ENo.3016 滝宮姉弟

ハネズ「この時間帯は海へと吹きぬける陸風が寒いですね。」

夜のうちに冷えた陸地の空気が、気圧の低い海上へと循環気流を起こしているようです。

朝日が差す頃になれば気圧が逆転をし始めて無風になるのですが・・・。

明け方前の海岸、凍える空気が肌を刺す感覚。

鼻腔を冷やすこの独特の空気感は嫌いではないですけどね。

レディカ「・・・・・。」

あれは・・・レディカさん？

波打ち際で一人佇んでいらっしゃるようです。

ハネズ「朝から物憂げですのね、レディカさん。」

レディカ「あっ、ハネズさんおはようございます。」

ハネズ「どうされました？この状況ですし、お悩み事は多いでしょうけど・・・私でよろしければお聞きしますのよ。」

レディカ「ありがとうございます。え、えぇと・・・スオウさんは今はどちらに？」

ハネズ「スオウですか？今は薪（たきぎ）を拾い集めてますの。朝は冷え込みますから。」

レディカ「そう、ですか・・・。」

ハネズ「ふふ、スオウに用事でしょうか？」

レディカ「そ、そんなんじゃないんです。いつもお二人は一緒でしたから、その、今日も一緒なのかなって。」

ハネズ「一緒な事は多いのですけれどね。・・・んと、お悩み事はスオウに聞かれてもアレですし、今は離れてるのでそこは問題ありませんよ。」

レディカ「・・・・・。」

ハネズ「どうしました？」

レディカ「この間まで、あたし・・・元の世界に戻ってから、それからどうするか、勉強は追いつくのか、両親は許してくれるのか、そんな事ばかりを考えていました。」

ハネズ「・・・突然の事でしたからね。レディカさんが飛ばされた原因までは解りかねますが。」

レディカ「あたしの中で、家と学園が世界の全てだったんですよね。我武者羅になって頭に学業と知識だけを詰め込んで、それで世界を全てを知った気になって、得意げにそれを披露するだけの狭い見識しかなくって。」

ハネズ「・・・・・。」

レディカ「あたし、井戸から自力で出られないただの蛙でした。」

ハネズ「そんな事はありませんのよ。自らの手が届く世界で全力を尽くす、素晴らしい事じゃありませんか。」

レディカ「・・・違うんです。自分の手が届くんじゃなく、周りが無理矢理にあたしの手を伸ばしてただけだったんだって気づいてしまったのです。」

ハネズ「それでも・・・その世界で生きる為に必要な事だったのでしょう？」

レディカ「必要ではありました。でも・・・あの井戸の世界から離れて気づきました。あの世界に、学園に、家族に、未練なんてなかったんだって。」

ハネズ「簡単に故郷を捨ててしまっても良いのです？」

レディカ「楽しくなかったのです。毎日が。」

ハネズ「・・・！」

レディカ「家系に箔をつける道具でしかなかったんですよね。あたしの為の教育じゃなく、家系の為でしかなかったのです。当然、両親からは愛情なんて欠片もありません。」

ハネズ「レディカさんは養子、なのですよね。」

レディカ「あの世界に、あたしには人としての居場所はなかったんです。道具としての居場所しか。」

ハネズ「・・・お悩みはその関係ですか？」

レディカ「いえ、『今の』問題はその先ですね。」

ハネズ「その先、ですか？」

レディカ「ここにきてからあたしの為に、損得も絡まず、私心の憤怒だけじゃなく、感情を込めて怒ってくれて、外の世界を教えてくれたのです。」

ハネズ「・・・？」

レディカ「あたし、スオウさんの事が好きになりました。」

ハネズ「！！　す、スオウ・・・を？」

レディカ「スオウさんと一緒にいると毎日が楽しいんですよ。今まで女学園でしたし、男の人と接する余裕も機会もありませんでしたから。あたしを『人』として扱ってくれます。」

彼女、ごく普通の優しさにすら触れずに育ってきたのですね・・・。

レディカ「あたし自身、出会って数日なのに単純だなって思っちゃいます。でも・・・好きになるのって理屈じゃないんです。」

スオウだって人間として、特別に優しいというわけではありません。

母の教えを忠実に、それを実行しただけなはずなのです。

しかし・・・感情は理屈じゃないですよね。

恋愛は勢いとタイミングが全て、長く接しすぎれば感情も冷めてゆきますから。

レディカ「ハネズさんも薄々感づいていたかもしれませんね。ならば、カミングアウトしてしまった方がお互いにすっきりするでしょう？」

ハネズ「・・・そう、ですね。では、私から一つだけお伝えする事がありますの。」

レディカ「なんですか？」

ハネズ「私からスオウにレディカさんのお気持ちは伝える事はありません。然るべき時、然るべき間柄になったらレディカさんの口から直接お伝えするべきでしょう。」

レディカ「・・・はい。元よりそのつもりです。」

ハネズ「お二人の恋路を応援したい気持ちはあるのですが、私が間に入ってはスオウの判断も拗れてしまいます。あくまで、最終的な決断はスオウに任せたいですからね。」

レディカ「わかりました。えぇと、その、ハネズさんはこの事をどう思いますか？」

ハネズ「スオウの関心が私よりもレディカさんに向かうと思うと少し嫉妬しそうですが、関心は家族以外の異性に向く方が自然な事です。それによってお二人が不幸にならなければ、私はそれで良いと思ってますの。」

レディカ「あはは、素直にスオウさんを不幸にしたら許しませんよって脅しても構わないのに。」

ハネズ「そこまで大人気なくはなれませんから。スオウだって乙女心をどれだけ理解できるかわかったものじゃありませんし。それに・・・何事も経験は必要です。」

レディカ「不安・・・ですか？」

ハネズ「不安がないと言えば嘘になります。スオウの不用意な一言で傷つけたりしないか、とか。弟も恋愛経験が豊富というわけではありませんし。」

レディカ「あは。自分は恋愛経験が豊富、って言ってるように聞こえますよ。」

ハネズ「豊富、と言うほどではないですが・・・人並みに恋愛は経験したつもりですのよ？」

レディカ「お、お相手は？どこまでいったんです？今もその関係は続いてるんです？」

ハネズ「・・・踏み込んできますのね。」

・・・さすがに子供がセルフォリーフにいるって答えたら滅茶苦茶な誤解をされますよねぇ。

彼女には事実をどこまで伝えるべきでしょうか。

スオウ「二人ともそこにいたのか、クロネが朝食を作ってくれた。早く来ないと冷めてしまうぞ？」

ハネズ「呼ばれてしまいましたね。一先ず、朝食にしましょうか。」

レディカ「はぐらかされちゃいました？いつか聞かせてくださいねっ。」

朝食に救われましたか？

にしても、お二人はどうなるのでしょうかね。

ハネズ「最初から私が二人の関係に入る余地などなく、何も手出しができないのはわかりきっているのですが・・・心がざわめいております。」

いつの間にか地平線から朝日が差し込み、風は止んでいました。