ENo.736 R，E．D．

　通信回線の健全性　96％
　ただし、通信先の世界観によって品質が低下する場合があります。

　閉鎖空間というのは退屈だ。それはほとんど物質的なまでで、大概の閉鎖空間には退屈が凝縮している。それはここ、エルフの里でも同じだった。
　“涼風”が村に運び込まれてから数日、最初の内は食事を運んでくるあのエルフの中でも長身の男と、薬師らしい年嵩の女以外は誰もやってこなかった。“涼風”の与えられた小屋は村の外れにあり、さらに梯子は彼らがやってくるとき以外は外されていた。無論、やってきた次の日に、外へ出ないようにと言い含められていたのだが。それだけ彼らの外の世界に対する、人間に対する警戒は厳重だった。木こりたちのように、エルフと上手くやっている者たちも確かにいる。だが、彼らが心がけているのは必要以上にエルフたちに、森に干渉しないことであり、もし度が過ぎてしまったときには即座に身を引く、ということだ。つまり、エルフたちに出来る限り接触せず、彼らを避けるということである。そこまで注意深く行動してはじめて、エルフたちから森の中での存在を認められるのだ。もっとも、この場合の認められるとは、その人間がいないという程度に無視される、ということなのだが。何にしても、それだけ不干渉を徹底しているのだから、彼らの村での待遇としては妥当、もしくは寛容だったと言えるだろう。何せ、村の中に人間がいる時点で非常に稀なことだったのだから。
　人間から隔絶され、さらに里の中でも隔絶された“涼風”に、そこで出来ることは少なかった。無論、彼の身体能力からすれば脱出できない檻ではなかったのだが、今そうするべきではない。わざわざ里の中に入り込んだのだから。それでも、会話の端々からある程度の情報は得られた。“緑の樫”──それが“涼風”を運んできた男の名前だった──はこの里の中で、森と里を守る役目を与えられた者たちのリーダー、いわば警備隊長で、この里の中でも一番の腕利きらしい。彼らは弓矢や小剣、そして魔術といった、何かしらの緊急事態に対応し得る技術が優れている者たちで編成され、人間の侵入はもちろんのこと、狂暴な動物や森での自然現象など、森や里に対して影響を及ぼす出来事を監視し、その影響を出来る限り少なく止める役割を与えられていた。とはいえ、その“緑の樫”はエルフの中でも非常に厳格で、ほとんどの事柄を話さなかったから、“涼風”が情報を主に得たのは彼を治療しに来る女、“下生えに映る木漏れ日”からだった。彼女は里のエルフの中でも年を経ていて、この里の中では“長”に近い年齢らしい。だが、世話好きでエルフにしては珍しく彼と何かと話をしていくのだった。
　エルフたちは、人間のような名前を持たないらしい。生まれたとき、“生命の樹”から“長”にイメージの形で名前が与えられるのだという。それゆえに、彼らは人間でいうところの名前は持たず、自然にまつわる名詞の組み合わせで構成された名前を持っていた。ただし、村長、もしくは国王、もっと近いのは部族の代表だろうが、にあたる“長”だけは名前を持たない。“長”から、次の“長”として指名され、その者が新しい“長”となるときにそれまでの名前は捨てられる。
　他の点でも、彼らの生活は人間でいうところの、辺境の部族に近いものがあった。もちろん、その独特の風習は人間たちのそれからは非常にかけ離れているので、似通っているという訳ではない。最も近いのがそうである、という程度のものだ。要するに、国を作り、統制を取って政治を行う大人数の組織がある、一般的な人間の風習とはかけ離れている、ということである。
　彼らは“生命の樹”を中心に生活している。それは里の中央に生える一際大きな木で、彼らにとってそれは、森であり、里であり、彼ら自身だった。単なる一本の木ではなく、森を維持し、里を守り、エルフたちを生かす。里も森も、エルフたちも、その“生命の樹”なしには存在できない。だから彼らは、“長”を中心として“生命の樹”を守ることで生活している。それが彼らのいわば“宗教”だった。
　だが、そういった自然信仰の原始的な面とは対照的に、彼らの生活は洗練されていた。ほとんど無駄なものがなく、全ての素材は余すところなく有効に活用される。木々の枝に建てられた家はそれほど広くはないが、木の洞や他の枝へと渡る離れなどを有効に活用していて、その空間からは手狭さは感じられない。凝った彫刻が施された家具は効率的に配置され、エルフでなく人間である“涼風”から見ても非常に居心地の良い空間だった。
　森は広く、そこから得られるものは多い。動物や魚、植物。そして木の実から得られる粉を水とともに練り合わせ、発酵させて焼いたもの。見た目こそ素晴らしく良いとはいえないものの、滋養に溢れて味も良い食事を少しだけ摂り、日々を森と里、そして“生命の樹”のために過ごす。それが彼らの文化だった。

──十八日目〜“Calm”──