ENo.489 アイアンローズ

　白々と夜が明けていくのを、アイリーは不貞腐れた顔で見つめていた。珍しく、いつも着ている白
いコートはハンガーに掛けられ、彼の側の木にぶら下がっている。細身の黒い上下に毛布を巻きつけ
たまま、憮然とした顔で地平線を睨み付けている。
　昨日殴られた顔が痛む。色々取られたが、懸念していた鞄への被害がなかったのは、アイリーにと
って不幸中の幸いだった。……ここでは探索者同士の戦闘も起こりうるのだ。もっと気をつけて行動
しなければならない。
　その後襲ってきた竈馬とごろつきも何とか退け、ひとまず野営の準備をして交代で休息に入った。
三人ともかなり消耗している。なるべく長時間休んでおきたかった。
　もぞり、とアイリーの隣で動く気配がした。見れば、ハルが目を擦りながら起き上がるところだっ
た。

「おはようございます、ハルさん」
「んー……アイリー君か。うん、おはよう」
「お体の調子はいかがですか。まだ早いですし、もう少し寝ていても大丈夫ですよ？」

　彼が昨日、戦闘中に集中攻撃を食らっていたことを思い出し、そう聞いてみる。
　ハルは掴み所のない表情のまましばらく考えていたが、やがてぽかりと笑みを浮かべて答えた。

「今は大丈夫そうかなぁ。寝る前よりは大分良くなったよ」
「そうですか。それなら、良いのですけれど……」
「でも、アイリー君も随分早起きだねぇ。もしかして寝てないの？」
「え」

　ハルの何気ない質問に、思わずアイリーは口ごもる。
　黙って二人のやり取りを聞いていた外法之助が、低く笑いを漏らした。

「すげえ騒ぎようだったからな、お前」
「げ、外法之助さん！」
「ん？」
「……息苦しくて目を覚ましましたら、その、干しておいたコートがわたしの顔に乗っておりまして
ね。その時のあれこれで、すっかり目が冴えてしまいまして」

　こういう時は先に言ってしまった方が良い。観念して早口で説明する。
　アイリーは深夜に外法之助と見張りを交代し、そのあと眠りについたのだが――明け方近く、息苦
しさに目を開けると、視界が何かに覆われて真っ暗だったので仰天した。
　結局のところハンガーからずり落ちたコートが顔に乗っていただけだったのだが、寝惚けていたこ
とも相まってアイリーはもろに大声を上げてしまった。よくハルが起きなかったものだと思う。
　ちなみに、見張りをしていた外法之助は一部始終を見ていたらしい。恥ずかしいにもほどがある。
　ハルは「ふーん」と相槌を打ってから、アイリーの頭上にぶら下がっているコートを見た。

「洗濯したの？」
「洗濯、と申しますか……脱いで特定の呪文を掛けておけば、勝手に綺麗になってくれる機能がある
んです。多少時間はかかりますが」

　彼のコートは「庭園」から支給されている魔法具の一種だ。「護衣」と呼ばれるタイプの道具で、
着用者の術行使の補助、出力の強化の他、細々とした機能を複数持っている。
　アイリーが「勝手に綺麗になってくれる機能」と称したのは、その中でも「自己修復」にあたる機
能である。
　適当過ぎるアイリーの説明に、外法之助がやや呆れ気味に返した。

「……随分と便利な服だな」
「借用の契約時に、かなり面倒な手続きがごさいましてね。ある程度多機能でなくては割に合いませ
ん。……それにこいつ、噛みますし」

　アイリーの最後の台詞に、外法之助が怪訝そうに眉間に皺を寄せ、ハルが目を丸くした。
　咄嗟に「冗談ですよ」とアイリーは口走ったが、どこまで取り繕えたかは分からない。
　溜め息を吐き、恨めしく護衣を見上げる。
　そ知らぬ顔で揺れている白い布。
　それをまた纏う時の事を考えて、アイリーは憂鬱になった。