ENo.2384 モリントゥルサス

静寂がそこにはあった。

遠くからかすかに聞こえてくる歌声、そしてうっすらと閉じた瞼に差し込む光
ここが天国なのだと、レナは思った。
パパとママに会える…己の死よりもその喜びがわずかに勝ったのか
レナは恐れることなく目を開いた。

「あれ？わたし？生きてる？」

薄光が差し込む部屋に目が慣れてきたレナは辺りを見回す。
遠くから聞こえてくる歌声は収穫を祝う祭のものであった。
かつて己が住んでいた家をいくつ足せばよいのか分からないほど広い部屋は見たこともない程に
豪奢であった。王侯貴族を思わせる、この空間に何故自分はいるのだろう？
けして裕福な暮らしではなかったレナから見ても部屋に置かれた調度品がいずれも値の知れぬものであることは
すぐに分かった。
家族で一緒に寝てもまだ余裕があるであろうサイズのベッドには天蓋が半分おろされ
ゆっくり休めるよう配慮されているようだった。
凝った意匠の施されたチェストに美しい象嵌の施された陶磁器の水差しが置かれ
その横には見慣れぬ、金属製と思しき笑顔をモチーフにしたプレートが置かれている。
一通り部屋を見回すとレナは自分の体の異変に気づく。
自分に着せられた絹製の寝具の裾から、おびただしい数の金属の束が伸びていた。
それはチェストに置かれたプレートに繋がれている。あまりに違和感がなく気づかなかったが、
それは自分の首筋にも繋がれ静かに脈打っているようだった。

「や、何コレ！？」

軽い恐慌状態に陥ったレナは必死に体に繋がれた何かを取り外そうとする。
だがそれは、まるで体の一部になったかのようにピタリと張り付いていた。

「やだぁ…パパ！ママ！！」

恐ろしさのあまり泣き出しそうになるレナの頭の中に声が響く。

『落ちつきなさい、今外してあげよう』

その声は深く静かでレナの恐れを一瞬で吹き飛ばす力がこもったものであった、そして何より
レナにはその声に聞き覚えがあった。

「てんしさま？？」

レナの問いかけに答えるように、音もなく金属製のコードが外れていく
それはチェストに置かれたプレートに引き込まれる。最後に軽く震え、首につながれている最も太いコード以外を
収容し終えると、プレートの口が唐突に動いた。

『首に繋いであるメインコードはそのままにしておいてくれ、維持レベルがまだ安定していないのでね、
生体電流に同化したとはいえ、現状君の体は物理的には死の状態であると言える』

何を言われているのかまったく理解できなかったレナであったが、死と言う単語を聞くとおとなしく
それに従う事にした。外せばよくないことが起こると言っていることだけは理解できたからだ。
そして、もう一度問いかけようとした瞬間金属板が話し始めた。

『私はクエーサー、私自身は何者かであると言う問いに対してはモリントゥルサスであり、かつ君と同化
しているのでレナであるともいえる。よって私はクエーサーであり、モリントゥルサスであり、レナである。コレが二番目の答えだ」』

何を言っているのかまったく分からないレナであったが1つだけ気になることがあった

「同化ってどういう意味？わたし何か違う人になっちゃったの？」

『君の生命力を補う為に、私の精神エネルギーと同化したという事だ。
我らクエーサーはそもそも個という概念をあまり重んじない、全体があるが故の個であるからだ。
しかし確かに私はモリントゥルサスと言う個体名を持ち、クエーサーでありモリントゥルサスでもある。
君はクエーサーでありレナである。人間のレナと言う枠組みにクエーサーが加わっただけだ
それは君の同居人である私によってもたらされた、故に違う人になったと言うわけではない」』

レナは天井を見上げて考える、奇妙な金属板の言う事はなんとなく分かったような気もするし、分からないような気もする。
ただひとつだけ確かな事は、このモリントゥルサスと言う何者かが自分の命を救ってくれた事だった。
他人に礼を言う事に慣れていないレナは少しもじもじしながら意を決して口を開いた

「あの、その…助けてくれてありがとう…モリントさん」

あらかじめ何を言うか分かっていたようにモリントゥルサスは答える。
初め見たときは奇妙に思えた笑顔の金属板が少し親しげな表情になる。

『気にする必要はない、私もこの世界での肉体が必要だった、言ってみれば相互補助だ。
そうこの街の図書館で読んだ相互補助する関係、家族…そう、家族だな。
そういうものだと思えばいい、君には私が、私には君が必要だった、そういう事さ』

その声は静かであったが自分自身と対話するような心地よさがあった、レナは自分が一人ではない事を強く感じた。
それはモリントゥルサスの言う、全体があればこその個であるという事なのであろうか？

ふとレナは気づく己の頬をつたう涙の存在に
それは父と母を失った悲しみか、それとも己だけ生き残った幸運にか…分からなかったが涙はとどまる事がなかった。
何も分からない自分が悔しく思えて、低く嗚咽するレナにモリントゥルサスは言った

『少し眠るがいい、目が覚めたら少しは気分も晴れるだろう。そして…いやそれはまだ良かろう』

レナはベッドに身を横たえると、すすり泣きながら目を閉じる。音もなく金属板からコードが体に吸い付き
静かに脈動を始める。
再びレナは深い眠りについた。

三日後〜小高い丘にて〜

『だいぶ慣れてきたようだな』

かれこれ数時間リハビリを兼ねた運動をしていたレナはその言葉を合図に近くの木に座り込んだ
上気した頬が赤く染まり、まだ蕾ではあるが美しい花が咲く事を予感させている。

街から数キロはなれた丘には巨木が茂り、あたりには大小さまざまな石碑が建つ
古い民族の儀式場だったと思しき場所である。

「前より、うまく動けるみたい、わたし運動とか苦手だったのにな」

『私のもつ知識が肉体の動きをコントロールし同化した電流が潜在能力を引き出しているのだ
とはいえ、まだまだだがな』

レナは相変わらず何を言っているのか分からなかったが、満面の笑顔で答えた

「そっか！よくわかんないけど運動神経抜群になったってことだね！」

その顔から、数日前の悲嘆にくれた表情は伺えなかった。真実どうであるかを同化したモリントゥルサスは
聞かずとも分かってはいたが、あえてその事に触れる事はしない。

『とりあえず基礎的な動きはコレでよかろう、次はコレを持って振ってみるがいい』

突如何もない空間に巨大なハンマーが現れる。まるでずっとそこにあったかのように銀色の鈍い光を発する
ハンマーはその恐ろしいまでの質量を大地に打ち込んでいた。
レナは口を尖らせモリントゥルサスに文句を言った

「モリントさん、さすがにコレは無理だよぉーこんな重いの持てるわけないよ」

と、レナの手にすっぽりとハンマーが納まりしかもそれはまったく重さを感じさせなかった。

『持てるだろう？何しろ私がおまじないをかけておいたからね』

レナは軽くハンマーを振ってみる、それはほんの少しの重さも感じさせずに目の前を通過していく。
試しに地面に叩きつけてみると、驚くべき事にそれは地面をすり抜け何事もなかったかのように目の前で止まった

「軽い…ていうより何も持ってないみたい、感触はあるのに重さを感じない…すごいおまじないだね
でもでも、これ今地面素通りしちゃったよ？重くないけど当たってもすり抜けちゃうなら意味がない？」

レナは全く重さがないハンマーをくるくると回しながら唸っている、彼女は家の手伝いで井戸からバケツをくみ上げる
ことでさえ難儀するほどに非力だったのだ。
自分の認識で全く理解できない事に彼女は首をひねるばかりであった。

『正確に言うと重さが無いというわけではない、ある特定の粒子を遠ざけて、質量を０にしているだけだ
質量を持たないが故に万有引力の法則にもかからずに物体を素通りすると言うわけだ』

「んー、何が『というわけ』なのかは分からないけど、このハンマーにはどういう意味があるの？」

静かな笑いの感覚が頭の中に響く

『良かろう、ならばもう一度地面を叩いてごらん』

モリントゥルサスがやさしく促す。
レナは力いっぱい地面を叩く、当然さっきと同じようにすり抜けると思ったレナであったが
結果は違った

ドドドドドオーン

巨大な地響きを上げハンマーは地面にめり込む、あたりの石碑が数メートル浮き上がり
元の場所に落ちる（やや斜めになったりはしたが）

「うそ！なにこれ…」

『と言うわけさ、重力制御と呼ばれる技法なのだ。クエーサーが旅をするときに光速を越える際に利用する。
クエーサー粒子と呼ばれる[物質に質量を与える粒子]を物体から遠ざけ、
対象の物体の質量を0にする事が出来る、理論上はそのハンマーでも光速は出せるが初速はレナの力に
依存するのでそこまでの速度は事実上は無理だが、衝突時にクエーサー粒子を集中させる事で本来持つ質量を
付加し相手にダメージを与える事が出来るのだ』

「小鳥さんごめんねー」

半分以上ちんぷんかんぷんなレナは驚きのあまり周囲を飛び回る小鳥に謝っている。

『本来は私の力が使えればいいのだが、君の生命維持のためにほぼ全ての力を割いているからな
よって婉曲的ではあるがこのような手段を使う事にしたと言うわけだよ』

レナは何も答えなかった、不安が彼女の心を満たす

『言いたい事は分かる、よって端的に答えよう。この世界は滅びに向かっている、あの時私は言った
まだ生きたいか？と君を生かす為にはこの世界の滅びを止めねばならない』

「でも、そんなの怖い…わたしに何が出来るの？」

レナの越えは震えていた。父母を失い自らの命もなくしかけた不幸にさらにこの世界の滅亡と言われては
幼い少女が受け止めるにはあまりにも重かったのである。

『わたし、ではない、私と君だそして旅の仲間も居る。さらに世界の異変に気づいているものは多い
我々だけで何かが成し得る訳ではない。しかし我々が動く事で変わる未来もあるだろう？
君と私の出会いのようにね』

風が丘を渡る、汗ばんだ髪を乾かすように心地よく吹くその風は旅立ちの合図でもあった。
決心がついたわけではない、怖くないわけではない。

だが何故かモリントゥルサスの言葉を受け入れよう、そんな気にレナはなっていた。
レナは深く息を吸い込んで大きく吐く

「一緒に行こう！世界を…そして私を救う為に！」