王城前の人だかりの中から、フローラは遥か向こうに霞んで見える城郭を眺めていた。
　その外壁はあまりに遠く、目を細めても全域を見通す事は不可能に思える。

　一体どれだけの者が、あの城門を潜る事ができるのだろうか。フローラにはよく分からなかった。
　だが、この場にいる大部分の人間には、不可能ではないのかもしれない。少なくとも彼ら自身は、多かれ少なかれそう感じているのだろう。僅かな不安を表情や仕草に見せながら、歩を止める者は誰もいない。
　フローラは思い描く。側塔の守りを退けながら外郭塔へ向かって進攻し、狭間から射掛けられる矢を彼らはかわしていく。敵を屠りつつ押し入った回廊をひた走り、居館に人影を探しながら、やがてはベルクフリートを駆け上がるのだ。

　待ち人はいるだろうか。彼らが求める結末の相手は、果たしてそこにいるのだろうか？

　フローラは少しばかり俯いて、視線を足元へと逃がした。
　この夢の世界は、自分の現実とは思いがけず勝手が違う。それでも王というものは存在し、支配者の住む場所はまた、フローラの手では届かない位置に聳え立っているのだった。

　夢は深層意識の表れ、というのは本当の事だろうか？
　自分はまだ、捨ててきたはずの過去に拘っているのだろうか？
　いや、違う。捨てたというのは誤りだ。愛想を尽かされたのは自分の方だ。あの日あの場所で、丁度こんな風に、城の霧霞む姿を遠景に捉えながら。全てが終わり、そして"旦那様"との日々が始まったのだ。



……お前なんか　もう　いらない



……わたしは　お前がいなくても　生きていける



　いや、いや、いや……やめよう。考えるのは。
　"旦那様"が仰った事を忘れてはいけない。"旦那様"のしもべでいる限り、自分は考えなくてもいい。夢の中でまで、もがかなくてもいい。目覚めるのを、待っていればいいのだ。
　きっとまた"旦那様"は頭を撫でてくれる。あの日のように。

　フローラは、もう一度ゆっくりと顔を上げた。
　喧噪はややなりを潜め、目の前を行き交っていた人々もまばらになりかけている。
　自分も行かなければいけない。
　"旦那様"が以前言っていた。『そこが夢だと気付いた時、一か所に留まっていると、悪夢を見る』と。

靴音が近付き、止まる。

二十丈程の距離を置いた人影は、僅かに首を傾げる動作をするのみ。

再び靴音が響く。数にして、十五歩程度。

歩行は再び止まり、先程よりも長く留まりながら、フローラを観察し続けている。

そのような所作を数度に渡り繰り返すと、女性はフローラのすぐ傍らに居た。

喉の奥から少しずつ、躊躇うように声が発せられる。

その瞳は、照り輝くフローラの銀髪をひたすらに注視し、
風に靡くフワリと柔らかな衣服を、一心に追い掛け続けている。