ENo.122 ルーノフューム

メアリの記憶

真っ白な部屋に、少女がひとり。
床も壁も天井も白く塗られ家具は何もない。
ただ広いだけの空間には現実味が大きく欠けていた。

夢、なのだろうか。

そもそも何故こんなところにいるのかが思い出せない。
少女はセルフォリーフで冒険者としての日々を過ごしていたはずだ。
このような部屋に見覚えもなければ来た覚えもない。
やはり夢なのだろうか。

「いや、これは記憶だ」

その声に振り向くと、さっきまで誰もいなかった部屋に少年が立っていた。
少年は真っ白な部屋とは対照的な真っ黒な格好で目だけが金色に輝いている。
その白と黒のおかしな対比がさらに現実感を失わせていた。
夢の登場人物が、夢じゃないって言ってもねぇ。

「まぁ、確かに今日は勝手が違うな…聖なる日の魔力、ということか」

少年もどうやらこの部屋に違和感があるらしく、きょろきょろと周囲を見回す。
しかしすぐに頷くと視点を少女に定めて呟いた。

「それでもやはり、これはお前の記憶だ」

少年は金色の瞳で真直ぐに少女を見据えながら、指をぱちんと鳴らした。

　※※※

「どうしたんだい、メアリ？ぼうっとして」

気が付くと真っ白だった部屋は懐かしい我が家に変わっていた。
周りには久しく会っていない家族や親戚、近所のひとたちの顔がある。
その風景はメアリが幼い頃に祝った聖なる日の食卓と同じだった。
そして良く見ると、メアリ自身もあの頃と同じ子供の姿になっている。

「ううん、何でもない。それよりこれ、全部食べていいの？」

幼いメアリは食卓に並んだご馳走に目を輝かせていた。
そうだ、今日はお祭りの日だ。
暖炉の火が暖かい部屋に、大勢のひとが集っている。
豪華な食卓と楽しい会話。
このあとにはプレゼントもある。
中身はなんだろう？

すっかり子供に戻ったメアリが楽しさに微笑んでいると、何処かでまたぱちんと鳴った。

　※※※

部屋の風景が塗り変わるように場所自体が変わってゆく。
ここは確か、冒険者になってすぐのころ良く通っていた酒場だ。
酒場といっても彼女の目当ては温かな食事と先輩冒険者の武勇伝だった。
メアリの姿はもう子供ではなく、しかしまだあどけなさを残す少女になっていた。

「しかし、細っこいクセに良く食うよなぁ？」

周りの屈強な冒険者たちに気圧されることなく、メアリはすっかりその場に馴染んでいた。
少女とはいえしっかりした身体能力と頭の切れは熟練の冒険者も認めるところだった。
まだ肩を並べるとまではいかないが、そこは持ち前の愛想の良さで補っている。
この日はいつにも増して晴れやかな笑顔だった。

「まぁいいじゃない、折角のお祭りなんだしさ」

良く言うぜ、という軽口が返されてもメアリは相変わらずにっこりとしている。
何といっても今日は聖なる日なのである。
普段は命を懸けた緊張の中にいる仲間たちが集まって騒いでいる。
家族とは違うがそれだけにまた特別な絆がある。
乱暴な言葉とちょっとした暴力が飛び交うのはご愛嬌。
それでも彼女たちにとっては楽しい祝日だった。

騒ぎはいつ終わるともなく続き、その高揚感でぼんやりしてきた頭にまたあの音が響いた。

　※※※

「ちょっと待って」

またしても部屋が塗り変わろうとしていたのを、メアリが遮った。
風景の変容は止まりまた真っ白なあの部屋に戻ってゆく。
目の前にはまた黒尽くめの少年が立っている。

「あんたが何者かはわからないけど、この後どうなるかはわかる。
　でも、もう十分よ」
「重要な記憶、ではないのか？」
「それはそうだけど…でも記憶よりも大事なものがある」
「未来を見るか。それもいいだろう」

聖なる日の記憶はメアリに今は手の届かない暖かさを与えた。
しかし、あいつのことだけは記憶でなく現実が良い。
来年の今日こそあいつと過ごすためにも今は戻らなければならなかった。

「まぁでも、なかなかいいものを見せてもらったわ。
　このお礼は何をすればいい？生憎魂を渡せ、とかは無理だけどね」
「本来なら記憶の一部を頂くところだが…今日は不要だ」
「あら、随分気前がいいのね。プレゼントってこと？」
「聖なる日は、いつもと違うことが起こる。それだけだ」

少年は素っ気なく言うと、最後にまた指を弾いた。
ぱちん。

　※※※

目を覚ますとテントの中だった。
どれくらい眠っていたのかわからないが外はまだ夜だ。
防寒具の上からでもわかるくらいに外気は冷えきっている。
しかし、メアリの心は何となくぬくもりを帯びていた。

きっとあの夢のせいだろう。
ホームシックになったこともないのに今年はやけに寂しさを感じる。
当然あいつがいなくなったせいだが、それが少し晴れた気もする。
あいつは必ず見つかる。
そして夢で見たような暖かい祝日を今度は未来で迎えるんだ。

「何だか目が冴えちゃったな…」

心が明るくなっているせいか居ても立っても居られない気持ちだった。
もう一枚上着を羽織ってテントの外に出てみると、道理で寒いはずだ。
空からはちらちらと白い雪が舞い落ちていた。

「本当に、夢だったのかなぁ」

お誂えむきに降ってきた雪が今日という日を祝っているようだった。
やはりあの夢は誰かからの贈り物だったのかも知れない。
メアリは雪と同じくらい白い息を吐きながら夜空を見つめた。
空には満天の星に混じって、細い細い三日月がひっそりと浮かんでいた。

「ま、いいか。とにかくメリークリスマス」

言葉と共に浮かび上がった白い吐息は、雪の中へと消えていった。

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