ENo.1093 蔵鉄鎮馬

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　――カチャ…

殊更ゆっくりとドアノブを回す。
ゆっくりと、ゆっくりとドアを室内に向けて押し開けるようと……

「ん……んふふ……」

僅かに開いたドアの隙間から中を窺おうと、
顔を近付けた途端に中から妙に蠱惑的な声。
思わず背筋が凍り、握っていたドアノブが音を立てそうになる。
その体勢で暫し固まるが、その後の展開は扉の向こうにないようだ。

「……っ…はぁ〜」

精一杯止めていた息を静かに吐き出す。
これは間違いない寝言だ……。
念の為、と今度は先ほどより大きく開いた隙間から中を確認すれば、
やはり数分前に部屋を出たときと変わらず、妹はシーツの塊だった。

溜息を吐きながら、それでも極力音は立てないようにドアを開け、
ダンボールの小包を脇に抱えたまま、振り返って扉を閉止する。
暫く妹のベッドを凝視し……確実に熟睡しているだろう。
この調子ならば昼前になるか、余程揺すって起こさない限り目覚めはしない。
普段はこの睡眠の深さを羨ましく思うが、今に限っては好都合この上ない。

宿の受付で受け取った小包を自分のベッドの真ん中に放り出し、
まだ薄い日差しの差し込む窓枠に腰掛ける。

「……親父」

差出人の名前も筆跡も、何度見ても父親の物に相違ない。
ベッドに転がった小包の宛名書きを眺めながら窓を薄く開ける…
灰皿を窓枠の傍らに置くと、取り合えず……煙草を一本引き抜いた。

カシッ

静かな部屋にフリントとホイールが擦れる音が静かに響き火が灯る。
小包からライターに灯った火に視線を移す、が…
咥えた煙草に火を着けるでもなく、暫く揺れる炎を眺めている。

状況が整理できていない。
双子の兄妹が勝手に家を出て何処かに行ったのはバレているだろう。
もう数日経つし、とっくに両親はこの事態には気づいているはずだ。
ただ、何故……何故、この訳の分からない並行世界とやらの、
しかも何処にあるのかも分らない街の宿屋にピンポイントで小包が？

「ぅわちっ」

抑えたものの思わず呻き声が出る。
少々長く火を灯し過ぎたのか、ライター本体が熱されその熱を指に伝えた。
慌てて煙草に火を着け、熱々になったライターを放り出す…
反対側のベッドに目を遣るがそれでもシーツは規則的に上下している。

熱かった右手を振りながら、左手で煙草を口から離し煙を窓に向けて吐き出す。
薄い日差しに照らされてく漂う煙が窓の外へと吸い込まれていく……
その様子を眺めながら窓外に遣っていた視線をゆっくりと室内に戻せば、
問題の小包はまだ確かにそこに存在していた。何度見てもそこに有る。

「はぁ……」

寝癖の様なクシャクシャの癖っ毛を掻き回して頭を抱えると、
余程動揺しているのか、まだ半分程しか燃えていない煙草を灰皿に潰す。

何故ここが？
何度考えても分らないし、親父の事だ、それくらい造作も無くやりかねない。
そして現に今こうして目の前のベッドに小包は転がっている。

何故俺宛に？
言付けによれば一人の時に渡せと…鎮紅が居てはいけないのだろうか。
自分だけにこの小包を送った意味は……

何故、何故、何故――
思考の中を“何故”がループし続ける。
考えても始まらないし、妹が起きる前に開けなければならない。

「なんなんだよ、親父の新しい嫌がらせか…？」

小包を通じて息子のこの苦悩が通じてくれればいいのに、と
箱に向かって文句を言いながら漸く小包を拾い上げた。
ベッドの端、妹に背中を向けるように腰掛けると、膝の上に荷物を置く。
持って帰って来る時はそこまで気が回らなかったが、意外と重量感がある。
一体何を送りつけてきたのか見当も付かないが……

「…………」

無言でコートの下から針を抜き、梱包のビニールテープに切れ目を入れて行く。
蓋が開き、一番最初に目に入ったのは何の変哲もない緩衝材。
音を立てないように覆い被さった緩衝材を取り除くとそこには――…

◆　　◆　　◆

「さて、今日の書類もこれで終わり、かねぇ」

妙に落ち着かない1日がやっと終わる。
気もそぞろ……さぞかしソワソワして落ち着きが無かった事だろう。
あまりにも話しを聞いていなくて妻にチョップを頂いたのが先刻。
そんな妻も変わらない様子に呆れたのか、買い物に出かけてしまった。
気が気ではないが、ワクワクすると言うか…こんな気持ちは何時以来であろう？

「後でコーヒーでも淹れてやらなきゃなぁ……」

ちょっとむくれながら出て行った妻を思い返し、額に皺を寄せ苦笑いを浮かべる。
こんなにソワソワしている理由……先日息子に送った荷物。
そしてソレを開けた時の息子の反応。
無事に届いているのか…どんな顔をするだろうか？
それらを考えるだけで自然と口角が釣り上がる。
ただ、無事に届いたとして、それら全てを息子が受け入れるだろうか……
息子にとってソレがトラウマになっている事も知っている。
ソレを受け取るかどうかは息子次第なのだ。
しかし、ここでの仕事の様にフォロー出来る訳でもない。したくても出来ない。

落ち着かない気分を紛らわそうと、書類の束をファイルに閉じて席を立つ。
今更自分のデスクで煙草を吸えない事に文句は言わないが、
正直喫煙ルームに移動するのは面倒だ……大した距離でもないのだが。

無駄にハイテクな喫煙ルームの自動扉をくぐると定位置である窓際の壁にもたれる。

　　　　　　　　　　　　　　　　……ゥゥゥウン

この部屋の主人の気配を感知して、分煙装置が低く唸って起動した。
ジャケットの内ポケットから煙草とライターを取り出し、
半分程残った箱から一本抜き出して口には咥えず、
フィルター側でテーブルをトントンと叩く。

自分に出来ることはやった……後は全て息子次第。
何日後でもいい、気まずそうな顔で帰ってくる子供達の無事な姿だけを祈る。

ブラインド越しに夕暮れ時の空を眺める。
老眼の混じった目には遠くのビルに点った明かりが滲んで見えた。
自分も歳をくった物だ……ふ、と寂しそうな笑みを浮かべて、
弄んでいた煙草を口に咥え、火を着ける。

「頼んだぞ……鎮馬」

吐き出した煙に目を細めながら、どの空の下かも分らない息子へ呟いた……

◆　　◆　　◆

「…――こりゃぁ、ご丁寧にどうも」

緩衝材を取り除いた息子の目に飛び込んだ物は……煙草。
つい出た台詞の通り、ご丁寧に１カートンだ。
しかも、よくよく見ると、カートンの箱の隣にライター。
父親も自分も愛用しているイムコスーパーの新品が一つ。
替えのZIPPO用フリント一つ、オイル缶（小）が一つ。
揃いも揃って確かに必需品ではある……

「お、おやじ……」

喫煙具フルセット…荷物の一番上がこれなのは父親なりの気遣いなのだろうか？
緊張して開けた分、脱力感が凄い。

思わず半笑いで肩ががっくりと落ちる。
これは、間違いなく父親一人で荷造りした物だろう。
母親が協力していたなら、箱を閉じる前にはたかれるレベルである。
流石と言うか、なんとも父親らしい……
“どうだ！”と言わんばかりの父親の顔が喫煙具セットに透けて見えるようである。

……父親らしい。
そう、この小包の重量から、内容物のメインがコレでないことは分る。
この下の本命の荷物を見る前に、気持ちを軽くさせよう、等と考えたことだろう。
そんな辺りが本当に父親らしい、それくらいは17年も暮らしていれば分る事だ。

「…んで、親父様は一体何を――」

はいはい、と喫煙具セットに軽く感謝しながら取り出して、その下を覗く。
そこで数秒前まで脱力していた肩がピクリと固まる。

「ハハ……そうきたか…」

その下にあった荷物はバラバラに緩衝材で梱包してあったが、
緩衝材の上からでも容易に想像のつく形。
父親の備品倉庫を出入りしていた自分は何度も見たことがある形。
そして、自分にとってもっとも忌まわしい記憶をもたらした……拳銃。

ややコンパクトな出で立ちだがはっきと銃だと分かる。
そして、その隣には別に梱包された…恐らくマガジン。
茶色い小振りな革のケースはホルスター。
それらに並ぶように、弾のケースが幾つか…
ケースに記載された文字は『40S＆W』
9mmパラベラム弾と45ACP弾の中間くらいの威力…だっただろうか。
その文字を眺めながら、父親に教えられた知識を脳裏に思い出す。

渇いた口の中に沸いた生唾を、喉を鳴らして嚥下する。
震える指先でゆっくりと、緩衝材の上から銃に触れる……硬い感触。

この手で、銃で、偶発的な事故とは言え人を殺めてしまった記憶。
それまで父親の仕事の補佐と言えど、人の命を奪ったことは無かった。
あの時の引鉄の軽さ、撃発音、反動……そして横たわる死体。
それまで粋がっていた自分が馬鹿みたいな情けなさ、震える体。
あれ以来、銃を手に取ることもなかったし、父親も触れさせはしなかった。

しかし、その銃が今目の前に……
父親から自分に宛てた荷物の中身として存在している。
どうして……？

指を触れたまま、自分の耳に届きそうなほど大きくなる鼓動に頭を振る。
ブレた指先に何かがカサッと音を立てる。銃の脇に折り畳まれた紙片。
何だろう、と折り畳まれた小さなメモ用紙を拡げてみると――

『鎮馬お前は俺の息子であり兄であり男だ。
　　　　鎮紅はお前が守れ。キリが付いたら帰って来い。』

あまり綺麗とは言えない字で、あまり器用とは言えない内容の走り書き。
本当に何処までも父親らしい……何が“男だ”なんだ。
母親にばれない様慌てて書いたであろうソレに可笑しさが込み上げてくる。

「人の気も知らずにまったく、とんだ親父様だぜ……」

気が抜けたような笑みを浮かべて、緩衝材をそっと捲る。
コンパクトで真っ黒な銃身に刻まれた名は――

『MILLENNIUM PRO』