いつかの日。
　それは折り重なった六つ目の昼どき、それとも、もっとずっと後のこと——はるか以前のことかも知れない。
　何日目のことかは分からない。
　ただ確かに一つ。
　ある夏の日なかのことではあった。

　すべてが光に満たされている。
　肌の上にも、それらの輝きは重量を持って触れ落ちてくる、灼けつくような指先で。
　刈りこまれ飾り立てられた王の庭先、入り組んだ路々の上に人影はなく、何かの息をする気配もいまはない。
　風は柔らかに腕をくつろげ、葉をゆらすほどの強さはなかった。
　ときおり、小さく鈴の震えるような虫の声がし、けれど、それもすぐに止んでしまう。
　辺りには、ただいくつもの水滴が跳ねては落ち、のたうつ音が聞こえるばかり——外から列をなしてやってくる、王の敵となるものたちを前にしても、庭は、これまでにくり返されてきたであろう時間を、平生の穏やかさで過ごすばかりだった。いまだよく手入れされた木々と花、こうして華やかに音を立てる噴水。耳触りのいい餌に飼われた、いまは姿を見せないでいる、無数の牙持つ獣たち。……。

　そうして豊かに続く庭のあちこちには、点々と小さな小屋——四阿が建てられていた。
　それら四阿の意匠は、各々で異なっている。
　ただ木を組み合わせただけのもの、石の長椅子に屋根を取り付けたもの、金属の柵と枠に植物の蔦を這わせたもの。そこに何色もの、花の咲いてあるもの。植えた木の幹を支えにして、そこにまた別の植物を重ねて這わせ、さながら建物のように見立てたもの。
　それらのいずれか。
　もしくは、それらのどこでもないかも知れない。
　強く溢れ出る光を遮ってそこに、彼はいた。

　冷たくかすかに湿った匂い。陽だまりに落ちた影の匂いが、外を満たす昼を塞ぐように、点々ととりこぼされている。
　さながら、ここばかりはどこか別の季節、別の場所であるかのよう。
　ここでは水音も遠ざけられている。
　彼はそこに、いつものようにどこか無防備に、ひどく寛いだ様子で腰かけていた。
　《あなた》から見れば、ちょうど左側に座を占めている。
　たった一筋、誤って取り残された夜のように。
　長い身体をもたれかけ、彼は、周りをぐるり囲う緑の壁に預けていた。
　この場にいるのは、《あなた》と彼の二人きり。
　これまで多少の時間を使って、《あなた》と彼は、いくつもの他愛のないお喋りを重ねてきたことだろう。
　《あなた》は言う。

「　　　　　　　　　　　　」

　彼は笑っている、少なくともそのように見える。大体がそうであるように。

「まあ、見えないと言っても、塞がれているわけではないからね。
　多少の明暗——そうでなくとも、これだけ眩しいさなかにいれば、光の重さくらいは感じられる。
　昼は夜を恋しく思うし、これだけ日差しが強いとあらば、なおさらだ」

　《あなた》は尋ねる。

「　　　　　　　？」

「まあ、視えるようにする手立ては、ないわけじゃないからね」

「　　　　」

「手を貸してもらえるなら、あっという間のことさ」

「　　　　　……　　　　　　？」

「簡単なことだよ」

　彼はわずかに重心を傾ける、《あなた》の方へ。
　何かを遊ぶような身軽さでその手が伸びる。
　《あなた》に——わずかに触れる彼の指先、衣服を通して——いや、素肌であるかも知れない《あなた》の身を、指先が撫でるように小さく掠める。
　そこに、何か硬い違和感が生まれる。
　その場所を見、その様子を眺めて、《あなた》は怪訝に——もしくは、戸惑いながら思うだろう。
　まるで。

「きみの眼球を、私に喰わせてくれればいい」

　噛みつかれたようだった。
　それ以上の接触はない。
　いまはまだ。
　彼は言う、常と変らぬ声の高さと抑揚で。

「そうすれば、私は、あなたの視ているものを手に入れることができる——」

　冷たくかすかに湿った匂い。陽だまりに落ちた影の匂いが、外を満たす昼を塞ぐように、点々ととりこぼされている。
　さながら、ここばかりはどこか別の場所であるかのよう。
　この場にいるのは《あなた》と彼の二人きり。
　誰もいない。

「さあ、教えておくれよ。
　これまで目にしたもののなかで、もっとも美しかったものは、なに？」

　彼は笑っている。
　《あなた》は答える。



　もしくはそのまま、永遠に沈黙してもいい。

　

側に寄り、男の手を取る。

その様子は子供のように無警戒だった。