「これは……」

靴底から伝わる乾いた土の感触。
目を落とせば亀裂が幾重にも走るブラウン一色の世界が見える。

「ひどい光景ね」

枯れた土地。
城壁内の片側のエリアは死の大地と化していた。
何より異様なのは、すぐ後ろを振り返れば変わらぬ生命溢れる碧が広がっていることだろう。
ある場所を境に突然、大地全てが痩せ細り砂漠化が進んでいるのだ。

「これもネクター独占の影響なのかしら？」
「多分……。エンブリオとこの世界の生活との密着ぶりは、並大抵のものじゃなさそうだ」
「あつーい……」

王城のネクター独占に因るエンブリオへの影響は大きく、それがこうして自然にも形となって現れている。
その考えが真実か否か知る術は今のイリスたちには無いものの、今立てられる仮説で最も説得力のある物はこれだろうと誰もが思っているようだった。

「気温の上昇を確認」

身に纏わり付く熱気が更に強烈になったと感じる事は間違っていないと、アエレアのそんな短い言葉が示している。
今は夏。水辺からの照り返しにも辟易としたものだが、それでもまだ余裕があれば水に触れ合い涼を取る程度の余裕を持てた。
だが此処にはそもそも水がない。熱気に苛まれる未来は容易に想像できる。
これではろくに服も洗えないだろうとも憂い、イリスは小さくため息をついた。

「行きましょう」

だからといって今更この地からの進行を諦める訳にはいかない。立ち止まっていればどんどん気分が重くなりそうで、イリスはいつもの様に先頭を歩き始めて皆の先導を始めた。
皆もそれに素直に従いついてくる。アエレア以外浮かない顔なのは、恐らく自分とほとんど同じ気持ちなのだろうということが伺えて、少しだけイリスはホッとした。

「重点的な探索を考えていたけれど、この暑さじゃ危険だわ。他のエリアには幸いすぐに避難できるし、その環境を活用しつつ探索を進めましょう」
「あぁ、異論は無いよ」
「大賛成だよー。あっつー……」
「ミス・ゼペット」
「何かしら？」

歩きつつ、イリスはアエレアに軽く視線を送る。
相変わらずの無表情で、汗一つかいていないこの少女は言葉を続けた。

「フライデー１２のモニターデータにより貴女の体調の推移を私は知ることが出来ます。高気温環境に長期滞在することに因って起こる水分、塩分の喪失は放置すれば極めて深刻なダメージを貴女の身体に与えることでしょう」
「えぇ、わかっているわ。心配は——」

何気なくアエレアの言葉にそう返そうとして、イリスはアエレアが何を言わんとしているかをはたと思い当たることが出来た。

「……アエレア。あたしの体調がよくわかるなら、これ以上の此処での探索が危険だと思われる時になったらお知らせもできる？」
「可能です」
「では、それをお願い。見ての通り満足な休息も取れない事が予想される不毛な土地よ。貴女の判断で別の場所への避難を考えるわ」
「ミス・ゼペットの身体状況を顧みて、探索の中断の提案を適宜行います」

この不自然なまでに線引された環境の違いは救いでもある。
辛くなれば別のもっとマシな環境のエリアへといつでも逃げられるのだ。本物の砂漠を往く程の心構えや覚悟が必要でないことはイリスにとってありがたかった。
仲間の足手まといにならないようにとなるべく疲れや弱音を隠すイリスだが、ことさら暑さだけは大の苦手なのだ。

「……勝手に決めてしまったけれど、二人もそれでいいかしら？　あたしの体調次第というのが、早いタイミングでの中断を決めてしまうことになるかもしれないけれど」
「私は構わないよ。誰一人体調を崩したりしないほうが大事さ」
「私もさんせー。イリスも無茶しちゃ駄目なんだからね？」
「うん、わかってるわ。それじゃあアエレア、よろしくお願いするわね」

その不安も、アエレアのお陰で随分と解消されたとイリスは感じる。
『あの蒸気の国』に居た時には想像すらしなかった厳しい暑さに、早くも額に張り付いた髪を拭った。
しかし暑さは初めてでも、目の前に広がる光景はイリスにとって、馴染みのある物でもある。

産業の発達が留まるところを知らず、『あの蒸気の国』が大国といって差し支えないほどの国力を持つまでに膨れ上がったのはここ２０年ほどの出来事だとイリスは学んだ。
その代償として国が負った傷もまた、イリスは知識として頭に入れている。そして、自らの眼でその傷を見てきている。
青空を煙に隠し、生命の息吹を切り崩し広がる国力という象徴はイリスにとって、まさに眼の前に広がる死の荒野そのものだったのだ。
土気色、錆色一色に染まり始めた最下級労働者の領域の光景が脳裏によぎる。
生気の感じられない無表情で、あの蒸気の国のいくらでも換えの利く些細な歯車として連綿と日々を過ごす人々——それも、亞人だ——の群れるあの光景だ。
何処かから物悲しい汽笛が鳴り響いくるのではないかと、そんな錯覚すら覚えた。
















初めて最下級労働者、亞人が群れる区画へ足を踏み入れたその日、彼らのその姿を見て純粋な気持ちから口にした疑問に同じ亞人でありながらも、ゼペット家という地位に守られある程度の自由を保証された従者のアリスはそう答えてくれた。
支配する者、される者。その圧倒的格差に、言葉が出なかった。
亞人だけが不当とも言えるほどの劣悪な環境に押し込められ、労働力として酷使される現状は、実際目の当たりにすると酷く衝撃を受けたものだった。
哀れみの感情は勿論のことだが、アリスの存在がその衝撃をより強めたのは間違いなかった。
生まれながらに自分は、多くの人間、亞人の上、多くの屍すら混じった山の上に靴底を置いているのだと自覚し、その重圧を受け止めなければならなかったのだ。
三女という立場上、その境遇の改善のため働きかけられる望みも薄い。
何も出来ずただ耐えるだけしか無いという事実に、今もまだ、納得の行く答えは出せない。

あの時言葉が出なかったのはショックばかりが理由ではない。
アリスはあの時一体、ゼペット家のこと、自分のことなどをどう思ったのか。
それを聞くことが怖くて、あの時何も言葉を口にすることが出来なかったのだ。

アリスは自分の従者であり、大事な大事な友でもある。
彼女との暖かな関係を、少しでも損ねたくはなかった。
だが、聞かずに居ることが本当に正解なのか。

「……待って」

自問自答に入りかけたその思考は中断に追い込まれる。
前方に立ちふさがる影から向けられる鋭い視線、敵だ。

「敵よ。準備を」
「戦闘行動の要請を確認。……承認。攻撃を開始します」

イリスはいつもより強く鞭の持ち手を握りしめた。

「……ん」

しかしすぐに、無駄な力を抜いていつもの平静へと戻す。
感情に左右される戦い方は、最もやってはいけないことだと教わったから。

「よーし、やってやろーじゃん！　動けばちょっとは気分も晴れるだろうから！」
「マオさん元気だねぇ……っと。いつでも行けるよ」

敵が地を蹴ると同時にイリスもまた駆け出し、その鞭を振りかぶり——。

恭しく一礼。

少しばかりの苦笑い。
その目に宿る光は、目の前の少女の考えに感心しているようにも見える。

しばし考え込む。
自分は従者を連れずに身一つでこちらに来たからいい物の、タキシードの損傷具合から見て、もしも連れて来たのならば同じ目にあっていただろう。

メモ帳を取り出す。

ごめん！と謝りながら慌てて返し。

そっと差し出されたイリスの手を、こちらも驚かせないようそっと握り返して微笑む。
……よかった。
本当に僕のことが怖くないんだ、と内心嬉しくなる。

→情報交換

少し首を傾げながら眉を顰めて話を続け。

やれやれといった風情で溜息を漏らしながら。
イリスの教えてくれた情報には興味深く聞き入って頷く。

どうやら水辺での戦いは楽ではなさそうだ。
既に今回出会った敵も倒せるかどうか自信がなかったので、幾分暗い表情になりかけ。

なんて言ってヒナカはまたバツが悪そうに自分の頭をガシガシと掻いた。

＞あなたはアエレアに数多くの言葉を投げかける。
　彼女はその間、一切の反応を行う事無く、あなたの言葉の途切れを待つ。
　その様はまるで言葉を受け流しているかのようにも見えたが、実際はそうではないのだろう。
　造り物のような瞳に様々な光が浮かび、あなたの言葉の一語一句を記録しているからだ。

＞淡々と生気を感じさせない受け答えである。
　言葉は確かに理解されたのだろうが、こめられた想いは霞を掴むが如く、受け流されてしまったのか？
　しかし

＞大雑把な質問だ。
　だがその裏に潜む変化の予兆に、あなたは気付くことが出来るだろうか？

　　　

　　　　羽織ったローブのフードを深く被り、大鎌を手にし対峙する。
　　　　　　うっすら、彼女の周りを薄い霧が漂っている様に見える。