ENo.1638 リィセ

瞼を照らす光の明るさにこらえきれず、目を開く。
身体に差し込む陽のぬくもりは暖かく、心地よい。

………。　少々、眠り過ぎただろうか？

タルタスを離れて二日が過ぎた。
ここからは、もはや街の外縁がおぼろげに見えるのみ。

もう、あそこに戻ることも無いのだろう。そう思うと、少々感慨深いものがある。
　まぁ、正確には『戻れない』んだが…

前足をそろえて背に力を込め、ぐーっと伸びをして、眠って鈍った体に渇を入れる。
だが、まだ眠気を払いきれないようだ。…あくびが出てしまう。

ぶるっと身を震わせる。
昨日は、海岸沿いを歩いていた。一日中潮風に当たっていたせいか、毛がべたついている。
おかげで、首筋のあたりが落ち着かない。首を上げて、がしがしと後ろ足で掻く。

そこで、ふと我に返る。

ああ…
獣としての所作が、すっかり身に付いてしまったなぁ。

はは。と、苦笑とも溜息ともつかない息が漏れる

獣になったといっても、心まで獣になる訳ではない。

故郷の里では、獣となったものも、ひとと変わらず共に過ごしていた。

ひとの時の様に、道具を扱ったりすることはできなくなるが、
鳥や兎、小さめの鹿程度なら弓矢を使わずとも爪や牙で狩ることができるし、
大きな獲物を狩る時は、追い立て役に回って手伝うこともできる。

畑仕事も、手伝えることが多い。

犂を牽いて田畑を耕すのは、獣となった者の役目だ。
畑を見回って、害虫を潰したり雑草を間引くくらいは、ひとの器用な指がなくとも前足で十分できる。

収穫するときも、芋を掘り起こしたり、南瓜の蔓を噛み切って銜えたり…
あるいは、籠を背に乗せたり、荷車を牽いたりと、色々手伝える。
背の高いとうもろこしを刈り取るのは、流石に難しそうだが。

今は記憶の片隅で色褪せてしまった、故郷の情景が頭を過ぎる。

あの時、抗わずに運命を受け入れていれば、
いまごろはそんな暮らしをしていたのだろうな…

………。

運命に従わなかったことについては、後悔してはいない。

このような身体に生まれついたという宿命は、
自分ではどうすることもできないものだ。
それには否も応も無い。あるがままを受け入れるしかないだろう。

だが、運命まで手放すつもりはなかった。
運命は、自分のものだ。
私には、まだ、やりたいことがあったのだ。

だから、ただ運命に流されることを…
成り行きに盲従することを、拒んだのだ。

その選択は、愚かなものだったのかもしれない…
届かぬものに手を伸ばそうとして、翻弄されていただけかもしれない…

しかし、少なくとも、自分で選んだ道だ。
だから…抗ったことに、悔いは無い。

まぁ、結果はこの有様だがな。

ふぅ。とひとつ大きく息をつき、若干自嘲めいてきた感情を切り替える。

さて、往くか。
少し急ぐとしよう。寝過ごして遅れた分を取り戻さねば！