しがマァムブの天井を透かして降り注いでいる。
部屋はとめどなく黄金の色に染められていた。夕暮れ、昼と夜の端境の時間、マァムブの色に。





…

フリント領のアフタヌーンパレードにお邪魔しています。→Cno.71
夜の部に向けてサマードレスをご用意中です（受け付け〆切済み）。→Cno.333

　　（フライバイはなんかランプをいじくってる）

　　　（甘くさいこげたニオイがムワッ）

どこかぼんやりとした様子で空を見ていたようだが、
二人に気付くと笑顔を見せてかけよってきた。

とある日。マァムブ内。カミユの姿を見かければ、名前を呼び近づいて。

取り出したのは、先日、広庭でカミユが少女の髪にさしたものと同じ種類の花、を押し花に加工したもの。それが厚紙にはられて、何処かのラッピングのリボンの端切れを使ったのであろう飾りも添えられて。
つまりは、手作り感覚溢れる、しおり。
……こっそりとこないだ取ってきていたらしい。

それを彼に手渡そうとし。

言葉は通じないのは勿論わかっているから、特に相手に伝えようとする意思はそこにはなく、つらつらと、ただ、喋るだけ。
ただ最後の一言は、一言一言区切るように。しっかりと。
意味は勿論わからなくとも。……頭を、下げた。

大鍋の縁をこんこん、と叩くと、持っていた募集の看板をその中にすとんとしまった。
どう考えても収まるはずのない長さだったが。

羽の塊の中、磨かれた金貨のような瞳を、逸らすでもなく魔女は見つめ返した。

魔法使いは世の中に興味がない、という言葉に、笑ってみせる。

無言で巨大な中華包丁を握っている……。

何か首を傾げているようだが、何に疑問を思ったのかわからなかったようだ。

——リレッタの周囲を赤いエンブリオが駆け回る……。