ENo.86 鈴代　葵

ちょっとメンバーたちから離れた場所。
そこでちょうど良く座りやすそうな石を見つけると、どこからともなくタブレット機器を取り出した。
ちょこんと腰を下ろし、手馴れた様子でタッチパネルを操作していく。
OSが立ち上がる前段階でいくつかのパスワード入力があるらしく、3画面ほどを経てOSが立ち上がる。
かなり有名なモノであったが、OS名の下部に見慣れない文字列がくっついていた。

　　　　【Ver.W】

そう銘打たれたタブレットがすぐさま立ち上がり、起動画面へ。

『Hello！！』

電子音と誰かの声が混じったような起動音らしき音声が流れる。

「こんにちは、シロ君。」

葵が何事も無いようにそれに返すと…

『ヤあ、葵！　元気ソウダね！
　今日ハ　メッセージが10件ホド届いテるヨ！！』

アプリケーションが立ち上がる画面の中で、ふわふわの毛をもつ子犬がきちんとお座りして返答する。
可愛らしくディフォルメされた姿は、処理落ちすることも無い。
その音声は片言なところもあり、何も知らない者が見たらただのプログラムと思うかもしれない。

だが、その実が人工知能に匹敵…あるいは超える『生きたプログラム』とは思うまい。

葵が住み、所属している家は妖気の吹き溜まりである。
人間とそれ以外の存在が共存するその組織は、住処も妖怪・或いはそれに準ずる建物。
ゆえに、一般家具にも少なからず影響を及ぼしてしまう。
付喪神という存在になりやすいのだ。

生きている者への影響は生命力に反比例し、非常に小さい。
それこそ天寿を全うしても影響が無い程度。
しかし、無機物にはダイレクトに影響が発生する。
故に、『力の強い者』が日常的に扱うモノについては、どうしても強い影響がでてしまう場合が多く、

・思い入れが強かったもの
・大切に扱われていたもの
・非常に良く使われるもの

の、三種が特に妖化しやすい。

この条件を満たし、近代化ゆえに触れる機会が多いが苦手な者がそれなりで「もう少し簡単にならないのか」と言われてしまう不遇の存在。
そのため、異例の速さで付喪神と化したのがパソコンであった。

妖怪でも今の世に馴染み、近代機器を使いこなす者も多い。
そんな彼らからは非常に重宝されている。
反してなかなか馴染めない者も多く、そんな彼らからは疎まれがち。

それでも。
修理やパーツの組み換えをされ、周辺機器が揃えられてきたパソコンが意思を持つまで、そう時間はかからなかった。
それ以降も己をより良くするため、低スペックでも稼動するサポートプログラムをOSに組み込み、いつしか本体をそのプログラム自体へと組み換え、携帯電話等の機械類への互換性も手に入れ。

急成長を遂げた『彼』が主と見込んだ者の前に子犬の姿で姿を現したときは、非常に大きな騒ぎとなった。

付喪神としてのキャリアも力も極端に低い。
しかし、既に根を張っていた全世界へのネットワーク…
ある意味で巨大な後ろ盾を常に持っているというアドバンテージをもつためだ。
回線が無くとも、無線のLANネットワークがそこかしこに飛び交っている現代では、よほどの偏狭や地下で無い限り接続が可能。
生きたプログラムという利点を生かし、深部に潜んでオーバーフローを起こさせることもたやすく、その気になればいかなる情報も任意に書き換えることも可能となると、警戒されても仕方が無い。
世界情勢すら破綻しかねない…と消滅も考えられたが、妖怪ゆえの偏った性格により難を逃れる。

『身内と認めた者以外に懐かず、また何かが破綻に及ぶと見なされる行為を望まない。』

それが複数の方法にてなんとか証明された。
その後、自ら「シロ」を名乗った『彼』は忠誠を誓う主とともに在ることを望む。
融通の利かない愚直なほどに真直ぐ…奇しくもパソコンらしい性質と性格故に、シロは存在の消滅を免れたのだ。
加えて犬のような外見の通り、群れ（家族）以外には興味を示さない。
また、害された時は全力を以て相手を噛み砕こうとすることもあり、迂闊に攻撃・刺激をすることは危険と判断されたこともある。

シロはそんなことも何処吹く風で、いつもの様に主たる葵に笑みを向けていた。

『仕事の報告ガ3件、メいド服の関係ガ6件。
　翔カらノ、いつモノめールが1件ダよ。懲りなイねー』
「そうだねー。
　翔さんへのは、彩さんへ転送しつつ適当に流しとこ。
　やっぱりメイド服関係多いねー…」

実体化したシロが葵の肩にひらりと飛び乗った。
もこもことした毛が温かく、元はプログラムであることを忘れてしまうほど。
最近変化を応用して実体を得ることに成功したシロは、今まで触れられなかった時間を取り戻すかのように葵にべったりしている。
最も…パソコンの化身であるが故。
　　　姿を現せるのが、自分のプログラムが起動しているパソコンの電源が入っている場合のみ故。
仕事でこの世界に来ている葵と会える時間は、あまり長くない。
そのためにシロは、葵に呼ばれるたびに実体化を行っているのだ。

「うーん、中には実費でやるから…って子もいるのかあ。
　けれど…正直実費はきついんだよねえ。」
『ソうなノ？』
「うん。
　私みたいに人間に近いならいいけど、他の子（妖怪）はねー。
　女の子がイロイロ大変なように、妖怪もイロイロと大変なのだよ。」
『僕、まダわかンない。』
「いいのいいの。
　いずれ覚えていくことだからね、ゆっくり覚えていけばいいよ。」
『ウん！』

嬉しそうに鼻を首元に擦り付けてくるシロの頭を撫でつつ、葵はうーんと頭を抱えた。

昨今の萌えブームの影響を受け、フリフリで可愛らしいメイド服を求める声が人間･妖怪ともに男女問わずあがっている。
それはメイド隊だけではなく、執事隊からもと両方から求める声が強い。

曰く：今のシンプルなメイド服も良いけど、可愛いメイド服も着たい
曰く：目の保養でやる気もあがる

後者を上げた中でも特に不埒な輩たちは秘技の元に折檻罠地獄に放り込んでおいたが、完全に否定する立場でもなかった。

私だって、可愛い服着たいもん（葵の本音8割）

けれど、仕事は仕事。
プロ意識を持つのも大切なのだ。
特に嘗められたら終わりなこの仕事。
別に媚びてるわけでもないけど、そう思われてしまうことは真に遺憾なのである。
考えが古いのも自覚しているも…どうしても。
シンプルのも良いじゃない、と思ってしまうのだ。

ぶっちゃけると費用が馬鹿にならない。
デザインを頼まなくてはならないし、機能性も突き詰めなくてはならない。
あくまでもファッションではなく仕事着なのだ。
仕事の関係でそのツテはあるが、決して仕事に妥協しない者ばかりなので取るものはきっちりと取る。
その方が後々の問題にもならないし、ビジネスの相手としても認められるから願ったりだが…金額がべらぼうに高い。
そりゃもう、ものすごーく高い。
その代わり完璧な仕事をしてくれる。
そりゃあデザコレとかに名前を連ねるレベルなのだから仕方が無いのだが。

加えて材料費も馬鹿にならない。
やっぱりツテで何とかなるし、裁縫関係はその手の妖怪に頼めば済む。
ただ、何を対価として求めてくるかが判らない。
彼らにとっては、ビール瓶の蓋でも宝物になるし世界最高の宝石もガラクタとなる。
以前に仕事を頼んだ際、求められた対価が『自分を満足させる食事』であったのだが…
あれこれと『人間』の食事をだしても満足させられることなく、厨房まで怒鳴り込んできた妖怪がとんでもないもので満足した…というエピソードがあるほどだ。
ちなみにその時は、コーヒーを淹れた後に残ったカスで満足して帰ったという。

やはり有志を募るべきか…と考え込む。
この仕事、危険と隣り合わせにもなるために給金はかなり良い方だ。
見る人が見れば目が飛び出るほどだし、『普通の人間の生活』をするならば家族数人養って家を建てても余裕がある。
だが、大半が妖怪。
妖怪という存在は、人間の世界で暮らすにはケアにお金を使ったりイロイロ根回ししたりと大変なのだ。
そういう時は、特徴のない自分でよかったと葵は思える。
葵は人間に近いため、ケアも準備も結界も特に必要ない。
だが、それが必要な子が非常に多い。
結界の維持やケア、部屋の配置やインテリア、空気にまで気を使わなければならない者まで存在する。
部屋の一部を巣にしなければ生活も困難になりかねない者など、周りに妙な影響を出さないように三重くらいの結界を張って安定を維持しているのだ。
元々が人形のためにデリケートな肌の者などは、部屋の湿度等に物凄く気を使う。
体の各部のスペアを多く必要とする者もいる。
そのため、妖怪屋敷に住む者たちは生活スペースと巣となるスペースの2部屋＋αが割り当てられるホドなのだ。
スペアの体を保管しなくてはならない者には3部屋+αが割り当てられるし。

それを踏まえると、やはり希望者の自己負担は100％ではなく…せめて半分くらいに抑えたいのだ。
野望の実現のためにも。
ちょっと源次郎にも打診しておこう…と、葵は密かに思うのであった。
メールで打診するのでシロにはバレるけど、シロにバレても問題はないし。

『着るもノって大切なモのなンだね。』

まだそれが判っていないシロは、首をかしげて呟いた。
葵がいろいろ案をまとめているのをじっと見ていた感想である。

「シロ君はその毛が着るものだからね。
　服で着飾るよりも、自然が一番だと思うよ？」
『あリがとウ、葵！
　きット葵ニも似合うヨ、可愛イ、メいド服！』
「ありがとね、シロ君。」
『どウ致しマして！』

その後、ちょっとメイド服論争に進展があったり某人が奥さんにしばらく再起不能にされたのはまた別のお話。