ENo.928 蒼月樟葉

TURN-7

夜の砂地に歌声が響く。
愛する少年との仲を引き裂かれ幽閉された少女の悲恋の歌。
今すぐ此処を抜け出し、彼と再会したい。
しかしそうしたら彼は殺されてしまうだろう。
少女は今日も嘆き、歌い続ける。
望みもしない彼の幸せを願って。

『……何処からそんな声が出るのですか。』

「―――ん？」

歌い終わり数拍を置いてメリアがそう問い掛けた。
普段のブルームーンの声調とはかけ離れた声が元の調子に戻る。

「そりゃあ声は声帯っていう喉にある器官が震えてー」

『そういう事を聞いているわけではありません。』

「むかしとったきねづか？って奴でさ、
　声が変えられるって日常的にも便利だよねー」

『ごくつぶしの貴方にも意外な才能があるのですね。』

「ご、ごくつぶしって……才能は無いけど昔の仕事で必要だったからしかたなかったの！」

『昔の仕事？』

「あー　えーっと……」

嘗てのブルームーン―――蒼月樟葉は、不老不死となった後、実年齢と外見年齢がまだそれほど差異の無かった頃。
元々居た世界で短い期間ではあるが歌手活動を行っていた。
それは蒼月家のイメージ活動の一環であり、一定の成果を収めていた。
何故それが短い期間だったのかと言うと、性別がバレたからである。

「いやーあの時のトレーニングはキツカッタヨ」

準備期間があまりにも短かった為、蒼月樟葉の歌唱訓練は非常に過酷だった。
食事や寝る間も無く一日のほとんどの時間歌い続け喉を潰しては再生させる文字通り死に物狂いの日々が続いた。
元々狼である事もあり声量は十分にあったし、長く声を出し続ける事も出来たため、その訓練の多くは繊細な操作に重点が置かれた。
結果的に幅広い表現力を手に入れたのだが―――。

「歌うとあの頃の自分を思い出してすごい恥ずかしい……。」

本人にとっては完全な黒歴史だった。
自然とメディアへの露出が必須となり、身なりは整えられ、正に良家の令嬢と言っても差し支えない頃だった。
美しい髪、時に煌びやかな、時に可愛らしい衣装、主張しすぎないアクセントの装飾品。
それが今や―――。

「どうしてこんな事に」

ブルームーンは手で顔を覆って震えた。
それが今や仮面に破廉恥な服で無法地帯である。
あの頃はあの頃で気を使って精神的な疲労が大きかった、それでもまだ人間的な生活をしていたし、仕事の達成感もあった。
しかし数日前までドラム缶を右から左へ転がすだけの意味がわからない作業で肉体労働による達成感を得ていた事を思い返す。
もはや自分が何者なのかすら怪しい。

『過去の栄光に縋っていては人は成長しません。』

「いーんだもん　私はもう成長しない人間だもーん」

『人間とも言いがたいですけどね』

「そりゃ御互い様でしょ」

『……何故突然歌を？』

「デッキ強化しようと思って」

新たなカードの入手方法は基本的に使い手の技術力が条件となっている。
つまり新たに他の分野の技術を磨く事や、今現在の技術をさらに磨く事をしなければカードは増えないという事。
ちなみに手に入るカードは使用するだけでその効果が現れる為、カードを得るために歌や楽器の技術を磨く事が必要なのだが、
逆にカードを使うためにはその技術は全く無関係なのである。

「このシステム凄い徒労感があるんだけどさー」

『それが貴方の”ルール”ですから。』

「全く回りくどい仕様で」

この”ルール”はこの世界のルールとは別物だ。
ブルームーンにだけ特別施された縛りであり利点でもある。
自らの技術力とカードの強さに直接の関係性が無い代わりに、
カード化してしまえば常に一定の効果が得られる。
召喚魔法のための詠唱など面倒臭い事が省けるのがブルームーン本人にとっては最大の利点だろう。
使えはするが元々魔法は得意分野ではない、種族柄、また体質的に魔力やそれに順ずる内包量は高いが、
それを操る術よりも体術に傾倒した訓練を受けてきたからである。
そういったブルームーンに関わる事情とは別にこの特別に施された”ルール”は別の意味も持つ。
この”ルール”は関連する道具類の仕様ではない。
唯一道具として作用するのは、所持者のステータスを読み取り変化するというカードのみだ。
そこから先のカードから召喚や攻撃・補助効果などの発現までのプロセスは世界のルールに干渉し行われている。
それはつまりアンジニティの世界律にこの”ルール”が組み込まれているという事。
それを行えるだけの力がこの”ルール”作成者にある事を示している。
作成者はおそらくimitation本人だろう。
世界律に干渉できる程の力を持ち得る存在をブルームーンは他に知らない。
もしかしたらアンジニティに穴を開けたのもimitationの仕業ではないのだろうか、そう考えてすら居る。

「生きるためだけなら知らない事ばかりでも問題無いよね。」

『突然なんですか。』

「いや、あんま余計な事考えても仕方がないって話。」

『余計な事を考える余裕があるんですね。』

「いや　まぁ……ね」

先程の歌唱訓練で一枚のカードが新たに書き換わった。
訓練内容とカードに関連性は無い。
ただ条件を満たしただけ。
そういう事。

「それにしたってこれ酷くない？　何？　黒板ひっかき　って。」

『……カード名についてはノーコメントですので。』

「これもimitationが考えたのかな？」

『……知りません。』

「だとしたらセンス無いよねー」

『……。』

実際はカード名はimitationを含むimitation配下達がそれぞれ持ち寄り投票により決められたモノだ。
しかしながらブルームーンがどのカードを手に入れるか不明な上全てのカードを手に入れられる素養があるため、
その種類は3000種を越える。
その上、低ランクのカードから高ランクのカードまで強さの開きが無くてはいけない。
低ランクに相応しい名前、これが最も難易度が高いモノだった。
3000種を越えるカード名が採用されるまで何度も熾烈な議論が交わされた。
勿論現在ブルームーンのサポートについているメリアもこの作業に加わっている。
そうした苦労の末に完成したカード達を侮辱されるのは感情の乏しいホムンクルスであるメリアも不満を抱いた。
とは言えメリア自身もそのカードの名前はちょっと微妙な気がしてはいたがブルームーンに同意するのはプライドが許さなかった。
そんなメリアの心情を知ってか知らずかブルームーンは見張りの為にミニドラを召喚した。

「はぁー　あったかい。」

どうやら警戒のためではなく暖を取るためらしい。
すっかり暖房器具扱いである。

『実戦では使いませんね。何故ですか？』

「あー、特別必要じゃないのが一つ。」

確かに、頭数だけならばミニドラである必要が無く、また耐久力的にも他のモンスターカードより特別優れてるわけでもない。
その上敵の攻撃が後列に届くのが普通な状況では前列召喚という利点はあまり強みではないだろう。

「んでもって追加コストがあるから使いづらい。」

召喚できなくは無いがしてしまえば他のカードが発動できなくなる。
それは中々厳しい事で、毎ターン得られるSPが少ない現状では動きが取りづらくなってしまうこと。
先制で出せるとは言え追加コストを考えると即座に出すことが良い事でもない。
となるとその後召喚するならグレムリンの方が重量があるという点。

「まぁつまり弱いって事なんだよね、
　炎上分を考えると火力はまぁ今持ってるカードの中では高い方だけどさ。
　今それは求めてないわけで戦闘で使う理由が無いんだよねー」

使えないと言っている相手を抱きしめて温かそうにしている。
もはやブルームーンの中でミニドラはそういうモノなのだろう。

『そうですか、思っていたより考えているのですね。』

「まぁこうやって戦闘外で使わないと息切れしちゃうからさー仕方ない。
　他の☆２ランク次第でもあるけどね。」

『良きカードが手に入ると良いですね。』

「えっ　何何、珍しいね？　これは強い奴居ないフラグ？」

『ノーコメントです。』

実際にカードがどの程度の強さで効果を発揮するかはメリアにもわからない。
世界の違いは生息する生物の違いでもある。
アンジニティとセルフォリーフは距離がほとんど無いからこそ同じ生物が生息している。
しかしながら生物は環境によって生態を変えるのだ。
メリアの居る世界と、アンジニティ・セルフォリーフでは召喚されるモンスターの生態もまた違う。
そういった意味でスペックを明かす事は出来ないし、そうするつもりもメリアには無い。
メリアの仕事はあくまで監視とルールのサポートである。
―――協力ではない。

「ま、明日には街入りで休憩できるし、そのあとならオマエも実戦で使ってみても良いかもね」

ブルームーンは抱きかかえたミニドラにそう呟いた。