ENo.2656 プラシオ・コランダム

　凄まじい威圧感。

　この世界に来る前に狩った三つ首の狼を、眼前の二体は軽く凌駕している。
　武器を構えたものの、勝算がまるで見当たらない。
　選択肢は逃げる以外無い。

　赤い少女の方は多分一度距離をとればそのまま逃げ切れる。
　しかし、この巨大な蟻に関しては未知数としか言い様が無い。
　人間サイズの蟻の移動速度など、果たして推し量れようか？
　だが戦って勝てない以上、やるしかない。

　先ほど赤い少女は言葉を喋った。
　下手にツキに言葉を言うと察知される恐れがある。
　一か八か。目配せだけをツキに向け、ツキは額に滲んだ汗を拭いつつ頷く。
　腹は決まった。後は進む！

ツキ「これは止めれないわ！」

プラー「エオロー（Eolh)！！」

　身を乗り出そうとする敵二体に、私たちは同時に先制攻撃を浴びせる！
　初手をとった事で僅かながら相手の気勢を殺いで、
更に体勢まで崩せればと思ったが……

（傷一つ付いて無いなんて！）

　どちらの攻撃も意表をついた足止め程度に終わった。硬すぎる――！
　それもすぐに体勢を取り戻し、私たちに襲い掛かって来る。

　巨大な蟻はツキの方へ、赤い少女は私へと向かってきた。

　特別な動作など無く、そのまま振り下ろされた一撃を受けようと双剣を交差させる。
　しかしその直後に恐ろしい予感めいた物を感じて心臓が跳ね上がり、
無理な体勢を承知の上で左へ回避する。

　攻撃を難なく避けた刹那、その余波が私の胴体へと叩きつけられる。
　幾つかの肋骨に罅の入る音と感触を感じ、堪らず右手で口を押さえた。
　次の瞬間、血が胃や肺にあった空気と共に勢い良く右手を濡らす。

　ただの一撃、それも唯の余波で余力を完全に持っていかれた！

　腹の痛みに顔をしかめつつも、不思議な少女が作ってくれたロザリオを両手で握る。
　双剣での近距戦は戦えない。
　子供が熊に木の枝を持って挑むような物だ。

プラー「エオロー（Eolh)！！」

　狙いを眼に定めて、痛みに揺れる精神を必死に纏め上げて光霊の技を手繰る。
　平時より威力は劣るが、なんとか打つ事ができる！

　流石に眼に直撃は避けたいのか、赤い少女はそれを見た瞬間避け、
ツキの方へ向いていた巨大な蟻に直撃する。
　無防備な背中に当たったのだから、少なくとも一瞬は意識此方に意識は向く筈。
　ツキが逃げ出す隙位は――

　そう思っていた私の眼前に迫っていたのは、私が打った筈の光弾だった。
　咄嗟に両手を全面に交差させて防ぐ。
　光の熱で僅かだが皮膚の焼ける音がした。
　魔力の扱いがまだ未熟で助かった。
　痛みはあるが、それほど深いダメージではない。

　今のは反射された？　そんな芸当までこなすというのか。
　こんな連中がこのまま増え続ければ、人類が追いやられるのも遠い話ではない。
　自分の想像に歯痒くなるが、状況は変わらず逃げる隙は無い。

　ツキの方を見ると、大事は無いもののかなり痛めつけられており、
そして雰囲気が豹変している。あちらも余裕が無いのだろう。

　どうする？　どうすれば――！？

　痛みと焦燥で思考が乱れ始める。
　こんな時こそ冷静に努めろと教わったというのに……

　巨大な蟻が、耳を劈く大きな金切り声を上げ、弱った私たちへと突進してくる。
　その様子に、私は絶望を感じ一瞬心が折れかかる。
　しかし、私は死ぬ気は無い。
　強い意志で蟻へと視線をぶつけた。
　それと同時に、持っていた指輪が強い光を放つ。
　その強い蒼の光を巨大な蟻と赤い少女は嫌がり、下がって身じろぎせず伏せている。

　そして、いかなる効果か光に当たった私とツキは傷が癒え始めた。
　何が起こったのかわからないが、初めて生まれた明確な隙だ。
　
　今しか無い！

プラー「ツキ！行こう！」

ツキ「――、はい！」

　私とツキは全速力で一気に敵の手の届かぬ死角へ駆け抜け、そのまま走り去る。

「貴様ら――次はないと思え」

　赤い少女はそう振り向き様に呟く。
　私はそれを悔しさと共に心に流し込み、走り続けた。

　１時間は走っただろうか。
　小さい湖のある場所に着いた私たちは、そのまま地面に倒れこむ。
　そして倒れたまま湖へとにじり寄り、透明な水を手で掬い取り喉に流し込んだ。

　喉の鳴る音が響くほど勢いよく飲み、ようやく活きた心地が返ってきた。
　ツキは少し咽ていた。
　どじっこめ。

プラー「はぁっ、はぁーあ」

　そう言葉にならない喘ぎを発しながら、仰向けに転がる。
　空が青――くないな。真っ赤に染まった朱色だ。
　これはこれで綺麗ではあるけど。

　オルゼの街はここからもう見えている。
　暗くなり、別の魔物に会う前にたどり着いた方が良さそうだ。

　ふと左手の親指にはめた指輪を見る。
　先ほどの光は無くなり、今は太陽の赤を混ぜた透き通る蒼紫の色を輝かせている。
　一体なんだったんだろうか。
　思えばここまで命の危機に陥ったのは初めてだった。
　そして、その危機に反応した指輪……、ええい分からない！

　分からない事は考えても無駄だ。情報が足りて無い。
　こんな時はエールを流し込むのが一番だ。

プラー「よしツキ、もうひと踏ん張りだ。街はすぐそこだよ」

ツキ「疲れました……ベットで早く寝たいです」

　そう言って目蓋の落ちそうな眼をこするツキ。
　同感だ。但し私はエールを飲んでからだ。
　そんな感じで、私たちはなんとかオルゼの街に到着したのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「あいよ、鶏肉の串焼きに芋の蒸し焼き、うちの街特製のラガーだ！」

　きたきた、来ましたよ。

　この街ではエールよりラガーが美味しいらしく、エールではなくまずそっちを頼んでみた。
　ラガーを喉に流し込むと冷たい液体の感触と炭酸の官職が合わさり、
得も知れぬ爽快感が身体を突き抜ける。

　コレですよコレ。ああ、生きてて良かった。
　すぐさま串焼きに齧り付き、油が口に残ってる間にラガーを呷る。
　もうちょいラガーを飲みたいな……よし。

プラー「おっちゃんラガーもういっちょ！」

「あいよー、見た目の割りに呑むねぇ」

プラー「育ち盛りだからね！」

　ちなみにツキは宿屋で部屋を取って直ぐ、ベットにダイブして動かなくなってしまった。
　身体を鍛えていて訓練も積んでいる様子だったが、冒険者としての活動に慣れていないのだろう。
　気疲れが溜まっている様だったのでそのまま寝かせておいた。
　宿屋のおばちゃんには、もし夜に眼が覚めるようだったら飯を食べさせてやってくれと頼んである。
　飯は宿代に含まれているので問題ない。

プラー「あ、そうそうおっちゃん」

「ほいラガー、なんだい？」

プラー「この辺でいい依頼無いかな？今のとこ二人組みなんだけど」

「そうだなぁ……幾つかあるが、距離的にはこれか」

　そう言って酒場のおっちゃんは依頼の書かれた紙を取り出す。
　しかしイマイチ乗り気ではない。

プラー「なんか訳有り？」

　冷えたラガーを芋を頬張りつつぐびりと飲む。

「んん、いやそうじゃないんだが幾つかの冒険者達が負けててな。死人は出てないが荷が重いかもしれん」

　今この世界で冒険者といえば、大体分割世界から来た人々だろう。
　猛者も多い中、どうにも手を焼く依頼らしい。

プラー「死人が出てないってことは退散は可能ってことかぁ。うん、ちと依頼の紙ちょーだい」

　もし行くなら気をつけてな、とおじちゃんから紙を受け取り詳細を見る。
　ふんふん、巨大山猫が周囲を荒らしているので退治を、か。
　この世界は本当に色々巨大化してるなぁ……。

　少し前の戦いが脳裏をよぎる。
　強くなる為には少し格上と戦う事が早い。
　基礎を疎かにしていなければ、だけど。

　明日ツキと相談してみよう。
　その為にも英気を養わなければ――！
　ラガーで喉も潤ったし、鶏肉を追加してエールに移ろう。

プラー「おっちゃんエール頂戴ー！」

　燃料補給だ！