ENo.1963 霊獣・妙

　遠くぼんやりとした記憶が、徐々に鮮明に蘇っていく。

　どこかの部屋。木造で、落ち着きの感じられる空間で。広さは6畳ほど。簡易なベッドや木の椅子、植物や御守りのようなものが置いてあり、壁には妙な飾りのようなものや、何かの動物の角のようなものが掛けられている。部屋には魔力で満ちている。部屋に置かれている物は全て魔力を持っていて、部屋の中にいる者の生命力を高めている。負傷した者を療養する部屋のようだ。
　そのベッドの上に座っているのは、膝丈ほどの獣。長い耳と尻尾が特徴的で、茶色の毛はふわふわとして触り心地が良さそうである。
　その霊獣の前にいるのは、細身で、紫色の髪をした童顔の少年。そしてそのやや後ろにいるのが、星のように蒼い髪を後ろで束ねた、赤眼の少女。少年とは対照的に目つきは鋭く、立ち姿には一切隙が無い。
　魔物に襲われ負傷して動けなくなっていた霊獣を助けた二人である。
「やれやれ、貴様は相変わらず厄介ごとを抱え込むのが得意だな」
　先に口を開いたのは、赤眼の少女。
「すみません、ケガをしているのを見たら放っておけなくて……」
「……害は無さそうだから構わんが、そいつは霊獣だ。飼いならすことなど出来ないぞ」
「そんなつもりはありません。ケガが治ったら、元いた場所に帰しますよ」
　そう言って少年は、少女に向けて笑顔を見せた。
「無理をしているのが丸分かりだ」
「う……」
　少年は言葉に詰まり、霊獣の方へと視線を向けた。霊獣は何も言わず、少年を見つめるだけ。
「お前には、仲間がいないのか？」
　少年は霊獣に問いかける。霊獣は少し不思議そうな顔をして鳴く。
「みょー」
「…………！」
　霊獣が身を震わせ、魔力の波動が起こるや否や、その傍らに次々と魔物が召喚されていく。
「ま、魔物……！？」
「こいつ、召喚術を……」
　現れた魔物は子鬼や子竜のような低級のものから、高位の思念体や魔物の中でも数少ない希少種などかなりの上位に位置づけられるものまで様々である。そして驚くことに、その全てが霊獣に服従している。
「これ、全部この子が……？」
「膨大な魔力を秘めているとは思ったが、これほどの大物とは……」
「みょん！」
　驚く二人を前に、霊獣は少し得意げな顔をして短い手を差し出している。
「そういえば、随分前に聞いたことがある……契約した者を召喚する霊獣の話……」
「知ってるんですか……？」
「随分前だがな……自分の魔力を少し分ける代わりに、その者の意識を読み取り、その者にとっての『理想の自分』を召喚し、使役するらしい」
「ややこしいですね……」
「父が言っていた…もし霊獣の力を借りることができる時が来たら、きっと役に立つから契約しろと」
「一体どんな力なんでしょうね…」
「それは分からない…が、神聖な力だと聞いている」
「そうなんですか…」
　少年は何気なく差し出された霊獣の手を取る。
「うわっ！」
「…………！」
　その瞬間、霊獣と少年の体が一瞬眩い光を発し、少年に霊獣の魔力が流れ込んだ。暖かいような、柔らかい魔力が少年を包む。
「大丈夫か？」
「こ、これ、もしかして」
「ああ、『契約』が交わされたようだな」
「これが、この子の魔力……暖かくて、神聖で、不思議な力……」
「…………」
「みょー」
　霊獣は嬉しそうに尻尾を振り、ぴょんぴょんと何度か跳ねた。
　そして、召喚していた魔物を全て消滅させ、身を震わせ始めた。より一層強い魔力の波動が起こり、少しするとそこには少年に良く似た人が具現化されていた。少年に似た人は何も言わずそこに佇んでいる。
「す、すごい。これが俺の理想の姿……？」
　伸びた背筋に、精悍な顔立ち。白いシャツにネクタイ、燕尾服という出で立ちは、英国のバトラーを連想させる。
「…………」
　少年に瓜二つな青年は無表情で、黙したまま、霊獣の隣に佇んでいる。
「話は本当だったということか……」
「みょん！」
　霊獣は少女を見て、また少し得意げな顔をして手を差し出す。
　少女は仏頂面で霊獣と睨み合うように対峙する。
「この手を取ったら……」
「ど、どうしたんですか？」
「魔力……父が言っていた……しかし召喚が……」
「みょーん？」
　少女は霊獣を睨むようにしながら念仏のようにぶつぶつと何かを言っている。
「あの……」
「良いか、私はコイツの魔力が欲しいだけだ！」
「は、はぁ……」
　急に性格が変わったような少女に、少年はたじたじしながら返事をする。
「だから、召喚された私を見ても何も言うな！　思うな！　忘れろ！　良いな！！」
「え……」
　もはやほとんど冷静さを失いながら、少女は素早く霊獣の手を取った……。

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　否定の世界、アンジニティ。
「みょーん」
　荒れ果てた平原で霊獣が短く鳴き、小さなその身を震わせる。微弱な魔力の波動が生まれ、少しずつ、何かの形が生成されていく。

　現れたのは、紫色の髪、黒い瞳。整った顔立ちの青年。白いシャツにネクタイ、燕尾服という姿である。
「お呼びでしょうか、マスター」
「みょん」
　霊獣の前に跪く青年は、確かな実体を持っている。
「ここは……魔界とは違う異世界なのですね」
「みょーん……」
「なるほど、かなり魔力が弱っておいでなのですね。では、私が全力を持ってお助け致します」
　そういって青年は立ち上がり、霊獣・妙の後に続いていった。