ENo.150 ダーク＝ブラッドペイン

『ダーク＝ブラッドペインの記録』

　ミラージュの日付『PC2268.07.05』――

　ゆるやかな速度で小さな花火の立体映像が次々に上がっては、同じくゆるやかな
速度で散って消えていく。
　しろわんが興奮して花火に飛びかかるも、花火の立体映像はしろわんの身体を
するりと通り抜ける。それが楽しいのか、しろわんは何度も花火の立体映像に
飛びかかった。
「お？　面白いのか？」
「わん！」
　しろわんはぱたぱたと尻尾を振って、ワタシの周囲を駆け回った。
　ワタシはしろわんの跳躍力で届く範囲内で、立体映像の小さな花火を打ち上げる。
　犬の視覚的に使用する色は限定されてしまうが、しろわんが面白がっているのなら、
限られた色の花火でいいだろう。
「てやー！」
　ぽんぽんと花火が上がり、しろわんが花火を追う。
「わぉ〜ん♪」
　楽しそうなしろわんの姿を、ワタシは楕円状の目で追っていた。

　しろわんの相手をしている内に、一時間程経過しようとしていた。
　そろそろ帰らねば、机に伏せて眠ったままのマスターが風邪を引くかもしれない。

　そろそろ打ち上げにしようとしたその時だった。鴉のような鳴き声が聞こえた。
　見上げると木の枝に目を輝かせた黒い鳥……鴉らしき鳥が止まっており、じっと
こちらを見つめていた。
「……鴉という鳥か。しかし、なんと奇妙な瞳だ。鳥と思えない輝きだな」
　しろわんも鳥に気付いた。低い唸り声を出して、鳥を威嚇する。動物の本能的に
しろわんとは相容れない存在と悟ったのだろうか。
「しろわん……！？」
　鳥は翼を広げ……ワタシを目掛けて飛んできたのだった。

　　　　　〜☆〜

　私は夜の街を駆けた。
　アークの位置はだいたい把握している。位置を把握するだけ機能しかないが、
逃亡前に腕輪を作っておいたのが役立った。

　違う。この数日で異世界は私の常識を覆す。
　私の住んでいる場所とは違う。夜も騒々しく、街は明るく輝いていた。
　薄暗い開発室に籠もることはあるし、闇に抵抗はない筈だった。
　私にとって夜は怖いものではなかった。しかし、この街は夜の闇が恐怖を抱かせた。
　同じ闇でも環境が異なれば、印象ががらりと変化してしまうのか。

　昼間の賑やかな街は死んだかのように静寂に包まれている。街灯も少なく、不気味な
雰囲気が漂っていた。月明かりもあるけれども、薄暗い。闇に生気がない。今にも角の
暗闇から異形の怪物が出て来そうで……恐ろしい。
　そう……今にも……

「わっ……！」
　突然だった。
　何かとぶつかった。角より黒い影が飛び出してきたのだ。
「うぉ……！？」
　低い男性の声がした。私は相手を見上げる。丁度。街灯のの明かりは相手の顔を
照らし出していた。

　目に入ったのはミラージュの人間を連想させる紅い瞳だった。髪は白髪で放射線状に
ぼさぼさと伸ばされている。私とは対照的に白いロングコートに白づくめという服装の
体躯のよい青年だった。
　白髪から覗く耳はミラージュの人間のように尖っていたが、肌の色がミラージュの
人間とは違った。彼の肌は浅黒かった。ミラージュの人間ではない。

　青年は驚いた表情だったが、すぐに笑みを返した。
「おっ、すまないね。お嬢さん、大丈夫だった？」
　お嬢さん……その言葉に少々、怒りを覚えた。
　しかし、性別を間違われるのは慣れているし、見知らぬ赤の他人だ。正す必要はない。
「……はい、すみません。急いでいたものですから……」
　怒りを隠そうと、私も微笑み返して、そう答える。
「そう？　この辺りは物騒だから、気をつけた方がいいよ。なんなら、私がいっ……」
「すみません！　急いでいるので！」
　これも次元共通なのか。彼は爽やかな笑みの似合う好青年的軟派男だ。
「お！？」
　私は青年を軽く突き飛ばし、思いっきり駆けだした。

　何処の惑星にもいる。自分に酔っているのか、見知らぬ人間を誘いたがる奴。
　ルックスを過剰に自慢するタイプは好かない。
　それ以前に……私は男だ。男の誘いは要らない。ついでに女の誘いも要らない。
私は恋だの、愛だのと、恋愛自体が好きじゃないのだ。

　もし、私を誘いたければ、ロボット工学関連の話題を持ち出すことだ。そうすれば、
ロボット開発の話を肴にカクテルの一杯は飲んでやろう。

　軟派青年のお陰で、先程まで抱いていた闇の恐怖はいつの間にか薄れていたのだった。

　鴉……？
　私が公園に駆けつけた時、鴉のような鳴き声と羽音が聞こえた。
「うおー！！」
　奧からはアークが敵を引きつける時の声が聞こえてくる。
「……アーク？」
　私はマントの中に手を伸ばした。指が拳銃嚢に収められた自動式拳銃に触れる。
　どちらかと言うと、私は狙撃が得意だ。
　普段はアークが敵を引きつけている(敵をつれて逃げている)間に、私がライフルで
敵を仕留めるのだが、肝心のライフルは改造のために分解したままだった。
　この先に敵がいるのなら、ライフルではなく予備の自動式拳銃で戦うこととなる。
「アーク！？」
　この前に見た不気味な鳥だった。
　アークは両手に白い何かを抱えて、不気味な鳥に追いかけられていた。
　私は拳銃を抜くと、安全装置を外し、黒い鳥に狙いを定めた。
「悪い子は……容赦しないっ！」

　黒い鳥が羽根を散らせながら、飛び去っていく。無益な殺生は嫌いだ。
退いてくれるなら、深追いはしない。
　私は拳銃を収めると、アークに駆け寄った。
「アーク！　大丈夫！？」
　マントがぼろぼろになっている意外、見た目は大丈夫そうだった。
　しかし、アークは手の中の何かを見つめている。
「……？」
　アークが顔を上げる。光の涙を零しながら、その手の中のものを私に見せた。
　白い子犬だった。子犬の毛は赤く染まり、弱々しく息を吐いていた。
「なんて酷い怪我だ。さっきの鳥に襲われたのか？」
「マスター！　しろわんが死んでしまう！　なんとか助けて！」
「アーク？」
「しろわんを助けて！」
　アークは誕生して、そこそこの年月を得ている筈だったが、急な出来事には
判断と対応が追いつかないのだろうか。
「落ち着きなさい！　貴方は命を救うロボットでしょう！」
　取り乱すアークに私は強く叱咤した。痛みを我慢して、アークの頬を叩く。
「マスター……？」
　私はアークのマントを外しながら、アークに言った。
「いいかい。アーク。今は緊急時で一刻を争うんだ。君の機能を最大限に
使用していいんだよ。今すぐいつものお医者様のところへ行くんだ。きっと、
あのお医者様なら動物も診てくれると思う。私も後から行く」
　この世界に来てから、何度か世話になっている医者だった。

　金の長い髪に色白の肌、細長い青の瞳に尖った耳の……確か、『エルフ』という
長寿の種族だと聞いた。
　医学を学ぶために、山里から多種族が集う街へとやってきたという。
　様々な患者を診てきた彼ならば、動物も診てくれるのではないかと思ったのだ。

　アークは光の涙を止め、強く頷く。
「……うん。そうだな。ワタシは命を救うロボットだ。急がないと……！」
　アークは隠していた鋼鉄の翼を広げた。本体程の高性能な機能はないが、
短時間なら低空飛行は可能だ。
「しろわん、しばらくの辛抱だから！」

　アークを見送ってから、私は黒い鳥の羽根を拾い上げる。
　羽根……しかし、それは生物的な鳥の羽根とは明らかに異なっていた。形状は
鳥の羽根だが、軸からは昆虫の翅(はね)のような半透明の黒い皮膜が伸びていた。
「……ただの鳥じゃないな」