ENo.1093 蔵鉄鎮馬

　

体調：やばい…

「なんとかなるもんじゃの♪」

依頼者の少女、鈴梅はぐったりとした狼を他所に嬉々として洞窟の奥へと消えていった。
そんな鈴梅に声を掛けるでもなく、ぐったりと大きな岩に背を預けズルズルと座り込んだ。

「ちょ、ちょっと鎮馬……大丈夫？どっか怪我した？」

へたり込んだ様子を見て鎮紅が心配そうに駆け寄ってくる。
「あぁ……」とだけ呻き声とも返事ともつかない声を発してそれを制した。
兎に角調子が悪い……街を出発してから最初に喉の奥に痛み。
日に日に鼻が詰まりだし、白狼との戦闘直前には関節の痛みも出だしたのである。

白狼との戦闘は気力でありったけの高威力罠を設置し事無きを得たのだが、
体力はもはや限界……計る術もないが確実に熱があるだろう。

「ほら、鎮馬顔真っ赤じゃん！絶対熱あるって……どうしよう」

慌てる鎮紅に力無く笑いかけ、こんな体調にも関わらず自然と左手がポーチを探る。
頼りない手つきで煙草の箱を取り出し一本抜き取るが、自分の指が震えているのが分る。
自分の指の震えに笑いそうになりながら乾いた唇にフィルターを押し込んだ。

「あ、もう、ちょっと！人が心配してるってのに鎮馬は！」

半死人のような状態でも煙草を咥える兄の姿に鎮紅が腰に手を当てて怒っている。
が、吸っても体調最悪と吸わなくても体調最悪なら迷わず吸う方を選ぶ。

「吸ってた方が、元気なのは、お前も、知ってんだろ……？」

折角唇に挟んだフィルターを一度離し、息も切れ切れに告げて薄く笑う。
そんな兄の様子に“ダメだこりゃ”と言わんばかりに片手を腰に手を当て頭を抱える鎮紅。
それを見届け再びフィルターを唇に挟み、力の入らない指でライターの蓋をスライドさせる。

カッ……カシッ

力が入らずフリントに引っ掛かり指が滑るが、なんとか持てる力を込めて命の炎を灯した。

「あ゛ー……まっじぃ」

大きく吸い込んで、煙を吐き出さずに呼気の漏れるままにエクトプラズムの如く煙を垂れ流す。
喫煙者なら誰しも経験がある事だと思うが、風邪を引いている時は流石の煙草も不味く感じる。
それなら吸わなければ良いだろう？と人は言うが……吸う事に意味があるのだ。
正に今、目の前の鎮紅もそんな表情で兄の行為を黙って見ている。
心配してくれてるのは勿論分っているが、本当に一服していた方が多少辛さを忘れられる……。

「おおあったぞあったぞ、これが薬岩じゃ！万病に効く薬が作れると聞く」

中ほどまで吸った頃に洞窟の奥から鈴梅が妙な色の石を持って現れた。
……万病に効く薬。

そう言えばそんな物を探して来ていたのであった。
これは上手く行けば……

「ね、それって今すぐ作れないの？一人風邪で死にそうなんだけど……」

同じ事を思ったのか鎮紅がすかさず駆け寄って尋ねた。
それに対して鈴梅は曖昧な笑みを浮かべて、こちらと鎮紅を交互に見て口を開いた。

「……のじゃが、」

「じゃが？」

「……？」

言葉を濁す鈴梅に訝しげな表情で兄妹揃って疑問符を浮かべる。

「次は調合師のもとに向かいたいのじゃが…
　山道の先を越えた街におるのじゃ。
　…どうか付き合ってはくれぬか？」

どうやら鈴梅だけでは調合が出来ないらしい。
自分の体の為にも、出来れば作った薬を少し分けて欲しいのだが……
流石にこの体調で山道越えは無理がある。

「あー……そっかぁ」

鎮紅も残念そうにこちらを見遣るが、それに煙を細く吐き出しながら肩を竦める。

その後、鎮紅と鈴梅が何やら話し合っているのを、遠くの景色でも見る様に
ボーっと眺めているといつの間にやら灰が随分と長くなっていた。
いかんいかん、とノロノロと携帯灰皿を出そうとするが動いた弾みで無情にも落下。

「はぁ……」

地面に落ちて風に吹かれる灰の塊を見ながら、
改めて自分の情けなさに肺に残った煙と共に溜息を漏らす。
仕方なく火先の消えたタバコを携帯灰皿に押しつぶしていると、
近くに人の気配を感じ顔を上げる。

「もー、ダメダメじゃん。本当に大丈夫？」

両手を腰に当て、眉根を寄せて覗き込む鎮紅。
いつの間に……まったく会話も聞いていなかった。
その鎮紅の後ろを覗くように首を動かすと、そこに鈴梅の姿は無かった。

「え、鈴梅ちゃんなら一度出直して合流するって約束して行っちゃったよ？
　もー……何にも聞いてないんだから、って病人に言っても仕方ないかぁ」

いつの間にか話が纏まっていたようだ。
それに安心したのか、急に眠気が襲ってきた。

「鎮紅……すまん、少しだけ……少しだけ寝かせて、くれ」

「あ、ちょ、ちょっとぉ！」

携帯灰皿の蓋が閉まっていることを手触りで確認し、
崩れる肩を鎮紅の手が支えた感触を最後に意識を手放した――

◆　　◆　　◆

それは、そこに居るのにそこに居ないような不思議な感覚。

カチャカチャ……

薄ぼんやりとした灯りが視界の端に点っている。
すぐ側から金属を弄る様な微かな音が聞こえてくる。
見えるのはやたら高く見える天井。

息が苦しい…頭が重い…瞼が腫れぼったい。
ここは何処だろう、天井に見覚えがある……。

「ん……起きたのか鎮馬？」

聞き覚えのある声が薄明かりの方から聞こえてくる。
そちらに重たい頭をゆっくりと巡らせると、
子供机の上で何やら作業していたらしき男性が振り返る。

あぁ、父さんだ……心なしか若い。まだ白髪が混じり始めた頃。
そうか、思い出した。７歳の時に肺炎で寝込んだ時の光景。

頭を動かしたせいで額に乗っていた濡れタオルが滑り落ちて視界を塞ぐ。

「何やってんだ、あぁ、タオルもカラカラだな……
　おーい、鎮紅？替えのタオルあるかー？」

「今もってく〜」

部屋の外から可愛らしい声が聞こえて、やがてトットットッと廊下を走る音。
そして足元の方のドアが開いてまだ幼い鎮紅が飛び込んできた。

「シズマどう？どう？死んじゃわないよね！？」

「あぁ、これくらいじゃ人間死にゃしないよ……つか、
　鎮馬辛いから廊下は静かにって言っただろう？」

「ごめんなさい、あ、タオル一杯濡らしてきたの！」

父親に手渡されるビチャビチャで水滴の滴るタオル。
流石の父もタオルを手に苦笑いを浮かべている。

鎮紅は変わらないなぁ……そうそう、
親父もこの頃から笑うと皺が寄るようになったんだよな。

「おいおい、これじゃ鎮馬が溺れちゃうぞ？」

「だって！だってさ、一杯濡らしたら一杯熱無くなると思ったんだもん……」

しゅんとする鎮紅の頭を軽く撫でながら困った顔の父親。
考えた末に、カラカラになったタオルに水分を少し搾って移し、
ほどよくなった濡れタオルを額に乗せてくれた。

「じゃあ父さんもう仕事に行くから、鎮紅……鎮馬を頼んだぞ？
　もう少ししたら、お母さんが事務所締めて来てくれる筈だから、な」

「うん、大丈夫、シズマ死なないように見てる！」

返事を確認して子供机の上で調整していた銃をホルスターに仕舞うと、
椅子にかけてあったコートに腕を通し……部屋を出る前にこちらを見た。
視線があったのを確認し、目元を優しく緩めて一度頷いて部屋を出て行った。

ギリギリまで俺の部屋で看病してくれたんだっけ……親父の背中、か。
今じゃ俺の方がでかくなっちまったけど、この背中は追い越せないなぁ。

「シズマ、つらい？大丈夫だよシズク見てるから、元気になりますように」

こくり、と夢の中の自分が頷く。
重苦しい咳の合間も喉がヒューヒューと鳴っている。

トン、トン、と小さな感触が胸の辺りを優しく叩く。
まるで赤子をあやす様に、幼い鎮紅が手の平で胸を叩いている。

この時は鎮紅にも迷惑掛けたよなぁ。
鎮紅が余りにも“死んじゃう”って言うもんだから
自分まで凄く不安になってきたっけか……。

「シズマ……死んじゃだめだからね？
　シズクちゃんといるから、お母さんももうすぐ来るからね？」

胸を叩く手を止めず、瞳を潤ませて必死に声を掛ける鎮紅。
それにつられたのか、熱い滴が頬を伝う。
夢の中の自分も必死でコクコクと頷いて応える。

「やだからね、シズマぁ……シズ――」

あれ、視界がぼやけて……

◆　　◆　　◆

「――ま、しーずーま！呻ってたけど大丈夫？」

視界が暗転したかと思えば、薄ぼんやりと見える顔。
まるで先程の夢の光景そのままに、鎮紅が成長したような構図で覗き込んでいる。
妙にはっきりと意識のある不思議な夢であった。

「…夢、か」

「夢、か……じゃないでしょ人がどれだけ心配したと思って。
　あのまま本当に寝ちゃうんだから、こっちがびっくりしたわよ」

視界がはっきりしてくると、暗い岩の天井。
どうやら薬岩のあった洞窟に運んでくれたようだ。
意識もはっきりして来ると額にひんやりとした感触……。

「あ、まだ冷たい？そこに湧き水が有ったから濡らしてきたんだけど」

（もしかしたらあの夢を見たのはこれの所為か。
いつまで経っても迷惑掛けてばっかりだな。）

「すまん……けど、お陰で熱っぽさは少し引いたみたいだ。
　聞くのが恐いが、俺、どれくらい寝てた？」

「んー……まだ２時間も経ってないんじゃないかな？」

「そっか、ありがとな」

程よく搾られたまだ冷たいハンカチを摘むと、
目元が隠れる程ずり下ろして感謝の言葉を口にした。

体調：まぁまぁ。（？）