ENo.1455 天色　壟

廃墟の病院というのは気味が悪い。
何か、得体の知れない何かが居そうで少し怖気づいてしまう。

だからこそ、誰かが居る事が心強い。

……ただ、一つだけ文句を言うのであれば。

「やっぱさ、ギブアンドテイクだと思うんだよ。おにーさんもそう思うでしょ？」

一緒に居る奴の馬鹿さ加減を何とかしてほしい。割と、切実に。

「……いきなり、どうした。」

「おにーさんの探し物手伝ってあげるのはいいけどさ、ほら。俺には何もないじゃん。」

「……そもそも、お前はどうして此処に居るんだ。」

「んー、ふっつーに探検。」

「そうか……特に理由は無いのだな…………はぁ…………」

「まあそれはいいんだよ、やっぱギブアンドテイクだと思うんだよね。」

「さっき聞いた。わかった、何が望みだ。」

「わーい、おにーさん俺の為に何かしてくれるの？」

「そう言わされてる部分が非常に大きいがな……」

ウルは立ち止まり、こちらを向いて笑った。
悪巧みも何も無いとすぐにわかるような、ごく普通の笑顔だった。

「おにーさんはさ、友達が困ってたら助けるタイプ？」

「……は？」

そういえば先程、私がこいつの親友に似てるとか言ってたな……
……何だ、他人を振り回す割に意外と他人想いなのか。

「……むう、恥ずかしい話だが……友というものを持った事がない。」

「えー！？　嘘だよー、だってふっつーの友達だよー？」

「……いや、本当に…………！」

「嘘だよね？　友達いないって顔じゃないもん。本当はいるでしょ？」

「う……」

嘘、では無い。本当に『今は』友を持った事が無い。
だからこそ、あの両親が私の事を非常に心配していたのだろうが……

が、嘘と言えば嘘にはなる。『昔は』居たのだから。
もう、今は何をしているかもわからない奴の事だが。

「……指で、数えられる程度なら。」

「ほらね。で、友達を助けるタイプ？」

「うーむ……まあ、その……助けるのではないだろうか。見捨てる様な事はしないと思うぞ。」

「そっかー。じゃあ俺のお願いも聞いてくれそう。」

「ん……何の話だ？」

「うん……」

ウルの顔が、曇っていく。
さっきまで笑っていたのに、急にその笑顔が無くなった。

「……俺の親友、助けてほしいんだ。」

「え？」

「……いじめられててね、でも俺じゃ……頑張ったんだよ、俺も頑張ったんだよ？　でも……」

今までの話からは想像も出来ないぐらい、重い話のようだった。
子供の虐めというのはどの街にでもあるものだな……

「……私に、何が出来ると言うんだ？」

「わかんない。でも、何とかしてくれそうだったから。」

「……？」

「だからお願い、助けてほしいんだ。」

「……。」

真剣な顔だった。

今まで……その、馬鹿な事ばっかりやってた奴の顔では無かった。
目が真っ直ぐで、今にも泣きそうになるぐらいの真剣な顔だった。

「……わかった。解決出来る自信は無いが……私に出来る事なら何でもしよう。」

「ほんと！？」

「何度も言わせるな。それに、私はこの島の人間じゃない。いつまでも居るという訳ではないぞ。」

「あう……そうなんだ。じゃあ、早く会わせるようにするね！」

「まあそうしてくれ。今は飛竜亭という食堂に世話になってる。都合があえばそこに来てくれ。」

「うん、わかった！　えへへ、ありがとね！！」

先程の真剣な顔が嘘だったかのように、また急に笑い出した。
はあ……と溜息をつくのは、これで何度目だろうか。

……でも、何故だろう。
ウルを見ていると、誰か……誰かに似ているような気がする。

……思い出せない。誰かの筈なのに、思い出せない。

「で、言い忘れてたけどね。」

「ん？」

「この部屋があの女の人が閉じ篭ってたって部屋だよ。」

「おいいいいい！！　そういうのは早く言ええええええええええええええッ！！」

部屋に入ると、明らかに他の部屋と違っていた。

「何だ、これ……」

「ね、気味が悪いよねー。」

壁や床、部屋にあった物全てに刃物の跡があった。
まるで、誰かがこの部屋で刃物を振り回したかのように。

「な、なんでこんな事に……」

「聞いた話なんだけど、この跡はおにーさんがさらわれたときについたみたいだよ。」

「なッ……！？」

「閉じ篭った女の人もひどく混乱してて、何があったかもはっきりしなかったみたい。」

「……。」

壁に触ってみる。
石で出来た壁だったが、その石が酷く抉（えぐ）られていた。

普通の刃物じゃないな。斧か何か……硬いものを切るのに使うものでつけられたものだ。

「正気の沙汰じゃないな……」

「こんな跡が出来て、ますます悪魔の噂が広まっちゃったんだって。これは悪魔がつけたんだって。」

「……違う。」

「え？」

「……これは、混乱した女性とかがつけた跡だな。攫おうとした悪魔に襲い掛かったんだ。」

「どうしてそう思うの？」

「……あいつは、こんな事、絶対にしないから。」

「……おにーさん、それどういう意味？」

「え？」

わ、私は……何か、口走ったか？
私はただ、壁をずっと見ていただけだが……

「……す、すまない、何か言っていたか？　覚えてないんだが……」

「……ん、ごめん俺の聞き違い。幽霊さんの声でも聞こえたかなー？」

「き、気味の悪い事を言うな……！」

あははとへらへら笑うウル。
全く、こいつと一緒に居ると調子が狂う……！

窓を見る。
窓ガラスが割れており、そこから大雨が大量に流れてきていた。

雨を軽くよけながら、窓の外を覗いてみる。

「おにーさん、落ちないようにね。ここ、四階だよ。」

「四階、か……」

雨に濡れる覚悟で窓から身を乗り出す。
真下は何も無く、ここから落ちたら即死だろうと思うぐらいの高さだった。
真上は部屋がひとつあり、その上は屋上の様だった。

「……思っていた以上に高いな。」

「空でも飛べない限り、外からやってくるのは無理だろーね。」

「成程。逆に言えば窓から外に出たり入ったりする事は可能な訳だな。」

濡れた頭を軽く拭き、部屋を見渡す。
冷静に考えれば、別に悪魔で無くてもこの部屋から赤子を連れ去るのは難しくは無いだろう。

何だ、悪魔の仕業でも無いのか……

「……本当に悪魔の仕業だと思っていたが、こうしてみると条件があれば赤子を連れ去る事ぐらい、難しくは無いな。」

「えー？　でも女の人が閉じ篭ってすぐにやってきたんだよ？　ふつーの人ならここに閉じ篭るなんて知らないよ？」

「……一般的に考えれば、な。だが、元から『私を攫うつもりで下準備していた』のなら難しくはなさそうだ。」

「そんなことあるの？　おにーさんをさらって、犯人さんに何か得があったの？　身代金みたいなのは無かったって聞いたよ？」

「……攫う側に無くても、私にはあったんだ。得だけで言ったら、な。」

「……？」

背中にある、翼を触る。
もしもここで攫われるような事が無ければ、今この翼は無かったのかもしれない。

「……結論。悪魔でなくてもよかった訳だ。つまり、ここに悪魔は居ない。」

「そっかー。じゃあ悪魔さんと仲良くはなれないんだ……」

「……虫取り網で捕まえた相手と仲良くなれるとは思えんがな……まあ、何故悪魔の仕業と広まったのかは知らんが、所詮はただの噂だったと言う事か。」

「……そっか。噂って怖いね。」

「ん……？　何か言ったか？」

「ううん、何でもない。じゃ、猫さんを捜しにいこっか。どこにいるのかなー？」

「そうだな……やれやれ、どこに行ったのやら。」

そう結論付けて、部屋を出る。

部屋を出る前に、その部屋の惨状を見る。

母親はどんな気持ちで私を産んだのだろう。
そして、どんな気持ちで私の翼を切ろうとしたのだろう。
刃物の跡に、躊躇いがあったようには見えなかった。

その場には、私が居た筈なのに。

ふと、母さんの顔を思い浮かべる。
そして、ウィッシュが産まれたときの事を思い出した。

……私は、あの場所で暮らす事が幸せだったのだろうな。
そしてそれを手放してまで、今ここに居る。

「おにーさん、どうしたの？」

急にウルに声を掛けられ、はっと振り返る。

「あ……いや、何でもない。早くセリオンを見付けないとな。」

「セリオンって誰？」

「あ、いや……猫の名前だ。」

「へー、変わった名前！」

「わ、私が付けたんじゃないぞ！！　元々、迷い猫であってだな……！」

騒ぎながらも、その部屋を後にする。

実の家族に会いたいというのも、実はあった。
しかしその未練が完全に無くなった瞬間だった。