王城をぐるっと囲む壁のその周りには、数えきれないくらいの木々がざわざわと生い茂っている。
　それら特有の少し湿った、でも気持ちの良い空気。鳥獣と草木のざわめく声。
　きらつく露があちこちで光って、そしてふいにぽとんと滴はすべりおちて大地に帰る。

　とてもよくある、ボクがよく知っている、いつものメルンテーゼの森だ。

　入口から浅い場所、明るい場所を少しさんぽするだけならば、特段そんな危険もない。
　だけど奥へ、城のほうへ向かうとするならば、そこはとても暗く危険でほーこーかんかくすらあやふやになる。
　この森は城壁よりも強固な壁だと、誰かが言ってた気がした。


「身の程を知れ、……カスがッ」
　みたことのない黒いさんかく？　を目のところにつけた、黄色い鳥が吐き捨てる。
　骨は無言で見おろして、傍ではエリンギがびよびよびよびよ踊っている。
「ういい！　ういい！　ういい！！」
　奇妙な音がそこらじゅうに走っていく。


　ま　け　た。


　森の中には強いいきものの匂いがしてた。その分、強いエンブリオとも会えるだろう。
　手ごたえないとわめいてた千巌にもちょうどいいし、強いエンブリオとケイヤクしようと、ちょっとふかめに踏み込んだのが運のつき？

　つよい　なんて　もんじゃ　なかった。

「わわわ、千巌がちょっとだけ食い止めるから、どんどん逃げるぞ！」
　ぼろぼろの千巌が全員の盾になる形で、槍を構えて叫び声をあげる。
「に、逃げよ？　……早く！」
　そんなことを聞くより前に、マシェは文字通り一目散に逃げ出してる。
　サヤは倒れ伏したまま。重い岩の一撃を一身に受けたせいか、なんだかピクリとも動かない。

　でも、しょーじきひとのことを考えてる場合じゃない。
「ふかおいだめ。ひくよ、ひくよ——！」
　叫ぶユノのコトバに答えてる余裕なんてもちろん、ない。
　へこんできしむからだをひきづって、わき目も振らず一目散に、その場からボクたちは逃げ出した。


　そして——
「ねえ、ソウ——。ここ、どこだろう、ね——」
　わきめもふらず気にもせず、でたらめに逃げたらとーぜんだけど。
　森の中、ボクはひとりまいごになった。


　ぇー……？　いやうん、森の中なのはわかるんだけど、いや、ほんとーに、ココ、どこ……？
　右を見ても左を見ても、上を見ても下を見ても、木・花・草に……小さなホタル？
　たま〜にふわふわ、薄い霧のカケラが見えて、それが木に掛かってたり空に掛かってたり、ほんとうにふわふわ気まぐれしてる。
　虫も、鳥も、獣のざわめきもちゃんと聞こえるけれど、さっきまでエンブリオと戦ってた場所とはまるで違うカンジがする。
「ル、ルベウス。ここどこだかわかる？」
「さあ？　吾輩も森の全てを把握しきれておる訳ではないのでな」
　さ、さあって……さあ……って……。
　森に住んでたルベウスにも、ココがどこだかわからないって……？！

　え、森で、そーなん、し、た……？

「ちょ、ちょっとユノ。悪いんだけど、王城がどっちか上から見て来てもらえる……？」
「うん、行ってくる——」
　頼みこめば２つ返事。金色の油さしから明るい蛍火が、ふわふわと空へと昇って行く。

　これで帰れなかったら……ううん、今の状態でさっきの黄色いエンブリオみたいなのにあっちゃった、ら……っ！
　そう思うと背筋に冷たいものが駆け抜けていく。
　ユノ、早く王城の方角だけでも見つけて、知らせて——っ！
　そう、祈るようにボクは空へと昇ってみえなくなっていく、ちいさな灯りを見上げていた。

　ほどなく——
「ねーえー……王城が、どこにもないよ——？」
　空から間延びした、予想外のコタエが降ってきた。

「ちょ、ちょ？！　え、それ、どういうこと？！」
　幾らまいごになったからって、あの大きな王城がどこにもないとかありえない。
　たしかに森や山に囲まれて、お城もそれに溶け込むようなツクリだから見づらいけど、それでもあれがわからないとかありえない。
「わかんな〜い——。
　でも、なんかむこーのほうに、お〜っきな樹と、たてもの？　の影と、ひらけた場所がある——」
「おっきな樹？　そんなもの森だからふつーにあｒ……たてもの？」
「うん、たてもの——。
　あと、なんかそこらへん、ちいさいのとかおおきなのとか、いきものがちょこちょこしてる、みたい——」

　たてものってことは、だれかがたてたモノだってことだ、けど……でも、いきものがちょこちょこしている？
　ならさっきみたいなこともあるし、へたに近づくとひどいことに、なり、そうな……。

「だいじょうぶだよ？」
「ん、ほんとーに？」
「うん、だいじょうぶだよ？　フェアリーもドラゴンもジャイアントもヒューマンも、いっぱいいっぱいくるところだから」
「そっかー……て、え？」
　何の気なく来る声に受け答えしてたけど、今の声ってユノのこえ、じゃ、ない、よう、な……？
「ココ、ココ」
　首をかしげているとてちてちてち、靴が小さく何かでたたかれる。


　見ると、親指くらいの小さな何かが、大小たくさんの背丈の草花のあいまから、ボクをじーっと見上げていた。


「——で、えーっと……ここはまよひが？　で？　で、ここはよーせーの、もり？　っていうんだっけ？」
　いきなり現れた親指大のちいさいの。
　ちょこちょこくすくす笑うそいつは、ボクへ小さな鈴を渡しながらここのことを教えてきた。
　　　　 マ　ヨ　ヒ　ガ　　　　　　 　フェアリー
　ここは迷い家のひとつで、妖精の住まう森だという。
　ボクがよく知っている森とはちょっと——いや、かなぁり違う森だそうだ。

　この森に来るための方法は２つ。
　迷い込むか、フェアリーに誘い込まれるか。

　ボクはどっち？　って聞いたけど、親指大は「どっちだろ〜ね〜」と、くすくす笑いながらはぐらかしてくるばかり。
　しょーじきどっちでもあんまり変わらないし、後のほーなら輪を掛けてだいめーわくでしかない話だけど……。

　親指大が渡してきた鈴、それを鳴らせばココには来れる。
　だけど入った時に持ってたものを手放してしまえば、それは二度と戻らない。
　逆に帰るときに森の中でもらった何かを持ってたとしても、それもやっぱり泡に消える。

　よくわからない森だ。

　帰り方があるらしいというのは親指大のよーすでわかったけど、その帰り方を聞いても親指大はさも楽しそうにくすくす笑うだけ。
「あなたみたいなこ、あそこによくくるよー？」
　かろうじてそういって、親指大はあるほーこーを指してくすくす笑うだけ。

　ようは、自分で、聞け、ということか。
　ま、そりゃそうか。


　とりあえずあてもないし、そこへ向かってみることにした。



「半分くらいよくわからないコトバ、だけど……え、と……おうさまをコロシテ奪うのに、いろいろ準備がいる、から、長い、ってこと？」
「ネクターを取り戻すのにいろいろ準備が要るから長い。っていうことです。
　王様には、一揆が終わった後も国を治めてもらわないといけませんからね。殺してはだめです」


　その後。
　親指大が言う“あそこ”、ユノがみたという大樹のほうへと向かった先のたてもので、たくさんのエンブリオに会うことができた。
　彼ら彼女らの態度は黄色い鳥みたいな敵対的ではなく、ふしぎなくらい友好的なものだった。
　このマヨヒガのこと、出方、ルール？　みたいなの、それらを文字も読めないボクにも分かるように教えてくれた。
　一番初めに話しかけてきた、やわらかい感じの白いエンブリオとはケイヤクできないかな？　とは思ったし口にも出したけれど、誰かともうケイヤクしてたりでダメだった、のが、ちょっとザンネンだったくらいだ。


「でも、ルリアンナていう女は、“魔王パラダイス討伐する”っていってた、よ？　とーばつってたしか、殺すって意味、だよ、ね……？」
「討伐というのはわかりやすい目標ですから、それを掲げているんじゃないでしょうか。
　参加者の目的も落としどころも、みんな結構違うと思いますよ。王様が死ななきゃネクターを返さないというなら殺すという人もいるでしょうし、エンブリオなしでやっていける方法があるんだったら、生活がそれで回るなら問題ない人もいるでしょう」

　たてもので初めに話しかけてきたエンブリオ、ハッカローシュという名のゴレムのエンブリオ。
　やわらかい物腰の、やわらかい口調のほわほわしたエンブリオは、ボクが口にしたハテナに対して、よどみなくすらすら答えていく。
　すごくアタマがよくって、すごく物知りなエンブリオみたいだ。

「エンブリオ、次第、か……セイカツ、だけなら問題、ないだろう、けど……」

　セイカツだけならば、エンブリオがとケイヤクしなくたって問題がない。
　だってボクのいた畑では、農奴であるボクたちはエンブリオのことをしらなかったんだ。
　だから、ボクや家族のセイカツだけならば、問題は、ないんだ。
　エンブリオに頼まなくたって、前みたいに水を汲み、畑を耕し、種をまき、実をとり、そしてまた耕す。そう暮らしていけばいい。


　だけど……ヘイムさんを助けるには……。


「生活が大丈夫でも、それでも困ることがあるのなら、全部のことを考えずに自分のしたいことをしてもいいのでは？
　だって、集まった人たちは集団ではありますけど、組織じゃないですもの」

　言いよどんで、顔をそむけたボクを目で追って、彼女はそのときひとつの標を示してくれた。
　メルンテーゼと共にたくさんたくさんの時間を生きているというエンブリオは、ボクへと、そう、示してくれた。

ぴょんこぴょんこ。

シャリン——、シャリン——
　どこからともなく音がする。

　　　シャリン——、シャリン——
　　　　それは、だんだん近づいてきている、そんな気がする。

シャリン——、シャリン——
　どこからともなく音がする。

　　　シャリン——、シャリン——
　　　　それは、だんだん近づいてきている、そんな気がする。