ENo.896 ミリア・イグ・ルヲズ

case.2 part.9 海溝調査
界面
……
…
この深度11120 mの一帯ではかなり広い幅を持っているのもかかわらず、
深さはほとんど変わらないような海溝としてはかなり不思議な構造を有していた。

つまりこの一帯は、海｢溝｣のはずなのに広間のように平坦な地形で覆われているということである。

この底面構造は、海溝壁面のようにごつごつとした岩に近いような表面を持った
地殻系合金とは違い、かなり滑らかな表面をしており、このことから地殻とは異なった…
つまりはプレートテクトニクスによる影響をほとんど受けていないような
形成様式や力の働き方をしているためではないかということが予想された。

この底面と壁面、それぞれそのものや双方に接する境界領域を調査してみると、
境界領域において底面側が壁面の、つまりはプレートの沈み込みに合わせるように底面側の地盤が
より深度の高いほうに向かっての曲面をもっていることが分かった。
まずはこのことから、水銀がこの深度のためにかかっている高度の圧力により固化しているという説や、
何らかの固体が生じており、プレートの引き込みにより曲面形成しているという説、
水銀以外の何らかの液体が生じており、その表面張力により曲面形成されているという説
など多くの仮説が立てられると同時に、多くの仮説が棄却された。
その例としては一つ目の仮説が、水銀単体ではこのようにくっきりとした
界面は観測できないであろうことから棄却されたというようなことが挙げられる。

また、この潜航艇そのものや、潜航艇に装備されている機器のうち、
ボーリング用の管状切削器具以外ではこの底面よりも深い位置に潜ることはできなかった。
このことは2つ目の仮説である表面張力を持つ液体という仮説は立証できないであろうということで
棄却されそうであったが、表面張力のほか、粘性が高かったり、粘弾性を有していたりする場合は
その限りでないということで、かろうじて棄却を免れた

これらの違いが何に起因するかを確認するため、
地下構造の把握のための発振器と受振器を底面や壁面に貼り付け、発振させることで調査を行った。
調査の結果は、壁面構造がさらなる深みに伸びており、
この底面構造は水銀とも海溝壁の合金ともまったく違う伝振速度と屈折角をもっているようであった。
また、この壁面構造がもっとも深くまで存在していたのは、
底面が一番広い幅を持つ辺りであり、その深度は38052 mであり、
それ以深は反対側の壁とくっつき、惑星内部に沈み込んでいっているようであった。

特に興味深かったのは、この底面を構成する物質は、
潜航艇の潜航力を弾くほどの圧力耐性を持っているにもかかわらず、
比較的規則的な構造を持つ金属や結晶といった固体よりも、
液体や、非晶質な物質に近い性質を示していたことであった。

最後にこの不思議な構造など、ここでは調べきれずに後にせざるを得ないために、
研究棟に戻った後に詳しく調べる方針を決定した。

イ｢ふむ…分からない…か…｣
(では、自分が診てくるとするかな…)
(まぁ、今後更なる調査をすることもあるだろうが、
そのときに自分が呼ばれる…どころかこの世界にとどまっているかも分からないしな)

イアは、先の調査で使用した種子を用い、底面以深の調査をすることにした。

ザリュ…ザリュ……　…コッ…、コポン…ズズ、ザリ…ザリ……
まず始めは、小さく砂を擦るような音が響く。
不意に違った硬質な感触に触れる…
力をかけてゆくと、ある臨界点を境に唐突に抵抗が消える。
が、すぐにまた砂を引っかくような音が響くようになる。
さらに進むと音が消え、滑らかに進むことができるようになる。

(ふむ、界面だ界面だといっているが実際のところは遷移領域というほうが
しっくりときそうな感じであるといったところ…か…)

遷移領域の先に広がるのもまた液体であった。
しかし、調べてみると、水銀よりもかなり比重が重い金属であると同時に、
かなりの粘性を帯びていることも分かった。

遷移領域は2つの液体金属により形成されるアマルガムの一種であり、
アマルガム層の厚みがあまり無いのは、両層の混ざり具合がかなり低いためであると思われる。
また、形成されたアマルガム自体も一般的なものと違い、
硬質であり、合金が侵張しにくいことも一つの要因なのかもしれない。

加えていうならば、界面を抜けた後の液体中にも生命体は存在しているが、
上層のつまりは水銀を主体とするような世界とはまた一風違った生態系が発展しているようであった。
まぁ、領域の大きさが限られているために多様性があまり高くないと同時に、
大きな生き物もほとんど見当たらない。

(まぁ、全ての海溝にこれが在るのか、この海溝のみの特殊な状況なのかは不明であるし、
底面以深が液体であることが分かったのならば、生命があるかどうかも含め
この海溝について、再度の潜航調査があるであろうな…)

調査用の試料はボーリング用の切削器具を用いて採取しようとしたが、
そのままでは界面上方の水銀部分が保管している間に揮散・下方への混入などにより正確に、
計測できないことから試料を機器が採取すると同時に冷却し、
構造を固定化させるコールドサンプリング法を用いて試料を採取した。

そして…この広間を後にする。

その後も、この海溝をどこまで進んでいっても、11120 m以深は底面により遮られていた。

先に進むにつれ、最深深度が浅くなる。
底面の存在する領域は、それにしたがって占有比が減り、まばらになっていき、
…ついには消えた。

case.2 part.9 fin.