ENo.3330 ネイト・グラスウォール

今いる場所は山の麓にある平原だ。
元来た方向には森がある。
西側にはもうちょっと平原が続いてるようだが、其の先は山が見えていた。
北に見える山が山脈となって西から東へと連なっているらしい。

西方面には何もないことが分かっている。
タルタスの街から北に直進するか北東に進むかの分岐って言うだけで
あっちにあるのは砂地と海しかないらしい。
北東側は山に囲まれた平原が点在する地形だったが、
どっちも大した物がないってのは変わらない。

つまり、これからの行き先はこの山を越えてさらに東となる。
それ以外、行く場所がないからだ。
他に行く場所がないと言うことは、目の前の山を登り越えなくてはならなくなる。

この山は東に見える大陸とこちら側を繋ぐ
唯一の橋のような役目を果たしているらしい。
態々こんな地形になる必要もないだろうに。
流石はアンジニティっと言ったところだろうか。
こっちとしては迷惑以外の何者でもないが。

俺だけなら、なんとかなる。
でも違う……“俺達”は違うから。

今朝、涅槃雪の歩き方がおかしい事に気付いた。
見てみたら、鼻緒に当たる部分……指の付け根が血に塗れていた。
多分、豆になってそれが潰れたんだろう。
今までは早く出なければと思っていた……ただそれだけを。
しかし、そのことだけを考えていた結果がコレだ。
俺は、周りを良く見ていなかった。

彼女は、雪は今意思表示がすることが出来ないんだ。
歩けるから、付いてこれるから……だから疑わなかった。
彼女にはペースが早すぎる上に強行軍だったんだ。
疲労も酷いだろう。

ココには車なんかない、移動するには自分の足で動く必要がある。
それに、慣れているかどうかなんて考えもしなかった。

「まぁ、そう落ち込むなって」

兄が荷物の上に腰をおろして声を掛けてくる。
迷惑をかけているのに心配をしてくれる、こいつはいいヤツだな。
困るのは自分だからってのもあるかもしれないが
それなら他を見つけに行ってもいいのだ。

「ああ、済まんな。ありがとう」

とりあえず、ここは素直に礼を言っておくことにした。
兄はそこから立って東の海の方へ歩く。

「本当にあそこしか行く道ないんだもんなぁ」

大きい声で山の様子をぼやく。
仕方ない、そう言いたいのだろう。
まぁ、自然が相手じゃ仕方ない部分もある。
後は、俺が……雪をどれだけ理解してこの先を進むかだ。

「……そうだな」

目の前の山を見上げて言う。
登れない高さでもないが、平原なんかよりははるかに厳しい場所だ。
だから、仕方ないさ。
今回ばかりはこいつの所為にしよう。

「……少し休むか」

そうぼやいた。
今日一日くらいは、仕方ないさ。
山が相手じゃな……そうでもなけりゃ
今まで彼女を労わってやれなかった、俺が悪い。
……いや、一番悪いのはヤッパリ俺かな。
立ち上がって、山を見上げる。
難攻不落の城壁のように感じるそれに圧迫されてるようで
焦っていた自分を責められているようで、ちょっと大きい声で提言した。

「うん、今日は休もう」

――しかし、彼はヤッパリ周りを良く見れない性質らしい。

「さん……ね……さ………」

その時、自分の背後にいた彼女の変化に彼が気付くことはなかった。

「で」

休むって決めたはいいが……しかし相手は待ってくれない。
今日も戦闘がある。
今日くらいはなくてもいいんじゃないか、と思ったがそうも行かないらしい。
人生は日々闘争である、とどこかの誰かが言っていたような気がする。
まぁ、それはいいんだが……

「なぁ、相手が明らかにただの肉なんだが」

相手は、肉だった。
肉塊とか良く表現としては使う。
が、そういう変な状態になってるわけではない。
いや、現状既に十分変だが。
どんな肉かって、それはそのまま切り分けて料理に出せるような。
つまり、そんな肉だった。

「肉だな」
「肉ですね」

兄妹も断言。
だよなー。
そんな折、

「きみ、ベジタリアン・・・？」

肉が、喋った。

「目とか口とか、よく見れば付いてるの怖いなこの生物」
「生物といっていいかも良く分かりませんね」

でもまぁ、と突っ込みを妹が続ける。

「ベジタリアンかどうか聞く辺り、自分がどう言う存在なのか分かってるのかもしれません」
「……そーな」

この世界では珍しいまっとうな蛋白質だ。
逃がさないようにしないとな。

そして、無事に１ブロック使える肉が手に入った。
結構逃げ足が速くて困った。
食べられる側としても意地があるのかもしれない。
まぁ、コレで何かいいものが作れそうだ。
さて……

「お前達は」
「お酒で」
「…………」

その一言とともに、妹が果物をこっちに持ってきた。
ああそうかい……。
ま、雪には何かしら美味しい物を食べさせてやれそうだ。
さて、どうするか……そういえば今日は移動時間がない。
そう考えると普段出来ないような物を作ろうと言う気になる。

「……そうだ」

味をしっかりしたものを食べさせようと思っていたところだった。
ココは煮込みの必要なもの、カレーにしよう。
カレーは素晴らしい、嫌いな人は今まで出会ったことがない。
辛さがダメって人はいるが、それはカレーの味自体ではないしな。
軍隊でも定番メニューになるほどの一品だ。

ただし、刺激が強すぎてもダメだから出来るだけ薄味で。
カレーはカレーであるだけでカレー味がするので問題ない。
スパイスは多少多めに持ってきている。
これでそれっぽく作ることは可能だろう。
タルタスも、こういうものは値は張るがあるからな。
どこにいようが、食は人にとって大事なものらしいと言うことが良く分かる。

肉はほんの少し、出汁を取る程度に使おう。
長く煮込んで強く噛まないでも良いように。
自分の分も一緒に多く作ろう。
鍋物はまとめて作るほうが美味しく出来る気がする。
そして楽。

「んし……」

煮込み終わりっと。
たまにかき回すだけの作業になるからな。
実は後半暇なんだよな、この料理。

適当な量をよそって涅槃雪が座ってる隣に腰掛ける。
実は殆どない……おもにルーのみのスープカレーだ。
今日取った肉がちょっと入ってるけど……。
ご飯とかが本当はあればいいんだけど、流石に無理はいえない。
あるにはあるが、一回の食事にそんなに量を費やせないのが現状だ。
食事面の話は早く何とかしたいが……涅槃雪がこんな状態でもある。
移動の意味でも、摂取量や方法の意味でも……焦らず行くことにしよう。

「今日は、ちょっと自信あるよ」

そういって、スプーンで掬う。
前述の通りご飯やパンはない。
の上に、涅槃雪が自発的にとっている食事じゃない。
だから出来るだけ味は薄くした。
本当にカレーっぽい味のするスープって感じだ。
でも、分かりやすい味だから何かしら届くといいな。
そう思い、口元に匙をつける。
こうやって物を当てると反射なのか口を開けてくれるのは良かった。
水分を入れるのも楽だし、口の中のものはちゃんと飲んでくれる。
小さく開いた口が匙の先を含むと、ゆっくりと傾けて流し込んだ。

「…………」

コクリ．．．

彼女が口の中でゆっくりと転がして嚥下するのを見る。
普段より、幾分長く口の中にあったような気がする。
ちょっとは、楽しんでくれただろうか。

「美味しかった、かな？」

そう言って自分の分を掬って一口飲んでから
また彼女に一口。
ちょっと慌てすぎたのか端から一滴だけ漏れた。

「っと、ごめんな」

左手で持っている皿を置いて、指でそれを拭う。
なんとか顎に掛かる前に拭き取ることが出来た。
そしてまた自分の分を一匙飲み、また彼女に。
そうやって繰り返していくうちに、いつの間にか笑顔になってる自分がいた。
彼女も今、食事を楽しんでくれているような気がして。

『美味しいです』

って、言ってくれている気がして。
それだけで、今日一日、自分だけ疲れが取れたような気分だった。