ENo.159 グリス・キアロ

目を覚ますと簡素な石造りの天井が見えた。
申し訳程度にかかっている薄いカーテンから斜めに光が差し込んでいる。太陽の向きからして昼を少し回ったくらいだろうか。
うっかりと寝過ぎてしまった…そんな事を思いまだ目覚め切らない重い体を持ち上げると、低いサイドチェストに置かれた水差しからぬるい水を喉に流し込んだ。

島を離れて立ち寄ったこの土地は、少し気温は高いが水源も豊富で良い街だ。
何より各主要都市へ向かう中間地で行商人が多い。腰を据えて情報収集するにはこれ以上の場所はない。事実、この街に情報を求めて逗留してからもう半月が経っている。
故郷の軍とは時間はかかるが連絡を定期的に取っている。あちらにはまだ島の調査をしていると報告をしておいた。まだ探すべき物と知るべき事が残っている以上、帰還命令を出されると面倒だと考えたからだ。それに時折かつての島の情報も仕入れている。半ば誤魔化してはいるが嘘をついているわけではないから良いだろう。馴染んだ場所へ帰りたいという気持ちはあるが、まだその時期じゃない。それは良く判っている。遠く離れた国だ、連絡の遅延くらいは大目に見てもらえるだろう。
国を離れてすぐに中尉昇進していた事実も島を出た後届いた書類で知った。…と言っても現状国の外に出ていては階級なんてあって無い様な物ではあるのだが。野戦昇進と言うには野戦に遠く、もしかしたら国の外で自分が死ぬ予想でもしていたのだろうかと思う。…ほぼ一生国から出たがらない長命種の事、強ち間違ってはいなさそうなのが何とも言えなかった。

現地で購入した服の上に薄い日除けのトーガを羽織り、細身の刀を腰に吊るす。
“宝玉が揃わないと島の宝物は持ち出せない”その言葉の通りに島の素材で作った装備や資材は全て朽ちて消えてしまった。今持っているのはこの街に来る途中仕入れたものだ。島のものに比べるとどうしても見劣りがするが、一人で行動する以上丸腰で動くわけにもいかない。
送られてくる資金だけでは全ての装備にまで手が回らず、時折傭兵じみた仕事もやっている。島で揃えた物全てを一夜の内に失ったのだから、資金が足りないのは当然と言えば当然だ。他の冒険者の間に混ざりつつ、それでも軍式を忘れないのは体にもう染み付いてしまっているのだろう。『すっかり訓練されたイイ軍人になってるぜ、それ』いつだったか島で交わしたそんな会話の一遍を思い出して、少しだけ笑った。

そんな時に、僕はあの人と再会したのだ。

―　FI2→FI3　―

あの日、風の宝玉を手にした時。
何時ものように身体に吸い込まれると思ったマナが逆流した。
「逆流」と言ってしまうのも少し違う気はするが、とにかく今まで身体の中に滲みこんでいたモノが一斉に外へ逃げ出そうと動いたのだ。

ずしん、とまるで身体が重力に潰されるような感覚。
膝が地に落ち、其処から立ち上がることすらままならない。

「ッちっくしょ…！！こんな時にぶっ壊れやがったッ！！」

吼えるようにキトが喚くと同時、耳の直ぐ近くでみしりと何かが崩れる音。
視線の先、島の景色がぐにゃりと歪んだ。まるで一枚の写真をでたらめに引き伸ばしたみたいに。
そしてその中心からアリ地獄に引きずり込まれるかの如く風景が真っ暗な何かに飲まれていく。

「…っ、島が！」
「テメエら走れ！！アレと同じ棺桶に入りたくなかったらな！」

珍しく焦りの色を見せるキトの様子に非常時と一瞬で理解する。
きっと、多分、あれは“抗い難い何か”なのだ。頭の何処かで「呑まれたらそこで終わりさ」と何かが囁く。
急激にマナを失って力の抜けた足を叱咤し、出来うる限りの速度で全員が走り出した。
足が重い。いや、これが本来の走力なのだろう。風の如く駆けていられたのはマナの所為。
手元にあった帰還の魔方陣はちらとも光らない。

10歩後から深遠の淵が追いかけてくる。
9歩後から。8歩後から。
7歩、6歩…。

森の切れ間から遺跡外への階段が見え…その瞬間からふつりと記憶は途切れた。

＊

「………あ。」

気がつけば遺跡の外、島の海岸近くにある樹の下に突っ立っていた。
まるで初めて其処にきました、と言わんばかりの空気。
周りを見渡すが、誰もいない。

いや、自分は独りだったじゃないか。
独りで島に来て…まだ誰も見ないうちに一体何を探そうとしていたのか。

「…？？　まいったな…旅疲れでも出たのかな？」

ちり、と思考に何かが過ぎる。
頭の中を引っ掻き回されたような不快感。

「？？？……なんだ…何かが…？」

長い夢を見過ぎて浅い睡眠しか取れていなかった様な靄のかかった思考。

「それにしても…やけに眩し…」

顔の左側に夕日が当たっている。
眩しいのはこの斜陽…。

「…違う。」

その言葉の先は夕日ではない。嫌にクリアな左目の視界。
鏡を見なくても判る。今、自分の左目はくすんだ灰色ではなく…深い戴藍色。

アレは夢じゃない。
それに気がつけば、残りの記憶を取り戻すのは随分と早かった。