ENo.3378 ズィグナール=フォイアー

　ジッと小さな音を立てて仄かな光が点る。
　新たな煙草に火を点けたズィーは、味わうようにゆっくりと紫煙を吐き出した。
　その顔めがけて華奢な足が繰り出される。

「だからな、嬢ちゃん」

　右手の甲で蹴りを防ぎ、返した手でそのまま掴むと、驚愕に目を見開く少女―マールの軸足を無骨なブーツが軽く払った。
　小さな悲鳴を上げて体勢を崩した少女の足を解放し、逆の手で腕を掴んで後ろへと倒れるのを止めてやりながら、再び男は紫煙を吐き出す。

「攻撃が軽いんだから、こういう見え見えなとこ狙ったらかえってカウンター喰らうぞ」

　マールが体勢を整えるのを待って手を離し、携帯灰皿へと灰を落とす。

「一撃目で決めるのもいいが…嬢ちゃんは速さがあるし、あえてガードさせて空いたとこを狙っていくのもアリだと思うぜ」

「うーん、そういう駆け引きのようなのはどうも苦手でして…」

「まぁ、実戦を経験してそんな時間経ってねェっていうしなァ…慣れの問題もあるんだろ」

　煙で器用に輪を作りながら、ズィーはしばし思案する。
　ズィーも近接攻撃の手段の一つとして格闘術を使うが、剣術と併用して使うそれはある程度の筋力があって生かされるスタイルだ。
　ズィーもマールも翼を持ち空を飛ぶ種であるため、どうしても先天的に骨や筋肉が華奢なつくりである。
　だが、ズィーは片翼を失って以来、筋力を強化する訓練を行ってきた。故郷の一般的な有翼人と比べれば、これでも体格はかなり良い部類に入る。
　一方のマールは悪魔だが、戦闘を専門にする種族というわけではないらしい。実戦の経験があるとはいえ、魔力で筋力を強化できるというわけでもないとのことなので、彼女は今のところ外見に準じた筋力しか持たないということになる。

「瞬発力と命中補正の術は使えるんだから、それを活用しない手はないぜ」

「そうでしょうか？」

「持てる技術は使ってナンボさ。速さってのは筋力がなくても攻撃を重くできるしな」

　スピードが乗った打撃というのは威力がある。それを急所に叩き込めば、例え元の筋力がなくとも相手に与えるダメージは大きくなるのだ。
　ただし、その攻撃スタイルには相手に攻撃箇所を悟らせないほどのスピードか、フェイントを織り交ぜたトリッキーな動きが必要となる。

「とりあえず、スピード強化かねェ…速さでかく乱して、正確に相手の隙を突く」

「はい！」

「よし、じゃあとりあえず……30ｍダッシュ、10本いってみようか」

「は…え？あ、はい!!」

　にっこり笑って出された指示には一瞬戸惑いを見せたものの、マールは素直に頷いてみせる。
　これが故郷の弟や部下共なら迷わず大ブーイングを寄越してくるところだが、前向きな悪魔の少女は自身を鍛えることにも一生懸命だ。
　いっそ彼女の爪の垢でも煎じて飲めばいいのに！と思い、思った所でしばらく彼らに訓練を課すこともないのだと思い出す。
　ここのところ『出張』が多くてマトモに管理職業務をやってない気がするが、上からの命令なのだから仕方ない。
　元々望んだ地位でもなし、傭兵稼業の方が性に合っている身としては、今の生活の方が不満は少ないくらいだ。

「これであとは女房子供が一緒にいられればなァ…」

「…？ズィーさんどうしました？」

　煙とともに吐き出した呟きが聞こえたのか、スタートのラインを引いていたマールが顔を上げた。
　それに何でもないと首を振って、ラインからおよそ30ｍの地点に立つ。

「んじゃ、合図したらスタートな。準備は？……ＯＫ？よし、それでは位置についてー…」

　その日の夕刻、ヘトヘトになった少女の横には、夕飯の下ごしらえを手伝う傭兵の姿があった。