ENo.516 大神美弦

「八つ当たりで拳を振るったのかい。そんなことをしてどうなるか、分からないキミじゃないだろう」
　電話の向こうの教授は、窘める言葉を、しかし飄々とした風に言った。
「因果は巡る。往々にして、善行は善い結果として、悪行は悪い結果として自分に返ってくるものだ。八つ当たりがどちらに当たるかなんて、キミは十分に理解しているだろう？」
　例外も往々にしてあるんだけどね、と付け足した教授は、くつくつと笑った。
　何もかもを見透かしたような言い回しがいやらしい。というか、そういうことをいちいち口に出すのは気持ち悪いと純粋に思う。そういうのは哲学書とかマンガとかラノベとかでやってほしい。ここは三次元ですよ、先生。
　――まあ、その考え方には同意するのだけれど。
　……というか、学問的にも因果律の解明におけるとっかかりとしては最有力説だったりもするし。
　
　さて、分かりやすくご覧の有様である。立てたフラグは一分の狂いも無く、見事に完遂された。むしろ再更新でだめ押しをくらう有様であるから、アトラクタフィールドの収束レベルで確定された未来だったのであろう。
　私の堪忍袋の緒が切れて、でもののわを殴るのは思いとどまって、折衷案として出てきたモンスターを殴りに行った。そうしたらさっくりボコられた。
　大の字に転がって綺麗な青空を眺めながら、携帯電話で研究室に連絡。緊急事態の時はすぐ連絡せざるを得ないから、こればかりは仕方が無い。変態Ｙ先輩ことパラノイア小説家が出てきたらどうしようかと思ったが、不幸中の幸い、教授に繋がった。報告プラス、軽くお説教という名の人生論を聞いた。以上がコトの顛末。
　なんだかなあ。
　
　お大事にね、と言い残して電話は切れた。ののわに携帯を放り投げると、それを拾ってから、おそるおそるこっちに寄ってきた。
「ん、んー……その、だいじょーぶ……？」
　なんかまだ及び腰である。はて、と記憶を探るが、ここまでこいつが私に対してしおらしい態度を取ったことはなかった。なんだか新鮮である。
　怒ったのは別に今回が初めてというわけでもない。殴ったのも別にこれが最初じゃない。うーん、この違いは何なのだろう。
「い、いたくない……？」
　首を傾けて、ののわの方を見てみる。おろおろ。なんとも不安げな、真っ当な「心配している」表情だ。普段の小憎たらしい態度は欠片も見当たらない。なんだか不思議と、こういう状態だとなんともまっとうな良い子に見える。おかしい、俺の賑やかしがこんなに可愛いわけがない。
　不思議である。なんか悪いものでも食べたか、変な幻術でもかけられたか、はたまた実はここは夢の世界だったんだよ！　な、なんだってー！　なのかはともかく、困惑するしかない。調子が狂う。調子が狂ったから、なんとも上手く言葉を発せない。
　回らない頭でアレコレ考えてみた。でもまとまらない。だからとりあえず、
「うみねこのなく頃に」
「ふえ？」
「生き残れたものは無し――うわー、笑えねー……」
「――――」
「ていうかなんだアレ。言い回しが完全に厨二病だろ。まあ、うみねこもそういうテイストだから、合ってるっちゃ合ってるかな――」
「いや、別にそこを意識してはないと思われ」
　まことに不本意だが、まことに不本意な「普段通り」にして、誤魔化すことにした。
　
　　　　　◇
　
　なんだか微妙な空気のまま、とりあえず料理をすることにした。ののわがしおらしいのは望ましい状況のはずなのだが、それがどうしてこうも違和感を生むのか。解せぬ。
　いや、なんとなく分かりそうな気はしてる。気はしてるが、なんかそこに答えを出してはいけない気がするので、敢えて保留する。疲れているときに難しいことを考えてはいけない。

　で、閑話休題。料理である。
　気ままで素敵な――とは行かなくなったが、それなりに充足感は無いこともないこの一人？旅で、しかしそろそろ我慢の効かなくなってきたことが一つあった。
　そのものずばりメシである。俺は別にグルメというほどでもないが、それなりに食べ物の味には拘る。大学と大学近所の飲食店はチェック済みで、好みのランク付けもしてある程度には嗜んでいる。
　ちなみに余談ではあるが、大学の学食のラーメンは思いっきりマズい。マズいのだが、なぜだか多干研の面子はアレを好む。さらにはトモリもユキルも結構好きである。解せない。マジで解せない。解せないのだが、多干研のヤツらはともかく、友人グループの場合は空気を読まねばならないので、結構食べるのが苦行であった、ということを今思い出した。すごくどうでもよかった。
　で、この旅におけるメシはというと。
　そこらの野菜や果物……かも怪しいもので、すごく適当に作ったアレコレ。食材のまま、生も辞さない。
　
　―――うん、今思えば。イライラの原因、これも多分に一因してたんだろう。
　
　料理を真面目にやるのはいささか複雑ではあったが、背に腹は代えられない。
　だから、仕方なく真面目にやることにした。そうしないと、きっともっと持たないからだ。
　
　　　　　…
　
　俺が料理を真面目にやってこなかったのは、偏にアネキが家での料理担当だったからだ。
　俺も確か、中学に上がる頃くらいまでは、好きで色々作っていたと思う。本を読んだり、レシピを研究したり、アレコレ聞いて回ったり。そうして得た知識を、何度もトライアンドエラーして、確たる技術とする。料理に限らず、こうやって好きなことを研鑽していくのはとても楽しい。生きていくことは努力していくことなのだと、それが俺の信条でもある。
　
　しかし、アネキはそうではなかった。なんでも、「ただなんとなく」「気が向いたら」「適当に」やるのだ。
　なんでもそう。料理も、歌も、踊りも、絵も、作文も、勉強だって。
　でも。
　「ただ適当にやっているだけ」なのに、「常に最良の結果を出す」のだ。
　俺の長い時間をかけた研鑽などあざ笑うかのように、常に一歩も二歩も三歩も先の結果を、「何もしないで」叩き出す。
　センスの塊。未来予知じみた直感と、過去視じみたイメージ能力の持ち主。希代の天才、そして今は神へと成り上がったトップアイドル。
　それが俺のアネキ、大神美弓（みゆみ）のあり方だった。
　
　
　別に、俺も最初からアネキが嫌いだったわけではない。
　そりゃあ子供だから嫉妬こそしたかもしれないが、幾分子供の頃の話である。昔は素直に尊敬していた気がするし、自慢の姉でもあったと思う。
　けれど、中学、高校と上がって行くにつれ、俺とアネキの乖離は大きくなっていった。
　頑張っても頑張っても、アネキに追いつけない。それどころか、アネキは何もしないでどんどん先へ進んでいく。追いつこうと追いつこうと必死になっても追いつけず、俺が一次関数だとすれば、アレは指数関数で、気づいたらその差はどうしても埋められない溝になって。
　
　そして、頑張ることに対しての猜疑と疲労が芽生え始めた頃。
　ある日、何らかの手違いでミスをしただかで落ち込んでいた俺に、アネキはさも当たり前のように
　
「つる、もっと手を抜いたらどう？」
　と声をかけたのだ。
　
　　　　　…
　
「……う、みつるん、まだ怒ってる？」
　ののわの怯えるような声で、はっと我に返る。
　――厭なことを思い出してしまった。
　気づけば、コンポートにするつもりだったサクランボ……のようなものが粉みじんになっていた。あっちゃあ。
「――や、別に。すまん、ちょっとヤなこと思い出しただけ」
　どうしようかコレ。とりあえずジャムでいいか……。
「――あ、ええっと、たたりんのこと？」
「ん、まあそんなとこだな」
　まあ発端はアレだから間違ってはいないだろう。
「それよりほら、俺だってちゃんとやれんだろ」
「うーわー意外とまとも。……ま、それでもまだまだですな！」
「そういうこと言う悪ガキにはこいつでも喰らえや！」
「や、やー！？　ののわさん野菜はちょっと宗教上のアレコレで食えんのですわー！？」
「野菜が食えない宗教とか、よしんばあったとしてもとっくに滅びてるからなー！？」
　
　――まあ、いい。今はそういうことは考えなくていい。
　向こうに古びた長閑そうな街が見える。久しぶりにベッドで眠れそうだという期待で上書きして、変なことを考える思考パターンをシャットアウトした。