ENo.1638 リィセ

海沿いの山を登り歩く。
谷間の開けた平原で、休息を取っているひとの姿を幾人か目にした。

痩せた尾根を渡り歩くのは、身軽な獣の身体でさえ体力を消耗する。
人の身であればなおさら、辛い道程だろう。

道の途中、山腹の緩やかな巻き道に奇妙なものを見つけた。

木の杭に、平たい木の板が打ち付けてある。
板には模様が描かれており、それが、ひとが作ったものであるということは、すぐに判った。

だが、何故こんな辺鄙な場所に？
そもそも、これは何の為に使うものなのだろうか…？

しばし考えを巡らす。
そして、思い当たる。

これは…　きっと、誰かの墓標なのだろう。
ここは、日当たりも見晴らしも良く、少し離れた所からは海が広がって見える。
静かに休むのにはもってこいの場所だ。

ここには、私と同じように、この世界から抜け出すことを試み…
そして、願い叶わず力尽きたものが眠っているのだろう。

亡骸を、おそらくは旅の同行者達がここに葬ったのだ。
志半ばで倒れるのは、さぞ、無念であったろうな…

名も無き旅人よ。その魂が、天上の大精霊の元に召されますよう。
願わくば、その心が、哀しみに満ちたこの世界から解き放たれますよう…

頭を垂れて少しの間黙祷を捧げ、その場を後にした。

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山も峠を越え、海から吹く風に潮の匂いを感じる。
もう少しで、休めそうな砂浜に出られるだろう。

…と思ったところで、行く手を川に遮られてしまった。

川の両岸はちょっとした土崖のようになっている。
高さは、大人の背丈より少し高い程度だろうか。
泳いで渡ろうにも、向こう岸に上れそうな場所がない。

あたりを見回す。
左手の、下流の方は徐々に緩やかな斜面になっており、そちらに行けば、渡れそうな瀬があるように思える。
しかし…少々遠い。

面倒臭い。飛び越えるか。

川幅は、そこまで広くはない。
助走をつければ、まぁ向こうには届くだろう。

川岸から少し離れ、おおきく息を吸い込む。
ふん。と鼻を鳴らし、気合を入れて駆け出す。

ハッ！と力いっぱい地面を蹴って、空中に踊り出る。

しばしの飛翔の後、対岸に前足が付く。

続けて、後ろ足も地面を捉えて華麗に着地…

！！？

の、はずだった。

後ろ足は、地面を捉えなかった。

あると思った地面に対して踏ん張りを効かせたものだから、
盛大に''スカ''を喰らった形になり、勢い余って腹を土崖にぶつける。

ぐ！　と情けない声を上げて息を吐き出す。

下半身を岸にぶつけた所為で、反作用で上体が川側に向かって振れる。

まずい！

泡を食って、何か掴むものを探したが、
獣の前足をばたばた動かしたところで、地面に引っ掻き傷をつけるのみ。

ぐりんと天地が逆さになり、背から落下と相成った。

−−−！！

間の抜けた叫びに続いて「どっぽ〜ん」という水音が、あたりに響いた。

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げほげほと、鼻と口から水を吐き出す。
まったくの不意だった為、結構な量の水を飲み込んでしまった。

川に落ちた後は上手く上がる場所を見つけられず、結局、河口付近まで泳ぐ羽目になった。
海水交じりの水が喉を濡らして塩辛い。

目測を誤るとは…私としたことが。

ああ。

違うな。

目測を誤ったんじゃない。正確に距離を測れなかったのだ。

片目を失ったものは距離を測れなくなる…と、聞いたことがあった。
よもや、自分がその立場になろうとはな。

ふぅ。と溜息を付く。

落ちたのが、晴れた日の川でよかった。

雨の後の、増水した川であったなら。
川でなく、切り立った崖であったなら。

私の旅は、終わっていただろう。

失ったものが大きいことに、改めて気付かされる。

もういちど、ぶるっと身体を震わせて水を切る。

全身、塩水に浸かってしまった。
これでは、乾いても毛はべたべただろう。

やれやれ。

濡れるくらいは構わないが、毛がべとつくのは気持ち悪くて適わない。
勘弁して欲しい。

天を仰ぎ、もう一度溜息をつく。

日は傾き、空は茜色に染まり始めていた。