ENo.2262 アス

行動を共にする一行の疲労は確かに思ったより濃いようではあった。
無論のこと此方も例外ではなく。
‥自らのことは外から見てどうかは判らぬから横におくとしても、少なくとも\xFB~斬はある程度消耗しているように見えた。
直接彼から聞いたではないものの‥刀の化生であるらしい彼は、今はまだ自立して動くことには不慣れということなのだろうか？
もっと他の要因もあるのかもしれないけれど‥今のところは、カガチさんが結果的に誘導尋問で引き出せた答えしか彼のことについては知り得ていない。
斯く云うカガチさんは――此処に来てからもしっかり食事を形はどうあれ欠かしていないからか――まだまだ余力を残しているようであったけれど、街の滞在を一日伸ばす、という意見には殆ど二つ返事で賛意を表す段となった。
無法地帯ながらも、一定の秩序が守られているという二律背反の元で休息を取り。

暇を余したが故に誰ともなく、というか。
寧ろ、こうなる事を承知の上でだったというか。

陽が沈みだす一息前の頃合。
案の定、海を臨んで散策している際に何回目かはもう判らぬ賊の襲撃を受けた。

戦端が開かれると殆ど時を同じくして、単身であるように見えた賊の周りにふわふわと珍妙なものが浮遊しているのに気がついた。
‥厩舎の掃除で大変世話になった、なじみのあるもの。

今回は、浮いて突撃してきて尚且つ喋る、というとんでもないたわしを賊は従えてきていた。

先んじて動いたのは、\xFB~斬だった。
完全に互いの間合い外から一足で踏み込んでの奇襲。
不気味ながらも鮮やかな剣閃は――

「‥‥ちっ」

如何せん、的が小さいからか。
それともやはり本調子には遠いのか、舞うたわしそれぞれの端を掠めるに留まった。
‥背中が口惜しさをにじませている。
けれど、十分すぎる程の牽制にはなったろう。

機に応じて此方も畳み掛けようと思ったものの‥誤算がひとつあった。
‥相手は、たわし。
戦術的な視点はどうやら持っていなかったようで――牽制など何処吹く風の如く、３つそれぞれがこちらにいきなり雁行突撃を仕掛けてきた。
直撃はしないにせよ、此方の攻勢をくじかれる。更に連携よろしく踏み込んできた賊彼に肉薄されるのを許してしまう。

振り上げられ、放たれた一撃は力こそ篭っているようには見られたけれど。
その腕は屈強とは言い難く、得物に関してもとても有効には遠いものだった。

だったはず、だったのだが。

躱したと思った一撃目のあとに受けた二撃目は、決して重いものではない。
体勢を立て直すまでもなく反撃に移れるはずだったのだ。これまでだったなら。

けれど俺の身体は――やはりと云うべきか――傾いた。

これより熾烈な攻撃を、俺は幾度も隣の竜人と肩を並べながら受けたはずだ。
迫る術式に敢えて身を晒して友軍に被害が出ぬよう身を盾にしたこともあった。

そのときも吹き飛ばされはしたものの、直ぐに体勢を立て直して敵を睨むだけの余裕はあったと記憶している。
けれど。
どうやらやはり、そんな頑強さは殆ど失われてしまったらしい。

大した衝撃ではないはず。
それなのに酷く、軋む身体。

がたつく脚に、翼に鞭を打って再び宙を舞う。
こうすれば‥飛行系の種では相変わらずないからして延々とそうしている訳にはいかずとも、間合いから逃れて呼吸を整える位の間は得ることができる。

息を整えて、意識を傾ける。
‥それだけで、痛みは薄れるどころか消え失せるところまで行く。
我ながら‥小気味悪いほどに便利な身体になったものだ。
無論のこと、脆弱となったのは間違いないだろうから一撃で叩き伏される可能性もないではないけれども。

地に降りる前に、俺は先立ってから続いているもうひとつの違いを吹き散らかす。
黒濁した息は意図したとおりに人間の視界を覆い奪い、その序でに僅かながらもその身を蝕んだようだった。
着地の隙を追撃できなかった彼の目は些か虚ろで、立ち尽くしていて‥判断力が幾らか機能していないようで。

各々の得物で以って迫る\xFB~斬とカガチさんの一閃を綺麗に貰って、地に伏した。
‥自らが連れていた刺刺しい掃除用具とあつい接吻を交わす形で倒れた気がするが、見なかったことにした。
‥‥命を奪ってはいないはずだし、そこのところくらいは、まあ。

昏倒している草賊を何気なく見下ろす。
微かに胸が上下しているのが生存の証左だ。

こんな風に倒れた敵を見下ろすことは、戦時には考えられなかったことだ。

課された侭に交戦しては、ぶつけられる敵意に応えて兵を退けた。
直接噛み砕くような事はそう多くはなかったけれど、踏みしだく事や尾を打ち付けることは数え切れぬほどにやった。
それに依って命を落とした者も、きっと数え切れぬほどに居たことだろう。

‥こんな風に。生死を意識して見下ろすことなど、本当に戦を始めた当初くらいしかなかったことだ。
両腕に盾を構えていた頃はまあいい。
けれど、今の身体を繰ることを覚えてから俺は、一体どれだけを――

―――――まあ。

至近に積み上げた量ももう覚えていない。
気に留めてもいない。
頭に残っているのは断末魔だったり試みた毒の方だったり‥場合によっては――

‥‥。

「かつて」だったら胸を痛めただろうとは思う。
だけれどもまあ、無論のこと今は‥では、あるけれど。

命じられるが侭に、その任だけをこなすことだけを意識していた戦地。
もしあの頃にこんな風に少数対少数で、嫌が応にも相手が”敵”ではなくて”ヒト”だと意識していたら。
駒でも、障害でもなく個をこうやって感じることが叶って、いたのなら。

カガチさんに異変を感じ取られることはなかったろうか。
‥いや、俺があの世界に於いての異物と断じられて此処に来た、という仮定を持ってくると‥寧ろこの世界に落ちたかどうかもわからない。
――結局、論を裏付けるようなものは今のところ、見ることも、触れることも叶っていない。

笑ってしまいそうだ。目を凝らしても、そう思おうと必死になっても落命せずに横たわっている賊に対して、俺はなんにも感慨を抱くことはなくて。
それは幾度も喰い破ったり毒に浸した屍を見下ろしたときも不変のこと――いや。
自らには嘘は吐けぬ。時によってはそちらの方がすがすがしくもあった。

かつてが今だったなら、俺は堕ちずに済んだだろうか。

――――いや。

そこに個があることを意図せずに戮せる戦場を、血風を。
微かに残る当時の感覚で懐かしんでいるあたりやはり――

そんな折にばしっ、と衝撃ひとつ。

撥ねるように姿勢をただしながら首を巡らせれば、背中を力いっぱい叩いた手のひらと、快活な表情。
不服そうな目をしたらもう一発背中をばしーんとやられた。

「んな顔してねえで、取り敢えずまあ一旦戻ろうぜ」

ひときわ大きな声で名前を口にされる。
――見透かされているんだろうなあ。‥多分、呼ばれたあとの此方のことまで。