ENo.501 コニベア＝シルバースター

コニベアの手記

フェルフリクス歴12年　嵐月８日

皆が寝静まった、夜半。

オルゼの宿の一室で、
蝋燭の小さな明かりを頼りに、私はこの日記を書いている。

………昨日。
別行動していた二人が怪我を負った。
疲れきって歩けなくなってしまったピスケスさんを、背負って歩いていたエミル君。
あの小さな体で、ピスケスを背負って歩く……
はじめ聞いた時、軽く目眩がした。
そのまま二人組の女の盗賊に襲われて……必死で応戦したけれど、倒れてしまったらしい。
そんな危なっかしい状態の女性と子供を見たら、そりゃそうだ。
私が盗賊だったら狙うに決まっている、当たり前だ。
エミル君はどうしてそんな無茶をしたのだろう、と最初思ったけど、
責任感の強いエミル君のことだ。
ピスケスさんのために自分一人だけで、何とかしようとしたのだろう。

そんな状況を見て何もしようとしなかった黒佐さんとシルバーさんの二人に、
一瞬、はらわたが煮えくり返るような怒りを覚えた。

　“大人が、子供に一体何をさせているのか！”

オルゼの街中で、飄々とした二人を前に、
怒声を浴びせかけようとしてしまったが、すんでのところで思いとどまれた。
ピスケスさんが少し体調悪そうにしていたのは、私も四人と別れる前に、気がついていたことだったのだ。
そんな私が、あの二人と何が違うのだろう？
それに、倒れたエミル君とピスケスさんを、オルゼまで連れてきてくれたのはあの二人だ。
あの二人にも二人なりに、なにか考えがあったのかもしれない。

それに比べ、私が何かエミル君にしてあげられたのか？
ピスケスさんとエミル君に無理をさせて……傷つけた。
“エミルくんも責任感じたり無理し過ぎたりしちゃだめだよ？”
なんて、何の救いにもならない言葉をかけて。馬鹿なんじゃないだろうか！
そして今その八つ当たりとばかりに、黒佐さんとシルバーさんに当たり散らそうと、している。

子供は、一体誰のほうだ？
苦難に必死に立ち向かっていったエミル君のほうが、よっぽど大人なんじゃないか？

……全部私のせいだ。

ぐっと言葉を飲み込んで、唇を噛み締め。
宿で休んでいるエミル君とピスケスさんの看病を、他の人に任せて、頭を冷やすためにオルゼの街をがむしゃらに歩き回った。

街のハズレまでいって、中々火がつかないマッチにイライラしながら、煙草をふかして。
それからついでに買い出しをして、怪我や疲れに効きそうな薬を探したりして、
酒場で情報集めをしてから……遅めに宿に戻った。
今日だけはちょっと、皆と顔を合わせられそうになかったから。

明日の朝からは、元の私に戻る。今の私は、兄さん達と一緒にいるわけじゃない。
子供じゃ、いられないから。

そんなこんなで、折角ベッドがあって休める貴重な日だというのに、こんな遅くに日記をつけている私。
だって、昨日も疲れてさぼっちゃったし。一度サボりぐせがつくと、だらだらとさぼってしまいそうだし……

……今日、私があんなに自分を抑えられなかったのは、どうしてだろう？
なんて……答えは一つに決まっているんだけれど。

私が辛酸を舐めた、幼い頃の記憶。意識していなくても、それが頭の中に染み付いて……離れないのだ。
私を縛り続けている、それ。

物心つくか、つかないかのころ。私の実家はとある事情で、燃えてしまった。
その時以前のことはあんまり覚えてないのだけれど……
人生のどん底って奴を、随分若いうちに味わってしまったような気もする。

右も左もわからない子供なのに、どうしてか一人だけ落ち延びてしまった私は、
森の茂みの中をひたすら歩いて、どうにか集落らしき場所にたどり着いた。

そこがどこかも分からない町の市場で、お腹が空いたから、目の前にあった果実に手を伸ばした。
……けれど、それは食べちゃいけないものだったらしい。
今まで、食べることに苦労なんてしなかった私は、そんな簡単なことすら知らなかった。

手にとってかじった瞬間、視界がぐらり。目から火花が散るというのはああいうことを指すのだろう。
はじめて味わった、拳骨の痛み。
何が起こったのか分からなくて、手に取った果実をぽとりと落し、目を大きく開いて、相手を見つめる。
背が高く、がっしりとした体格の店主が、激しく怒気のこもった瞳で、こちらを睨みつけていた。

私のことを縄でぐるぐる巻きに縛り付けたお店の人は、
心底嫌そうな顔をして、「また戦争孤児か…」と一言だけ。
それきり、私と話す気も、私の事情を知りたいという気も無いみたいだった。

頭の痛みで忘れていた空腹を思い出しながら、ぼーっとしていると、
また別の、ちょっと派手目な服装の、中年の人が私の元へやってきた。
今までの私は、ああいう格好の人のほうが多く見てきたけれど、でも、本質的にどこかが違うような、
どこか真似して取り繕っているような、ちょっぴり下品なような。

そのおじさんは私の顔を見て、にっこりと笑顔を浮かべたけど、その笑顔に、当時の私は気味悪さしか感じなかった。

少し離れた所で、

・・・・・・・・またこないだの革命の孤児なんだろうあの髪の色だ恐らくそれなりの出自だ言っておくが俺は何もいらんぞただ店の物を盗ろうとしたが物取だからといって子供もゴミとしか見ていない役人共に引き渡すと後味が悪いからお前に引き渡しているだけだ分かっているまったくこないだのあれのおかげで商売繁盛して大助かりだ特に健康で四肢を失っていない女の子供は買い手が多いから良い値がつくもういい加減にうんざりださっさと引き取って帰ってくれないか何をそんなに嫌そうな顔をしているのだ貴様はいいことをしているのだいいこともくそもあるか非合法なことで私服を肥やしている癖に偉そうに胸糞が悪いなんだと・・・・・・・

なんて会話がとぎれとぎれ聴こえてきたけど、当時の私にはその内容は理解できなかった。

……カクメイ。

その言葉の意味を、ぼんやりと考える。
私の父と母も、そのカクメイとやらで地位を得た、と聞いたことがあった気がする。
それなのに、家を焼かれるのもそのカクメイのせいなのだろうか？
よく、分からない。
思えばうちの外を一歩も出たことがなかった私が、分からないことだらけなのも、当然なのかもしれない。

フンッと不機嫌そうに鼻を鳴らして、おじさんは私の腕を掴み、早足で店の外に出ていこうとした。
私は転びそうになりながら、必死に歩いて行く。
そのまま私は、おじさんの連れていたお手伝いさん？に、
がちゃり。と首に、ひんやり冷たい鉛の首輪を付けられて。
荷馬車の中に放りこまれて。どこか、別の場所に運ばれていく。

その荷馬車の、木の車輪はあまり、地面を転がる衝撃を和らげてくれはしない。
もともと人を乗せる設計ではないのだろう、振動が酷い。
揺れの少ない場所を探そうと、立ち上がった所で、車輪が何かに乗り上げたのだろう、ガタン！と大きくまた縦に揺れる。
私はふらつき、動くことを諦めてぺたりと座り込んだ。

……鈍色の首輪が、振動で首に擦れて痛い。
指でなぞってみると、皮が破れて、少し血が滲んでいた。
暗い荷馬車の中で、その紅色をじっと見て、初めて、私は涙をこぼした。
声を上げたらまたぶたれるんじゃないか。それが怖くて、啜り泣く。

………どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

そこまで書き進めて、ハッと我に返った私。

蝋燭の火の向こう側に、碧い髪の少女……アクエイルちゃんが立って、こちらを見つめていた。
……睡眠が必要ないとはいえ、無理にこんな時間に動く理由も無いはずなのだけど……
手帳を閉じ、用件を尋ねようとすると、軽く会釈をして、そのまま私に歩み寄る。

彼女がそっと差し出したのは、真鍮製のマグカップ。
中には紅茶が入っているようで、湯気を立てている。

“失礼致します。
　コニベア様が集中されていらっしゃるようでしたので、
　邪魔にならぬよう、そこでお待ちしておりました。”

……なんて、感情の読み取れない透明な瞳で、私をまっすぐに見つめながら言うもんだからドギマギしちゃった。

“ありがとう。ちょうど喉が渇いたところなんだ。
　今日はエミル君とピスケスさんの看病を任せきりにしちゃって、ごめんね”

できる限り自然に返答して、取り繕った。
カップを渡した彼女は、また軽く瞳を閉じて会釈をし、そのままくるりと踵を返し、
すたすたと、彼女のマスターの部屋まで戻っていった。

…先ほどまで書いていた頁を、開く。
一から読み返して……途中で耐えられなくなり、また閉じる。

なんでこんなこと、ここに書いてるんだろう？
誰に読ませるわけでもないのに。こんなこと誰にも知られたくないのに。
そっと手を首元に伸ばして、金色のチョーカーを撫でる。

その下にある、消えない痣。
誰にも見せたくないし、誰にも同情されたくもない、私の過去。

一瞬、書いていた頁を破り捨てようかとも思ったけど、
片手に持ったお茶の暖かさが、それを思いとどまらせてくれた。
一口すすって、深くため息をつく。
立ち上がって、大きく伸びをする。

どんなに隠そうとしたって、私が生きてここに居る以上、私の過去は常に私について回る。
いつか、信じて話せる相手が、兄の二人以外にも……できるといいのだけれど。
仮面の私にそんな人が現れるとは思えない。

………そう、そんな風に、
私はずっとこの仮面を『言い訳に使っている』。

自身の呪いを解きたがっているグレイス兄さんと違って、
私は、私にかけられているこの呪いを解くのが怖い。
私の顔を見られるのが、怖い。私の仮面を外すのが、怖い。
私の首と手首に残って消えてくれない青い痣を見られるのが怖い。
私の心の内を知られるのが……何より怖い。

心を開けるのは、兄さん達二人だけ。あの二人だけ、そう、本当に心から思う。
私にはあの二人だけ居てくれれば、それでいいのだ……

だから、どうにかしてシルヴェスター兄さんを見つけて。
グレイス兄さんと仲直りさせて。
また、三人で一緒に仲良く。
ずっと三人で、仲良く。
暮らしていきたい。

それ以外に、私が望むことは何もない。
　