ENo.808 弥蛇山まり

　漸く新しい街が見える頃、まりは未だに扱いかねる『朧』の調整を試みていた。
　『朧』はセルフォリーフへ向かうことが決まってから、臨月天光が初めて製作した大型銃器――所謂ガスガンだ。正式名称は『瓦斯弾式機関砲朧』。護身用のナイフなどであれば提携企業に開発を依頼したものが既にあったのだが、それらは主に対人目的で作られており、セルフォリーフの巨大化した動植物、という予測のつかないものに対しては効力が薄い可能性があるとの判断が下った為、急遽開発が決まったのだ。予定にはないものの場合によってはリンカーたちと共に戦うカットがアンテセラで放映されるということも在り得ない話ではなく、となると、ナイフアクションは余り映えないのではという意見も少なからず汲まれたのだろう。尤も、リンクスVSアンドロイドのナイフアクションであれば話は別なのだが。
　そういった理由で少々派手で威力の高い狙撃銃として、場所を選ばない『その場の空気を圧縮し弾として利用する』という機構を採用し、朧は製作された。

　何しろこればかりは突貫工事である。臨月天光にとってこの分野は手探りといっても過言でない。朧本体も、それを扱うアンドロイド側の制御プログラムも、殆どフレームしかない状態で実地試験に入った。
　そのつけが現地のまりに廻ってきてしまっている。
　実戦を踏んでその度に修正を加え、中にはパーツそのものの変更が必要なものもあった。それでなくとも戦闘で毎回のように破損箇所が出るので、自然、休憩時間を朧と向き合って過ごすことが増えてしまう。
　ただこの巨大な銃は、まりにとってはデメリットばかりではない。自由に改造を許可された興味深い素材でもある。素材には限りがあるが、そこを効率の良いプログラムで上手く運用させる作業は創造的な行動を規制されることの多いアンドロイドにとっては新鮮で、刺激的なものでもあった。

　どちらかというと問題は朧ではなく――

『調子は戻りましたか』
「あ、博士」

　ホログラムがすらりとした和装の青年の姿を形成した。変わらぬ微笑を湛えてはいるものの、若干眠たげだ。人間の前に出る時、紅掛竜胆はそういったもの――疲れだとか眠気だとか――をほぼ完全に表に出さず、泰然としている。それなのに、アンドロイドたちと接するとなるとまるで家に帰ってきたというかのように何処となく気が弛むらしいのだった。

『遅くなりましたが前回分、前前回分をフィードバックしておきました。ポート8012から8063まで』
「了解です。お疲れですね」
『少しばかり。ところで確認なのだけれど』
「？」

　中空に時系列を示す数字がずらりと並び、竜胆はその一部をピックアップして更に細かい表をまりに示した。

『この部分、戦闘時に君が大きなダメージを受けてシステム保護の為にスリープモードに移行したところ。やえの話ではまりからのコールサインで危機を察知し、僕の指示を待たずにまりを探しに出たということでした。実際やえサイドのタイムスタンプも確認して、まりからコールがあった時間も判明しています』
「でも、ワタシはコールしていません、あにさまにも聞かれましたけど……」
『君の意識上は何もしていない、間違いない？』
「はい、レコードにも――」
『レコードに発信記録はあるのですよ』
「え……？」
『まりがスリープに入った直後、「何か」がやえにコールをしているのです。まりの内部から、まりのコードでね』

　丸い目を困惑気味に伏せて、まりは短い思考を行った。

「それは、つまり……ワタシはクラックされましたか？」
『可能性の一つですね。ただ、これをクラックと呼ぶのは可哀相かもしれない。君を助ける為の行動であるならば、悪意はないと言える。その後何も起きていませんし。まぁ、今はどちらとも確定出来ませんが』
「……」

　口元に浮かんだ意味ありげな竜胆の笑みに、ぱちりと目を見開く。

「……まさか。いいえ、まれとは依然通信が出来ない状態が続いています。アンテセラとは？」
『状況に変化は見られません、こちらも連絡はとれていませんよ』
「ならばその可能性の説明はつかないです」
『それはどうでしょう。本当にアンジニティは隔離された世界でしょうか？ならばその存在が知られているのは訝しいし、少なくとも行くことが出来る場所である以上その世界とこの世界は続いている筈です。ヒトが死んで冥府に下りるとすると、確かに生者と死者の世界は別のものですが、それらは繋がっているわけでしょう？』
「理屈はそう、ですけど」
『そして君たちもまた互いに繋がっている存在です』
「博士、まさかとは思いますけどその……双子のオカルティズムを指しているのですか？」
『そうだ、と言いたいところですが現実はもう少し面白みのないものです。知っているとおり、まりとまれは表裏一体というよりは一体のものを二体で分け合う関係であって、頭脳と知識は共有している』

　こくん、とまりが頷くのを見て、竜胆は続けた。

『しかし独立して動作しながら知見を非常に早いスピードで共有させるのはそう簡単なことではありません。通常の方法で行うならば大容量の通信をし続けなくてはならない、危険が大きすぎる。それで僕たちは別の方法を考えたわけです』

　doll-oidにのみ感染する『拡散する知識』という名のキベルネテスウイルス。
　doll-oid自らウイルスを作り出し、自家中毒を起こしながら自己を拡散し、共有する。

『ウイルスは知識だけではなくそのものの状態をも伝える。受け取ったまれは無意識の内にその状態を解消するウイルスを発生させる。キベルネテスウイルスは一般的な通信とは別の枠で感染拡大するものですから、その空間を通じてならばアンジニティと繋がっていると推測出来ます』
「……サイバネティクス空間は仮想理論体系上のものだったのではないのですか？」
『理論そのものは確立していました。存在が物理学的に立証出来なかっただけで』

　言葉を切って、竜胆は何故か少し苦しげに着物の襟元に手をあてた。

『なければ作る、作れるならば在る、これはヒトの創造力の変わらない形です』