ENo.1396 めいふの

ふのさんとパーティの面々は苦難に満ちたリンゴ討伐の行程を終えて、オルゼの街にてしばしの休息とあいなった。オルゼの町の石造りの街路をパーティの皆で歩き回り、カフェでケーキ食べたり、観光名所な教会を訪ねたりと楽しい一時を過ごした。

それでも、探索での疲れはいかんともしがたい。お風呂に入ってベッドで寝たい。というわけで、パーティは町で宿をとることにした。各々経済事情も異なるので、みな一旦分かれ、それぞれ別々に宿泊することになった。

ふのさんはのあちこち歩き回って宿を探し、ちょっと高めのホテルに宿泊した。

☆　死体の寝起き

一夜明けて朝になり、ホテルの一室で目覚まし時計の電子音が鳴り始めた。ただ、ベッドに眠る者はなく、鞄がちょこんとデスクの上に置かれているだけ。

目覚まし時計は浴槽でなっていた。浴槽は透明なオレンジ色の液体で満たされており、その中に横たわる者がいる。液体の中で白装姿のふのさんが眠っていた。目覚まし時計は洗面台の情報端末から発せられており、端末には「メンテナンス終了」の文字が表示されていた。端末からはコードが浴槽へと垂らされ、何かの電極のようなものが液体につかっている。

目覚ましの音で目を覚ましたのか、あるいは違うのか、ふのさんはざぶぅと起き上がった。鼻や口からオレンジ色の液体がどぼどぼと流れ落ちていく。眠たげにうーとうめき、わしわしと顔の液体を拭った。ふのさんが洗面台の上の情報端末の画面を軽くたたくと、目覚ましの電子音が止まった。情報端末の画面が「メンテナンス終了」から「薬液分解開始」へと代わり、徐々にオレンジ色の液体が透明に変わっていく。

昨晩のことだが、ふのさんは鼻歌うたいつつ、お湯を張った浴槽に薬品をどぼどぼ注ぎ、情報端末から電極を垂らして、湯船に身体をざぶざぶ沈めて就寝したわけだ。

このオレンジ色の液体は呪い成分を含んだ薬液で、ふのさんは心身のメンテナンスを行っていたのである。情報端末には死体をメンテナンスするプログラムがインストールされていて、電極を通して薬液中に呪術的な力場を形成するのだ。

ふのさんは遺灰に呪術的な工程を施した蘇った死体（デスボディ）である。その工程とは特殊な薬液内に呪術的な力場を形成し、遺灰の呪い成分と魂の残滓の情報を用いて身体を再構成するというものだった。

浴槽の液体は蘇生時の薬液とほぼ同成分である。呪いの力場を含んだ薬液はふのさんが寝ている間に身体の隅々にまで染み渡り、プログラムされた呪いの力場はふのさんの身体と呪いの成分を調整する。

ふのさんのようなアンデッドはもはや生き物ではない。生物の精緻な代謝機能は持ち合わせていない。細胞が新しいものに変わったりしない。ふのさんの身体は変化に乏しいのだ。そして、身体が変わらないということは、成長にも乏しい。死体の類は日々の生活の経験で得たことを、何らかの方法によって心身になじませなければならない。

そうでなければ、ふのさんのような死体はいつまでもアホのまんまなのである。アンデットが人様に混じって文化的な生活を送るためには、この手のメンテナンスは必須というわけだ。メンテナンスの知識や手段を持たないアンデットは、人様に迷惑をかけてしまいがちであり、それ故、矢もて追われるのが道理である。

「死体は呪いでできており、忘我の死体は天災のごときものである」

ふのさんは黒曜様の言葉を思い出す。忘我状態となったふのさんはあーとかうーとか言いながらあてどもなくなく徘徊を始め、あちこちで意味不明な振る舞いを繰り返すちょっと困ったさんだったらしい。気をつけないとな。

「だから、小まめに薬湯に浸かるんだ。それが浮き世を渡る死体の習い」

薬品や呪いの力場のプログラムを作ってくれた羽衣様の言葉を思い出す。お風呂に入らないと鼻つまみ者というのは、生者も死者も変わらないようだ。

「少々お金がかかってもいいから、呪いのお風呂のことを理解できるホテルになさい」

ふのさんはお嬢様の言葉を思い出す。薬品は分解されてしまうとはいえ、お風呂は呪いまみれとなることには変わりない。無用なトラブルを避けるべく、呪術や魔術に詳しいスタッフがいて、しかもサービスにプライドのあるホテルを探したところ、結局ふのさんは町の中心部の高級ホテルに泊まることになった。

ふのさんは浴槽で天井を見上げつつ思う。あちしはお屋敷の皆さんに助けられて始めて平和に旅をすることができている。

では、他のアンデットの皆さんはどんなふうに身体のメンテナンスをしているのだろう？

ゾンビの皆さんは新しい身体パーツを生成したり購入して付け替えているのかな？
吸血鬼の皆さんは血液を買って生活しているのでしょうか？

他のアンデットの皆さんの暮らしぶりを知ること。それもふのさんが旅の目的であった。

☆　ホテルのラグジュアリー朝ごはん

ふのさんはお風呂を出ていつもの小紋に着替えた。髪をすき、帯を締め、人前に出て恥ずかしくない格好になった。

ゴヨヨンとエレベーターに乗ってホテルの最上階のレストランへ向かった。レストランは天井が高く、お客さんの身なりはピシリとしており、紳士淑女のみなさんが上品にお食事中だった。

朝食である。ふのさんはすでに死んでいるので、食べないからといって餓死したりはしない。されど、死体学的にも、精神や身体の活動エネルギーは食事を通して得ることが推奨されていた。人間だった時のことを思い出すし、日々の諸々の事柄を忘れないでいられる。人間の社会にもスムーズに溶けこみやすい。実際、ふのさんもごはんを食べると元気になるような気がしていた。

ふのさんがテーブルにつくと、笑顔がまぶしいおねーさんが給仕に来てくれる。

「飲み物は何になさいますか？」
「あー、では、オレンジジュースをお願います」

おねーさんは厨房へと戻っていき、オレンジジュースのグラスをもってきてくれた。絞りたてだ。さらには、籠からクロワッサンを、サラダボウルからお野菜を、そして卵焼きとハムをお皿を盛ってくれる。大地の恵みは黄色に緑に赤色だ。お皿の白によく映える。

「いただきまーす」

合掌してから食事を開始。パンを小さくちぎってもしゃもしゃ食べ、ナイフとフォークでハムやオムレツをがんばって口に運ぶ。箸で食事をしてきた和装死体のふのさんは、洋風の食事作法に疎かったのだが、旅先で恥をかかないようにと、お嬢様からの特訓を受けたのだった。元が不器用なので、そりゃあ厳しい修行だったが、がんばって練習した甲斐があった。

「うー、おいしいです！　たぶん！」

実のところ、ふのさんの感覚はすごく曖昧で、味なんてものもあまりわかっていないのだ。死体はすでに死んだ身であり、毒食らっても平気。そして、死体は心もからっぽ。すでに死んでるから、浮世のことで怒ったり、悲しんだり、喜んだりとか、いろいろと必要ない。死体には生物学的な感覚機構はなく、その心は空虚なものである。

それでも、ふのさんはお屋敷の人たちに囲まれて育ち、ふのさんの頭には数々の思い出がすでに詰め込まれている。その思い出は、ふのさんの空虚な心に雷光のごとく感覚や感情を呼び起こす。お嬢様のシャウトやおばあさまのほほ笑み、怒られたり褒められたり、いろんな体験とメンテナンスを重ねることによって、ふのさんは喜怒哀楽のある死体となることができたのだ。

だから、ふのさんはハイソサエティな朝食を食べて何だかラグジュアリーな気分だった。料理を載せるお皿もピカピカで、料理の盛り付けも丁寧だし、パンはサクサクでふかふか、野菜はシャキシャキしてるし、何よりオレンジジュースはしぼりたてだ。給仕するおねーさんも笑顔がとても素敵。コックさんのおひげは立派だった。だから今日の朝食はとてもおいしい気分だった。

「それに、このホテルのスタッフの見事な仕事ぶりを見れば、おいしいってわかります」

黒曜様は言っていた。神々は食べ物に積まれた功徳を味わうのだと。お地蔵様はお供え物を舌で味わっているのではなく、お供え物をした人のまごころを味わっているのだ。黒曜様は食べるのことが大好きなお方だが、曰く、心中に祭壇と炉があり、食べ物はセルフ捧げものとして神通力に変換しているのだという。

「ふのもいずれ食べ物に幾重にも積まれた功徳が分かるようになる」

黒曜様はオムレツを食べると、朝早くからがんばる養鶏場のおばちゃんの根性やフライパンの材料の鉄を作った製鉄所のおっちゃんの苦労とか色々と味わえるらしい。何だか苦そうだ。むー、ふのにはまだわかりません。

結局、ふのさんは朝食を平らげて満足した。最後に食後の紅茶をすする。紅茶は優雅に物憂げにすするべしというということで、ちょっとアンニュイな気分になるつもりだったが、なかなか難しいな。

まあでも、と、ふのさんは思った。今日の朝食はちょっと寂しかったかもしれない。あちしは黒曜様に後見をしていただいたので、お屋敷ではおばあさまや黒曜様の隣の席に座ることを許されていました。他の食客の方々やお屋敷のご家族が大きなテーブルに混じって座り、わいわいもしゃもしゃご飯を食べる。それはとても楽しかった。

そして、セルフォリーフではパーティのみんなで食べるのです。こちらでは朝ご飯の準備をあちしがやるので、朝食時はいつも忙しく騒がしい。でも、パーティのみなでわいわいと食べる朝ごはんはとてもおいしい。

ホテルの朝食はおいしい。でも、みんなで食べる食事のほうが好きかもしれません。

ふのさんはカップをソーサーに置き、キリリと顔を上げる。さて、そろそろ出発しよう。パーティのみんなと合流だ。

☆　朝の公園で待ち合わせ

ふのさんはホテルの自室に戻って旅支度を整えた。脚絆を締めて草履をはき鞄を肩にかける。エレベータでガヨヨンと下ってフロントへ。

宿代は後払い。ふのさんはフロントのおばちゃんにカードを渡してカカッとサインした。冒険者用の貨幣であるPSはスペシャルなものだ。町の中では別の貨幣体系が成立しており、クレジットカードの信用会社を経て日本のお金で支払いができるようだ。

ちなみに、ふのさんのクレジットカードは銀河の果てでも通用しちゃうやつを今回の旅行用に作ったものだ。でも、田舎では使えないらしい。やはり一番モノをいうのは金銀財宝と偉い人の載ってる紙幣だな。

ふのさんはホテルを出た。お勤め先へ急ぐ町の住人や、次なる探索に向かう冒険者達が行き交っていた。革靴が石畳を踏むカツカツクツクツという乾いた音があちこちから聞こえてくる。

この道はどこへ向かっているんだろう…？

それは町の中心にある公園である。パーティとの待ち合わせ場所だ。ふのさんは通りを抜けて公園へとたどり着く。空が広い。朝日に照らされた噴水の水がきらきらと輝く。

パーティメンバーはすでにそろっていて、ふのさんを待っていた。ふのさんは手をぶんぶんふり、駆け寄ろうとする。実際には駆けよったわけではなく、えっちらほっちら歩いていたわけだが。