ENo.619 24式ルクファリ単騎遠征試験機運用斑

「24式起動」
　低い音を発してエンジンが24式ルクファリに電力という名の血を送り出す。
　僅かな振動を感じるだけで、あまり揺れは感じない。待機状態ならば狭いことに目を瞑れば、そこまで酷い居住性ではないようだ。
「全無限軌道集約、四脚状態に移行」
　声を出して確認しながら、シートごと前傾姿勢で固定されたフィッツバーグ大尉が戦車を操縦する。
　戦車のベース部分に四つ取り付けられた無限軌道の水平ロックを解除し、前の二つを逆回転にして後退させ、後ろの二つを順回転で前進をさせる事で戦車が起立する。
　ガイデルハント大尉と共にこ24式ルクファリ戦車を作ったゼーバイツァー技術大佐は「カニがタカアシガニになる戦車だ」と説明したことがある。普段は平たい戦車が立ち上がって四脚のようになる事を上手く言い表したつもりだったのだろう。だがこの戦車は元々が平たくない、少々変わった風貌なのに加えて、タカアシガニもあの長い足を全て伸ばしてすっくと立ち上がるわけではない。説明を聞いた戦車乗りたちにも受けは今ひとつだったが、感覚として想像しやすいという事で、戦車乗りたちは戦車職人に辛うじて及第点を与えたのだった。
「ガイドヒール展開」
　タカアシガニの各脚部の両端に備わっているタイヤつきの小型補助脚をカカトのように展開して各脚部を三点で支える。
「ステークアンカー射出」
　各補助脚に付いた杭を合計八本打ち出してカカトを固定する。
「タカアシガニ起立完了」
　思わず声出し確認でタカアシガニと言ってしまってから、しまったという顔になったが、もちろんそれは戦車の外のガイデルハント大尉には見えていない。
「……報告は正確に」
　きっちりと注意してくるものの、いつものような尖った言い方ではないのは、恐らく尊敬する上司が率先して使った比喩表現を頭ごなしに否定する事が出来なかったからだろう。
「了解、四脚起立完了」
「外の風景はどうだ？」
「四脚それぞれの先っぽに付いてるカメラがそれぞれ地面を映していて、とても砂っぽい」
「ふざけるな、切り替えろ」
「了解、表示モニタをメインカメラ映像のみに切り替える」
　起立状態だとカメラの位置も高くなるため、これまでだと見えなかった遠くまで見えるようになる。
「前方に敵影なし。本体サブカメラに切り替え、周囲を索敵する」
　砲身が生えている部分をカバーするための曲面装甲版に仕込まれているメインカメラから、本体の側面上部や背面に付いているサブカメラの映像をサブモニタに映して周囲の様子を確認する。
「同じく敵影無し。固定脚旋回をし、全方位索敵を開始する。固定脚は左後方外部」
「了解、少し離れる」
　ガイデルハントが五歩ほどさがるのを確認してから、左後ろ足の外側以外のステークアンカー七本が地面から引き抜かれ補助輪に格納される。
「微速旋回」
　四脚となった事で履帯の接地面積が減った無限軌道の右前足と右後ろ足が前進し、左後ろ足がステークアンカーで固定されているため、戦車が左後ろ足を軸にゆっくりと旋回を開始する。
　杭を打って固定せずとも、無限軌道の順回転と逆回転を組み合わせる事でその場での旋回も可能である。むしろ四脚モードはその際の旋回に必要な円の直径を減らして小回りを利かすという意図もある。
　この場ではステークアンカーで固定することで機体のブレを少なくする、つまりカメラの揺れを押さえる事を目的として、ゆっくりと旋回して周囲の警戒をする事を選んだのだ。それは技術屋であるガイデルハント大尉が指示を出すことではなく、戦車乗りであるフィッツバーグ大尉の裁量に任されている。
　実際に乗って戦う者が最適と思う行動をするべきであるというのは、ガイデルハントが引いた己の領分を出ないための線の一つである。もっとも、たまに感情的になって破ってしまうのだが。
「周囲に敵影なし。……いや――戦闘行動に入る！」
　そう宣言するや否や、左後ろ足のステークアンカーが引き抜かれ、各脚部の無限軌道が一瞬だけ回転して戦車の方向が僅かに変わり、回転が止まると同時に全ステークアンカーが地面に打ち込まれる。
「敵か！」
　その場から退避しながらガイデルハントは通信機を切って叫んだ。
　今彼に出来る最良の行動は、戦車兵の気を散らさずに戦闘に集中させ、自分がその邪魔にならないよう全速力でこの場から離れる事であり、彼は迷わずそうしたのである。
　地面と水平だった戦車の砲身が鎌首をもたげ、天に向かって持ち上がっていく。
　同時にフィッツバーグが座る操縦席も、本体と砲身と共に縦方向に回転している。砲身の付け根上部に付いているメインカメラでは空を映すだけで前が見えないはずだ。恐らく今頃は水平を保つ唯一のパーツであるベース部分の前面に取り付けられたサブカメラを使い、前方を確認しながら敵との距離を測っているのだろう。
　地面と砲身の角度は四十五度で停止した。最大射角を自動で選択した場合にはここで止まるようになっている。手動ならばもう少し高い射角も可能だが、四五度が射程距離の面では最良だというのが定説なので、操作の忙しい一人乗りの24式ルクファリ単騎型では全てこの仕様が採用されている。
　轟音と共に砲弾が発射される。発射の衝撃を地面に逃がしきってから、即座にステークアンカーが引き抜かれ、無限軌道が回転する。
「あの阿呆、何をする！」
　ガイデルハントが思わず叫んだのは、フィッツバーグが戦車を前進させながら四脚状態の固定を解除し、その上で左前の無限軌道だけを他の三脚よりも早く解除して斜めに傾きながら走り始めたからだ。
　歪な状態での走行は僅かに戦車を左に曲げながら前進させた。完全に四つ全ての無限軌道が水平位置に戻った24式ルクファリ単騎遠征試験機は、高機動戦車の名に恥じぬ速度であっという間に遠ざかっていく。
「なるほど、撃った位置から即座に前進するのではなく、曲がりながら前進することで相手に位置を悟らせないという事か」
　左前方に走り去った24式ルクファリ戦車が再度四脚モードに起立し、今度は停止しきらないうちにその場で素早く右方向に旋回すると、また通常モードに戻って高速前進を開始した。
「あの数秒で索敵をしたのか？　馬鹿な」
　遠くで見守るガイデルハントには理解出来ない速度である。
　そもそもあそこまで素早く通常と四脚を切り替えたり、切り替えながら走る事で移動しながら方向転換をするというのも、開発者である彼の想定を越えていた。
「腐っても、英雄と呼ばれた戦車兵か……」
　停止し、戦車を四脚にしてカメラを高い位置にすることでより遠くまで、より広く見えるようにし、ゆっくりと旋回をしながら索敵をしてから方向を決め、通常モードに戻して移動する。そんな教本通りのやり方を否定するかのような速さ――半歩間違えば拙速とも言われかねない迅速さだった。

　それから五分もしないうちに24式ルクファリ単騎遠征試験機は悠々と凱旋した。
「戦闘行動を終了、戦果は危険動物の排除と数日分の肉、こちらに損害はなし」
　サイドハッチを両側面とも展開し、操縦席が丸出しの状態でのんびりとガイデルハントの所へ向かってくる。良く見ると、展開したサイドハッチが更に展開して屋根のようになっている事から、高効率エネルギーパネルを全面展開して充電しながらの行軍モードに切り替えているのが解る。
「消耗した弾薬はどうか」
　通信機に問いかける。
「榴弾が一発と、試作エネルギー砲弾が一発。後者は実質消費なしなので、榴弾一発だな」
　返ってきた気楽な声にガイデルハントの表情がこわばる。
「貴官、今……エネルギー砲弾と言ったか？」
「ぶっつけ本番で切り札として初使用するより、こうして余裕のあるうちにどんな物か試した方が良いと思ってな、使用した。一直線にしか飛ばないし射程距離も短いが有効射程距離外からでも、相手を焼き肉にする火力はあったぞ。いい焼き加減だから、調理の手間が省けたな」
　そう軽快に笑う。
「馬鹿か貴様は！　あれほど最後の手段だ、切り札だと念を押したのになぜ使う！」
　怒鳴り声は通信からだけでなく、肉声でも辛うじてフィッツバーグの耳に届いた。
　それに対して「最初に説明したじゃないか、ぶっつけ本番はなくて余裕のあるうちに試す必要があるって」とか「お前さんにもそんな大きな声が出せたのか」といった言葉が口をつきかけたが、必ず逆効果になると判断してフィッツバーグは口をつぐんだ。
「しかも有効射程距離外からと言ったな？　貴官ほどの腕があれば有効射程距離ぐらい認識しているだろう、つまりわざと有効射程距離外から撃ったな!?　馬鹿か！　試作だから一発撃ったらエネルギーが尽きて行動不能になるかも知れな――」
　通信機をこっそりと耳から外し、聞き流しながらのんびりと戦車に揺られる。
「セルフォリーフか、案外悪くないな」
　そう言って、密かに持ち込んでいた焼けた肉を一口齧る。
「――貴――今何か――声――遠い――貴様！　通信機を外しているな！」
「やべっ」
　帰着したフィッツバーグは十歳も年下なガイデルハントに散々説教をされた後、操縦席に漂う肉の香りとシートに垂れた肉汁を見咎められて、更に説教を重ねられるのであった。