ENo.2950 アセナ

少年は一礼するとまたぱっと走り出した。
彼の連れである青年までの距離はそんなに離れていないのに中々の全速力っぷり。

あれが若さって奴かねぇ……。

そう考えてしまって自分でげんなりする。
うわ、おっさんくせぇな、俺。

肉体を捨て精神体になってから老いはなくなったものの、精神面は本当に緩やかだが年を取っている気がする。
ただ単に自分が面倒な事が嫌いなのと、いい年になると全力ダッシュする機会なんて早々ないせいもあるだろう。
きっとそうだと思いたい。

というか俺の周りに手間の掛かるやつが多すぎるのもこうなる要因をはらんでるだろ。

そう自分の中で言い訳をしていてふと気づいた。

ティから食事を受け取ったアセナがぴくりとも動かない。
遠くで食事の手伝いをしている彼をぼーっと見続けてる。
何となく頬が赤くなっているような気もする。
熱でもあんのか、コイツ。
今から依頼の準備をしなくてはいけないというのにそれはいただけない。
コイツの体調管理も悲しいかな、俺の仕事の一つに含まれているようだし。

「アセナ、どうした。熱でもあんの――」

「……かわいい」

最後の言葉を言えぬまま思わず飲み込んだ。

……は？何だって？ぼそっと言ったから聞き間違えたか？
返事になってなかった気がする。

もう一回声を掛けようとする前に、アセナが俺を見る。
少しそわそわした感じで右手でティを指差す。

「何か精一杯頑張っててかわいい」

あー、一生懸命さになんか感じるものがあったのね。
後、人様を指差すんじゃありません。嬢ちゃんに教わったでしょ。

「頭なでたい……」

「小動物じゃねぇんだから我慢しろ。アイツだって男なんだからそういうの嫌がるかもだろ？」

そういうのが嫌な時期ってのは男にはあるもんだしな。

アセナはしばらく何か考えていたようだが、こくりと小さく頷いた。

「我慢する。……でも我慢できなくなったらなでる」

是非とも我慢してくれ。コイツが本気になったら正直止められるかどうかわからん。

しかし、あの姿を見てると――。

「昔のお前を思い出すな」

俺の言葉にアセナが小首を傾げる。
その様子に苦笑する。

「俺や嬢ちゃんと一緒に過ごし始めた頃はあんな感じで嬢ちゃんの周りを付いて回ってたなと思ってな」

「……そうだっけ」

嬢ちゃんの行くところには必ずくっついてたからな。
出かけるときもよく袖をちょこんと掴んで無言で付いてきてたっけか。

まあ、あれには置いてかれないようにするための本能的行動だったのかもしれないが。

「アレが今じゃ多少立派になったもんだ」

そう言ってアセナの髪をくしゃっと撫でてやる。

それを少しうっとうしそうにしながら、アセナが抗議する。

「私だって成長する……」

「そりゃあな。してもらわないと困るしな」

「どういうこと？」

「俺だって何時までもお前のお守りしてるわけにはいかないってこった」

本人が言ったとおり、アセナも成長する。成長し、一人で歩いていかないといけないことだって出てくるだろう。
その時に俺や嬢ちゃんが絶対に傍にいるわけじゃない。

「…………」

アセナが俯き、袖を引っ張る。

何事かと思い、目を見張る。

「どうした？」

尋ねたがアセナは顔を上げず黙ったまま。

困り、もう一度問いかけようとした時に気づいた。

袖を掴む手が微かにだが震えていることに。

そして合点がいく。

ああ、コイツはまだ全部吹っ切れてるわけじゃないんだな。

アセナには大きなトラウマがある。

大事な人が居なくなるという喪失感に対する恐怖と怯え。
普段からぼんやりした奴ではあるが、あの時の凄惨さは今でも覚えている。
虚空を眺めて動かない。
食事も満足に取らない。
会話も満足に出来ない。
いない人の名前を呼び続け涙を零す。そして疲れ果てて気絶するように眠りに付く。
そんな地獄のような日々。

幼い頃のその体験は今もまだアセナの心の底で根強く生き続けているんだろう。

事態が好転してから数年。
すっかり落ち着いていたから吹っ切ったもんだと思ってたがそうじゃなかった。
コイツはまだ『大事なものを失う怖さ』に囚われたままなんだろう。

だからこそ。

ぽんと頭に手を載せてやる。
するとようやく顔を上げた。
泣きはしていない。パッと見は普段どおりだが、瞳の奥で何かが揺れたのは見逃さなかった。

仕方ねぇな、と心の中で呟き、苦笑する。

「まあ、まだまだ半人前のお前を放っておくとどんな無茶やらかすか判ったもんじゃねぇし、お守りはしっかりしないと嬢ちゃんが怖いしな。しばらくはお前が嫌がっても傍にいる事になるさ」

それが今の俺の役目なんだろう。
一人で世界を転々としていた嬢ちゃんからアセナに。
いつも傍で見守る役だ。
まあ、それも悪かないと思う。
俺の本質は持ち主の安全を確保するというマジックアイテムでもあるのだから。

アセナはしばらく瞬きをしながら俺の顔を見ていたが、こくんと頷き、

「不束者ですが、よろしく……お願いします」

と呟いた。

お前は何処に嫁ぎにいくつもりか。
そのセリフはもっと先の未来の誰かに取っておけ、とは思ったが今ソレを言うのも野暮だと思った。

「あいよ」

なので返事と共に頭に載せた手でそのまま少し乱暴に髪を撫でてやる。

今度は黙ったまま少しくすぐったそうにされるがままのアセナ。

「んじゃ、メシ食って来い。冷めたらマズくなるぞ」

「……ん」

頭から手を離し解放すると、アセナは小さく頷くと食べれそうな場所を探して移動し始めた。

その後姿を見て小さく息は吐き出す。

成長したようで昔のままのアイツを見ながら思う。

一人で歩きだせるまでは見ててやるさ。
でも、それ以上に。

負の鎖を断ち切って歩いていけるくらい成長してくれることを願う。

その時が来るまでは付き合ってやるとしますかね。