ENo.489 アイアンローズ

　スティルフまであと少しと迫った、小さな森の中。
　街に入る前の最後の休憩をとりながら、アイリーは浮かれていた。
　まさかこちらの世界でも、「クリスマス」に似た行事があるとは思わなかった。知っていたのなら
もっと色々準備をしたのだが、それはもう仕方がない。出来ることをやろう。

（とりあえず飯だな、いつもよりがっつり作ろう。デザートもありゃ良いんだが……スティルフに着
いてから調達するしかねえか。宿は台所付きのところが良いが、こっちは他の二人次第だな。ツリー
……は流石に無理だろうから、せめてポインセチアは用意してえ所だが、ここで手に入るのか……）

　そんな事を考えながら、しゃがみこんで鞄を開く。
　使えそうなものがないかどうか探していると。

「何かアイリー君、楽しそうだねぇ」

　見回りから帰ってきたらしいハルが、そう声をかけてきた。相変わらず気配がない。
　どうにか平静を装いつつ鞄を閉じて（めぼしいものを引っ張り出すのは後にしようと思いながら）
アイリーはハルに向き直った。

「――ああ、すみません、つい浮かれてしまいまして」
「何かいい事でもあったの？」
「いい事、と言いますか……こちらにもクリスマスに似た行事があると伺いましてね。それで、どう
準備しようかと」
「くりすます？」

　きょとんとした顔でハルが尋ねてくる。
　そうか、これはあくまでも「クリスマスのような行事」であってクリスマスそのものではない。そ
の上ここは異世界だ。クリスマスという言葉が通じないというのも、十分有りうる話だった。

「ええと、わたしの世界で年末に行われる宗教行事の事です。わたし自身は、その宗教に入っている
わけではないのですが――あの祝祭の雰囲気だけは、気に入っておりましてね。この時期になると、
つい気分が浮わついてしまいまして」

　アイリーはクリスチャンではない。幼い頃に教会に行ったりはしたが、どうにも馴染むことができ
ないまま大人になってしまった。魔術師なんて職業に就いてしまった以上今から入信する訳にもいか
ないだろうし、したいとも思わない。
　しかし、クリスマスの雰囲気そのものは好きだった。十二月に入り、少しずつ高揚していく街の空
気や、ツリーのオーナメントを選ぶ楽しみ、クリスマス当日に用意する料理の準備などは、どれもア
イリーにとって好ましいものだった。
　彼の子供時代でも数少ない「楽しかった思い出」の一つがクリスマスであることも、無関係ではな
いだろうが。

「準備らしい準備もできておりませんが、今日の夕食はわたしなりに張り切ろうと考えております。
ご期待下さいね？」
「ふふ、それじゃあもっと歩いておかないとなぁ。お腹すかせとかなきゃ勿体ないし」
「……そ、そうですね。今日はかなり歩きましたし、それなりに空腹になるかとは思いますが」

　……ハルはどのぐらい食べる男だったろうか。ちゃんと確認しておけば良かったと少し悔やむ。よ
く考えれば、この年頃の真っ当な成人男性なら結構な量を平らげるものだ（不健康そのものであるア
イリーは脇に置いておいて）。
　割と多めに料理してもいいかもしれない等と考えつつ、アイリーは立ち上がった。

「さて、と……ハルさん、外法之助さんはどちらに？」
「臥待君？　さっき戻ってきたみたいだったよ」
「ありがとうございます。それでは、また後程」

　ハルと別れて少し歩くと、彼の言葉通り、近くの樹の根本に外法之助が座っていた。胡座をかき、
目を閉じて何か考え込んでいる。腕に抱えた色とりどりの花達が、風に吹かれて揺れている。

「外法之助さん、お願いしたい事があるのですが――よろしいですか？」

　アイリーがそう声をかけると、外法之助は目を開け、視線だけを動かしてアイリーを見た。

「なんだ」
「今日は花屋の客としてのお願いですよ。お花を見繕って頂きたいのです」
「……お前が欲しがるとは珍しいな」
「こちらでは、そろそろお祭りと聞きましてね。夕食の席に飾ろうかと」
「……、どの花だ」

　意外そうに目を細めてから外法之助が問う。アイリーはさっと花束に視線を走らせたが、目的のも
のは見当たらなかった。

「ポインセチアという花です。他に名前があるのかもしれませんが、わたしはこの名前しか存じませ
んでして。外法之助さんのところでお取り扱いがあれば、で構わないのですが」

　出身世界が違う以上、花の種類や名前が異なる可能性は十分にある。しかもポインセチアにはアジ
アのイメージがあるとは言いづらい。外法之助はどう見てもアジア系の文化圏を背景に持っている男
だ。そこにポインセチアが浸透しているかどうか、アイリーには分からなかった。
　しかし、今回は杞憂に終わったらしい。

「ポインセチア？　ああ、あの苞が赤いやつか……」
「お持ちなのですか？」
「ちょっと待ってろ」

　言うが早いか外法之助は立ち上がり、ふっと木々の中に消えた。いくら目で追っても見つからない。
アイリーが首を傾げているうちに、外法之助がどこからともなく現れた。
　その手には。

「あ」
「これだろう」

　燃え立つように赤いポインセチアが一束。

「……ポインセチアの花言葉は、『祝福』、『わたしの心は燃えている』……だそうだ」
「よ、よくご存知ですね」

　仏頂面でさらりと花言葉を言う外法之助に、アイリーは思わず聞き返したが、外法之助は至って涼
しい顔で「商売だからな」とだけ答えた。

「それにしても見事な花ですね、ありがとうございます。……っと、お代ですが、お幾らでしょう？」
「代金は、……つまみを一品増やせ」

　思いがけない答えに、アイリーは目を丸くした。

「おつまみで、よろしいんですか？」
「組んだよしみだ。丁度酒も手に入りそうだしな」

　そう言って口の端を上げてみせる外法之助に、アイリーもにんまり笑って答える。

「承知いたしました。今夜は張り切らせていただきますよ」
「……ああ、期待している」

　ポインセチアを受け取り、腕に抱えて顔を寄せる。鮮やかな赤が眩しい。
　知らず知らず、口元が綻ぶ。

（ああ、あのキノコも食っとかねえと。夕飯の直前にするか。出目によっちゃあ、料理する時に面倒
だし）
（そういや、春菊の交換もあるっつってたな……ホントに春菊かは知らねえが。さて、何から始めた
もんか――）

　そんな事を考えている自分の表情がひどく幼げで、子供じみていることに、アイリーが気づくはず
もなかった。