ENo.674 ダーシャ・ヴェル

　

蝋燭の灯が揺れている。

髪や鎧にわずかに積もっていた雪が溶け出して、ダーシャの歩いた後の床に水滴の跡を残した。
簡素な部屋。ベッドは大柄なダーシャには少々窮屈そうなサイズではあったが、そこに掛けられたリネンは柔らかく清潔だった。

留め具の外れる音が部屋に響く。ぱし、ぱし。
暗い窓の向こうでは風が少しずつ強くなってきた。ぱし、ぱし。雪が窓に張り付く音。

身体を覆っていた鎧の重さから解放されて、固くなった首を回す。
蝋燭の灯が揺れている。

はたとダーシャはそれに気づいた。
真鍮の燭台。蜜色の裸の蝋燭。灯が揺れている。
いつもはそこにないはずのそれが。

「ダーシャ？」

灯のともった蝋燭の乗った燭台を持ったダーシャに、ドーラ・シーラが声をかける。
いつものようにすべてのランプに灯を入れ終えたというのに、なぜか燭台の灯を消すこともせず、ダーシャがどこか所在なさげにぼんやりと立ちつくしていたためだ。
ダーシャがドーラ・シーラの騎士となってから、初めて過ごす冬だった。

「――蝋燭を」

鎧を纏ったままのダーシャがそれだけ答える。
ドーラ・シーラはダーシャを見つめたまま小首を傾げ、ややあってから、あら！と声をあげて目を細める。

「一年の終わりに祈りを込めて？」

ふうん、へえ、といった具合にダーシャの傍へ歩み寄ったドーラ・シーラが、やがてダーシャの正面に立つ。
蝋燭の灯が揺れている。その向こうで、ドーラ・シーラの青い瞳が、やはりぎらぎらと、しかし静かなほのおを写して燃えていた。

「ダーシャ、あなたって存外人間らしい事をしたがるのね？」

ダーシャの眉間にわずかに皺が寄る。
それを見逃さないドーラ・シーラが、いっそう楽しげにダーシャの暗い瞳を覗き込む。

「あなたどんな祈りを捧げようとしていたの？ねえ、ダーシャ！」

そうして、
歌うように言葉を紡ぐドーラ・シーラの唇が、一瞬でその灯を吹き消してしまった。

…

剣を支えに身体を起こしながら、ダーシャは自身の行く先を見た。
永遠にも続きそうな深い森には木漏れ日が注ぐ事もなく、道なき道のその先は、まるでけものが暗い口を開けているようにも見えた。もうじき夜が来るのだろう。

吐き出す息が白くくもって、ダーシャの視界をよぎって消えた。
ぱし、ぱし。何かが小枝を鳴らす音がする。いよいよ闇に飲み込まれゆく森の中を、ダーシャは一人歩き出した。

蝋燭に灯を灯すものは、誰もいない。