ENo.720 シルビア・キングストン

（本日の日記は、第四回日記の続きとなります。第四回の日記をご覧になっていない方は、まず前編を読んでいただけますようお願いいたします。）

「正解。いい勘してるわ。――貴方を惑わせて、従わせる為に、私は此処に来たのよ。」

繋がれた男が一瞬驚きの表情を見せた事に気を良くし、笑みを浮かべる私は、相手の返事を聞く前に壁に埋もれた四肢へと視線をうつし。
どうやればこれを崩せるのかと、コンコン、とノックをするように叩いて質感を調べだす。
驚いていた男も、私のペースにのまれてばかりという訳もなく、すぐにへらりとした軽薄な笑みを戻しており。
勿論わざと、なのだろうけれど。呆れたようなため息を零した。此処まで来る酔狂者なのだから、冗談のつもりでない事は、既に相手も気付いているはず。

「ハハハッ、……まさか天使に本気で迫られるなんて思わなかったッサ。
　こんな掃き溜めも捨てた場所じゃないッサねぇ…。――……で、どんなテクニックで魅せてくれるんサ？」

張り付いた笑みこそ変わらない、発言もより一層、下品とも取られかねないものを吐いてくる。
けれど――……彼の空気が、先程とは異なる。目つきが、ただ単に物好きな女を見る目から―――、例えるならば、女としての品定めをするような、と言うべきものへと変わったのを感じた。
……アンジニティ、という…隔離世界の中で、これだけの処置を施された人物が、私の配下に下れ、なんて言って。――…この程度の空気で済むのだから、むしろ私は幸運な方、なのだろう。多分。

「残念だけど、そんなに期待しちゃ、後からガッカリしてしまうかも？
　――私が出来る事なんて、貴方をここから出してあげる事と、……毎日美味しい料理を振舞ってあげる事ぐらい、かしら？
　ああ、後は……。退屈は、しないと思うわよ。きっと。」

適当に持ち上げられてはいるものの、そんな魅力など3日で飽きるのが目に見えている。
色気を振りまいて、なんてタイプでないのは一目瞭然。……偽りの約束をしても、後ろから刺されて終わり、なんてオチが目に見えている。
ありのままを正直に。
これで駄目なら、――……折角、欲しい相手に出会えたのは惜しいが出直すしかないだろう。

「退屈しないのはイイ事ッサ。刺激が無いぬるま湯にどっぷり、だと、身体が鈍って仕方がないッサ。」

「あら、満更でもない反応？　――着いてきてくれる気になった？」

真正直な提案は、全く効果がないという訳でもなかったらしい。多少、重い空気は変化した気がする。
ただ、目つきだけは、獲物を狙う獣の色を失っていない。――隊長、として立ち振る舞うならば。其れに気圧される訳にもいかない。
壁についていた手を退けて、また彼の傍へと。手を伸ばせば触れる場所へと戻っていく。

「そうッサね。……悪くない誘惑だったッサ。
　けど、俺なんか一緒に連れてって、襲われても知らないッサよ。毎日毎晩、こんな天使を傍にして我慢しろなんて酷な話ッサ。」

「部下に寝首をかかれる程度の器なら、斬ってもらって結構よ。」

「ハハッ、勇ましいッサね――……けれど、ちょーっと意味が違うッサ。
　俺が言ってるのは―――　………　」

手足を壁に繋がれた状態とはいえ。
若干の身動きが出来る程度の余裕はあったようで。……ここにきて、はじめて、男の表情以外の部分が動くのを見た気がする。

不意を突くように近づかれ――……、私は――――

ばっごーーーーーーーーん！！！！

アクションを、起こす前に、突然の爆音と大量の土煙。瓦礫の崩れる音。
その爆風の被害者は、ただ一人、つい先程まで傍にいた男だった。

「――……ッ、隊長……！！」

爆風の原因を――……その、幼さの残る声を聞いて理解する。
術式を唱え終わり、私を呼びながら、走って――……看守室に預けておいたはずの少女が近づいてきた。
これは――おそらく、多分、きっと、問題になる。騒ぎをどう誤魔化そうか、そんな事を彼女が装着している首輪の鎖が揺れるのを眺めながら考えていた、が。

「っ、…つ。これまた、いきなりご挨拶ッサ。…このチビちゃんも天使候補ッサ？」

一応は、直撃を食らったはずの人物が。瓦礫の下より平然と立ち上がってくる。
土煙や瓦礫の粉で汚れてはいるが、――元より綺麗な身体でなかったのだから、あまりかわりはなく。傷を負った様子すらないのは、流石、と評価するべきか。

「……、隊長、…うしろ　下がって……っ」

警戒心、剥き出し、といった様子に――…まるで毛を逆立てて威嚇する猫のように。…鋭い目つきで睨み付ける。
私以上に、身長差が露骨にあるものだから。……ますます猫のように見えてしまった。……正直にこれを口にするのは、やめておくけれど。

「駄目よフスリ。……お仕置きも程々にしておかないと死んでしまうわ。さっきの一撃で許してあげて。」

「でも、隊長……こいつ……ッ。」

「コイツ、じゃなくて、コグレって呼んで欲しいッサ。
　そっちのチビっこはフスリ。……で、――……アンタはなんて名前ッサ？　なんて呼べばいいんサ？」

自由になった手足を、ぶらぶらと揺らし、屈伸をしたりとストレッチをする様子は、長年、壁に繋げられた生活を送っていたようには見えない。
やっぱり、たいした男だ、と笑っていたものの。コグレと名乗る男の一言で、そういえば名乗っていなかった事に気付く。

天使、なんて呼ばれて。知らずのうちに調子にのっていたのかもしれない。

そろそろ先程の爆音に看守が此方に向かってくることだろう。
複数の足音が聞こえてくれば、くるり、と踵を返した。――……さあ、どう動くべきかしら。

「そうね。名前はシルビア。シルビア・キングストン。
　……シルビアでも、隊長でも、お好きにどうぞ？　――……さ、とりあえず、最初のお仕事は、この施設からの脱出ね。
　フスリ、コグレ。手伝ってくれるかしら。」

「……了解…、です。」
「了解ッサ。」