ENo.1895 アンジェリエル＝フォーゲルベーレ

花枝の月　14日

ルラープへ出る日が遅くなりました。
イラムス様には、エミーリエの時も、ご迷わくをおかけしてばかりです。
シュタフォーレンのことは、イラムス様にも分からないとのことでした。
イラムス様ははっきりとはおっしゃいませんでしたが、
私がそう感じているのなら間違いはないのだろうと

新しいイェィックの方はどんな方なのでしょうか。
あきれておいでのことと考えます。

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村の共同窯から白い煙に乗って香ばしい匂いがたなびく。
女たちは子供たちと収穫祭の準備に追われている。
一年に一度、村が一番活気づく時で誰もが世話しなく動いていた。
アンジェリエルは、その様子を丘の上から違う世界を見るかの様に眺めていた。

アンジェリエルが生まれたのは家畜の世話や
畑仕事で自給自足をするような、よくある村だった。
ただ、アンジェリエルの両親はどちらもその仕事には従事していなかった。

白い指が美しかった母親はいつも機織りをしており、村人たちの服を作っていた。
普通は各家庭で作るのだろう、だが母は畑仕事の代わりに一手に引き受けていた。
祭の時に着る衣装は特に重要だった。
糸を紡ぎ、煮出した草木や木の実で色を染める。
そうして出来上がった鮮やかな色を持った糸を使い作っていく。
母の作った衣装で着飾った村の女を見ると、アンジェリエルは誇らしく感じるのだった。

今日は秋の恵みから色付けした糸を乾かしている。
アンジェリエルは光と熱を浴びて乾いた束を両手に抱えては、
産まれたばかりの弟を傍らに規則正しく機織りを動かす母の元へ駆け込んでいく。
母はその度に「上手く出来たわね」と優しく笑ってくれた。
柔らかな陽射しが、温かかった。

アンジェリエルの父は村で森の木守をしていた。
村は深い森に囲まれており、それも一つの財産だった。
父は夏は一日中森に、冬の間は野生生物や、
たまに亜人が現れることもあって、その警備に当たっていた。
強く優しい、寡黙な人だった。
代々木守をしている父の家系は村からの信頼も厚く、一目置かれていたのだろう、
農作業をしていないにも関わらず食べるのに困ったことはなかった。

父の仕事の為か家族は集落から少し離れた、
森を背景とした小高い丘に居を構えていた。
生活は村とは離れており、幼いアンジェリエルにとっては
子供らと遊ぶのに不自由を感じることもあった。
そして幼いながらに、女の仕事であった野良仕事をしていなかった母が
村の中では浮いていたことも感じていた。

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その日、アンジェリエルはここ数週間感じていた違和感が晴れる予感がしていた。
久しぶりに、故郷にいた頃の夢を見たからだったのかもしれない。

最初の違和感は下弦の月の夜だった。
奇妙なことに、いつも枝葉の間から顔を覗かせて安らぎを与えてくれる存在を見て
背筋に冷たい風が流れたことを、昨夜の様に覚えていた。
それからその違和感は日増しに、地を這いながら自分に近づいてくる感じがした。
それはルラープに出る日を控え、作法や仕来たりを改めて覚えるのに
慌ただしかったことが原因だと思っていた。

ルラープへと続く回廊で、アンジェリエルはイラムスから頼まれた物を運んでいた。
少し先へ進んだ場所でエィヨースたちが談笑をしていた。
アンジェリエルは彼女たちの、いつも自分たちを見る時の目が苦手だった。
底の見えぬ枯れ井戸に潜む黒い炎のような、そういう目だった。
自然と足が止まる。

「聞いた？…アイゼンプルヴァーで…」
「あら、本当？あの国はずいぶん……世話になっているじゃない」
「最近はどうか分からないけれど…血の気の多い…よね」
「じゃあまたライキャパクが増えるわね……様の笑い顔が浮かぶわ」
「…どうかしら？」

アンジェリエルはいつもなら彼女たちの話には興味が湧かなかった。
いつも虫の羽音の様に不快感を煽るからだ。
しかし今は出来る限り一音一音を拾おうとしている。
良く知る名が出た瞬間に、違和感の理由を悟ったからなのか。

「攻めこまれたのは…西の田舎だと聞いたわ。
　シュタ…何と言ったかしら…名前も知らないなような……」
「そうなの？なら大規模な戦闘は起こらない……詰まらないわね…」
「…タマルの中に…いるんじゃない？可哀想にねぇ…」

口から出た言葉とは対照的に彼女たちは笑っている。
何が可笑しいのか、アンジェリエルには理解ができなかった。
それどころか、冷たい汗が鼓動が鳴り響くのに合わせて流れてくる。

「アンジェリエル？」

聞き慣れた声がアンジェリエルの耳を通る。
自分付きのイラムスが一向に戻らないアンジェリエルの様子を見に来ていた。
しかし、その声が意識に届くことはなかった。
イラムスは奥に会話を続けている女たちがいることに気が付く。
アンジェリエルの様子を変えた話題は終わっていた様で
何を話していたのかはもう分からなかったが、
アンジェリエルが「何か」を聞いていたことだけは分かった。

イラムスは後ろからアンジェリエルの両肩に両手を添え様子を確認すると、
足音を響かせて回廊を進んでいった。

「神聖な場での貴女たちの私語は禁止されていることを、忘れたのですか！」

イラムスは女たちの顔を見るなり珍しく声を張り上げ、
それに驚いたエィヨースたちは蜘蛛の子を散らす様に消えていった。

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一度だけ母に、なぜ村と距離を置いているのかを子供の言葉で尋ねたことがあった。
母は驚いた顔をしていた。
それからまつ毛を伏し、容の良い影を落として応えた。

「それは私が『よそ者』だからなのよ」

それの指す意味をアンジェリエルはまだ知らなかった。
ただ、その様子にそれ以上は聞けなかったのだった。