ENo.1775 ジル・フェン・イクス

楽器の一日は退屈だ。ゆらゆらとネフィルに運ばれるだけのマリアは会話する以外では
特にやることもない。まどろむばかりで今本当に自分が生きているのかも疑問に思うほどだ。
その日もぼんやり旅路に揺られていたら、ネフィルが小声で声をかけてきた。
どうやらジルに聞かれたくない話しらしい。

「…ジルの様子、いつもと違う…と思うかい？」
「…ふぇ？…様子？あー、クリスマス近いからかなぁ。」

意識を急いで覚醒させ、先を行くジルを伺う。いつもより若干ぐったりしているような気がする。
足取りも重く、顔色もそれほど良くない。
誰が噂したか知らないが、この世界にもクリスマスに当たる催事はあるらしい。
こんな世界じゃなければもっと浮かれた空気に浸れるのにな、と思うとマリアは少し残念に思った。

「え？…クリスマスに何かあるのかい？」

ネフィルが驚いて聞く。

「ジル、あれでも悪魔だからね。神様関係のイベントは苦手みたいよ？本人は認めないけど。」
「えぇっ！？…そ、そうか…どうしよう、やっぱり渡さないほうが良いかな…」

どうやら彼もクリスマスが近いことを察して何やらジルに用意してきたようだ。
かこつけて気を引くための贈り物をするには絶好のイベントだから当然といえば当然だが。

「え？何々！どしたの？何かプレゼントするの？」
「するつもりで、花を探したんだけれど…しおしおのシロツメクサしか見つからなくて…
　これじゃあプレゼントにならないかと相談するつもりだったんだけど、相談内容が変わっちゃったな…」

そういって服に隠してたシロツメクサを取り出す。可憐な白い花。

「わーこんな世界でも花があったんだ、すごいじゃんネフィル！」

枯れかけた花だったが荒地に一輪でも咲いていたのは奇跡に等しい。
そういえば朝からどこかに出かけていた気もする。これを探しに行っていたのか。
一体彼はこれを探すためにどれだけ労力を割いたのだろう、先日の傷もまだ癒えきってはいないだろうに。
そう考えると努力を無碍にするのはあまりに可哀想だと思った。

「んー…せっかく採ってきたんだから渡すだけ渡してみたらいいんじゃないかな。」

ジルの反応は芳しくないかも知れないが、もしかしたら受け取ってくれる可能性もなくはない。
そうは言ってもネフィルは躊躇していた。

「でも、クリスマスが苦手じゃ、嫌がられないかな？探したのが無駄になるより、ジルに嫌がられる方が嫌なんだけど…。」

先日の一件も堪えたのかネフィルは少々臆病になっている。
元から好感度は低いからこれ以上下げられるのは御免だと思うのが普通だろうけど。

「クリスマスと結び付けなきゃ問題ないんじゃない？
　この間の手当のお礼とか何とか言っちゃえば？あいつ貢がれるのは嫌じゃないみたいだし。」

ちやほやされて悪い気がする人間はあまりいないことにかける。あいつ悪魔だけど。
とにかくネフィルの背中を押してあげることが大事だ。

「なるほど！そうしてみるよ、ありがとうマリア！
　……あ、あのさ、こんなしおしおで大丈夫かな？何か、他の物の方が？」
「他のものねぇ…どれもこれも今の状態じゃ手に入らないし…。
あのさ、ネフィル。あいつには伝わらないかも知れなけど
ネフィルがあいつのために何かしてあげたいと思っている気持ちがこもっていれば
結局何をあげてもいいんじゃないかな。大事なのはハートよ、ハート。」

マリアにも昔は少なからずファンがいてくれて、その人達から時々贈られるものがあったが、
どんなものにも応援してくれる気持ちや好きだという気持ちが詰まっていたと思う。
憧れの人に何かすることは本当に勇気のいる行為だということも知っている。
だからネフィルの気持ちをジルには無駄にしてほしくない、という思いが強かった。

「…まあ…探してもこれより良さそうなものは見つからなかったんだけど…ハートか…
　……うん、何もしないより、何かして反応を見たいかも…」
「そうそう。とりあえず渡してみなさい。
何かあいつが失礼なことしたらあたしが怒ってあげるから。」

励ました甲斐があったのか、ネフィルは勇気を出してくれたようだ。
何もしないよりかは何かしたほうがネフィルにとって成長につながるだろう。

「はは、ジルが嫌そうだったらすぐ引っ込めるよ。ありがとうマリア、とりあえず渡してみるよ。」
「どーいたしまして！というわけで善は急げ。すぐ渡す！」
「うわ、は、はいっ」

笑みも出た所で、ネフィルに最後のもう一押しを加える。
声に押されるようにネフィルは走ってジルに追いついた。
覇気のないジルはのそのそ歩いているから追いつくのは容易だ、
ジルの顔を覗き込むネフィル。

「…ジル」

もぐもぐと声をかけるネフィルをちらりと見、すぐに視線を外してジルは言った。

「…何かね？言いたいことがあるならはっきりと言い給え。」
「あ、いや、…調子が悪いなら、ちょっと休憩するかい…？」
「…」

ネフィルが何を企んでいるのか測りかねて訝しげな顔をするが、

「そうしたほうがよさそうだな、休憩だ。」

そう言ってジルはさっさと適当なところに座り込む。余程辛かったらしい、珍しく深いため息を吐いた。
ネフィルもすぐ隣に座る。マリアは傍に置いておく。

「僕の方は、大分良くなったよ、ジルのお陰で…ありがとうジル。」
「そうか。それは重畳。」

そっけない返事。ジルに余裕があまり無いのかも知れない。
もしかしたらこれはひどい結果になるのかな…マリアは覚悟しておく、が最後まで成り行きを見守ることにした。

「僕もジルになにかしたいって思ったけど、何も出来ないからさ…」

恐る恐ると言った感じでネフィルはグーにした手を差し出す。
うろんげにそれを見やるジル。

「ジルに…いや、邪魔だったら置いてってくれて良いんだけど…」

そう言われてやっと受け取った。シロツメクサを渡すとネフィルは少し離れて座る。
釈然としない態度で渡された花をまじまじと見つめるジル。

「…これは？」

枯れかけたお世辞にも美しいとは言えない花、ネフィルは小さい声で答える。

「シロツメクサ…それしか見つからなかったんだ。朝、草原に花を探しに行ったんだけど…。」
「ふぅん」

至極どうでもよさそうに眺めて

「クリスマスの贈り物、というわけかな？」

意地悪そうに笑う。なるほど、浅知恵が回るな、とジルは少し感心した。
先日の件もあって何かで関心を引きたいというのはペットが寵愛を受けたいのに似ているな、とも。

「っい、いや！クリスマスとかそういうあれじゃなくて、ほら、手当てのお礼というか、お世話になってるし…」

声のトーンがみるみる落ちていくのを聞きながら

「おや、違うのか。残念だ、世間じゃ皆浮かれているというのに…
君だって何が起こっているか知らないわけじゃないだろう？」

皮肉るように笑っていう。別段他人がクリスマスを祝うことをどうのこうの言うつもりはない。

「えぇ！？だってジルはクリスマスがッ……いや、…クリスマスプレゼントは他に用意しようかと…」
「君の贈り物のセンスなどたかが知れている、気にすることはない。」

一刀両断。期待などハナからしていないことをシロツメクサをいじりながら告げる。
だが、まぁ礼ぐらいはしてもいいかもしれない。
構われたくて仕方がない猫に少しばかり慈悲を恵んでやるのもいいだろう。
私も焼きが回ったな、時節柄勢いに飲まれたか。

「祝うつもりは毛頭ないが良い酒を飲んでも許される日だ。君も少し付き合え。」

酒瓶とグラスを2つ取り出す。まがい物の品だが、それなりに酔えるので残しておいたものだ。

「……いいのかい？クリスマス、苦手なんじゃ…しかも君の大好きなお酒を…」
「誰が苦手だといった、少し気分が沈むだけだ。いいから受け取れ、私の気が変わらないうちに。」

驚く彼にグラスを無理やり持たせて酒を注ぐ。
そういえばネフィルに飲ませたことはなかったので彼が下戸かどうか知らなかった。
飲めない可能性もあったが、潰れたら潰れたでそのへんに転がしておけば煩わしくはないだろう。
注がれる酒を両手で大事に持ちながらネフィルは呟いた。

「……ありがとう…」

自分にも注いだ後にジルは促す。

「飲み給えよ。」
「いただきます……乾杯とかするかい？」
「やめろ、気分が悪くなる。」

言い捨ててグラスを傾けて早々に飲む。安酒だ、無いよりましだが碌でもない味がする。
ネフィルはというと惜しむように中身を少しずつ飲んでいた。
かと思うと急に泣き出すような表情で顔をしかめる、飲めない方だったのだろうか。

「…美味しすぎて泣きそうだ…。」

予想外の反応を返されてジルは辟易した。

「君は酒の味が分からないやつだな。
この程度で美味いと言っていたら水と入れ替えただけでも美味になるんじゃないか？」
「ジルが僕にくれた水なら、美味しいに決まってるよ。」

皮肉って言うジルにネフィルは満面の笑みで、残りを味わいながら飲む。
次は本当に水にすり替えておこう、味のわからない輩に飲まれては酒も悲しむ。
ジルは肩をすくめて残りを飲みながら貰ったシロツメクサを懐にしまう。
そのうち枯れてくしゃくしゃのゴミになるだろう。
ネフィルが目ざとくしまう所を見ていたから、
見えない所でこっそり捨てないとマリアがうるさく言うのは予想できる。
これ以上面倒事が増えるのはごめんだ、ネフィルの扱いを心得るためにも。