ENo.1051 レンツォ・ナヴァリエーリ

斯くして、彼――『彼ら』は先へと進む。

進む所は、男が以前に突き当たり途絶えを直感した『道』ではない。方角こそ同じだが、通る道筋さえ異なればそれは吉へも凶へも転じる、その典型。

街の東を出、平原を越えて山を越える。言葉にすれば単純だが、その道程は実に困難を極める。
事実、この道順は多くの者が『道』として通り、そして確固たる轍を刻む事なく絶たれてきているのである。以前の『道』もこの道程であり、また前例に漏れる事なく絶たれている。進んだ者が、いない訳ではないのだ。ただその『道』が、未だ刻まれていないだけの事。そして、その理由は誰にでも解る程に明白。

――危険過ぎるのだ。

一般的に、目的地の遠さに比例して、道中の危険度は跳ね上がる。
他の世界でもその理屈は同じだろうが、この世界においてはその上昇率が他の比するところではない。街から一歩踏み出せば、準備を怠った者の死体が山の如く積まれているように。
そして、偶然手に入れた地図ですら解る程に、次の街へと至る道程は遠い。その地図の精度を信じる要素は無く、また地形が真実である確証もない。だがそこに描かれた道程が、『道』の刻まれ難さを強く確信させるように示している。

いったいどれだけの人が次の街へと渡れずに散ったのか、考えるまてもないだろう。
誰かが進むためにはそれ以上の人数が犠牲になる他ないのだ。それは謂わば、使い捨ての駒。
この世界における『命』とは、それほどまでに安い。

の、だが――

「……やはり、正解だったな」

男の進む足取り、彼を含めた『集団』の進行は、奇妙な程に順調だった。

街を出発してからたった半日にして、淀みない進行は既に平地を越え森を越え、山の中腹へと差し掛かっている。平地とはまた勝手が異なる山道でありながらも、その進行速度に鈍りはなかった。
普通なら、これ程凄まじい速度での進軍はあり得ない。

複数のパーティが進む道を同じくしただけの、即席の『集団』。互いが皆顔見知りという訳ではない。ましてや、一触即発の状況にある者すらいる始末。
だがそんなものですら、この進行には十分過ぎる威力を持っていた。

それは謂わば、一つの生物。
誰かが矢面に立ち、道を切り開く。迫り来る障害を、決して陣奥に踏み込ませずに弾き飛ばす。
戦い続け、その者が疲弊すればすぐ後続に下がり、入れ換わるように他の者が前に出て役割を引き継ぐ。
施術と休息による回復、そして出た者の疲弊と共に再び前線へと復帰する繰り返し。個々が得る疲労は、常のパーティのものとは比べるまでもない程に少なく。

結果として彼らは、その道程を恐るべき速度で踏破していた。
蹴散らしていく。山に住む有象無象を、この『集団』を害せんと迫る悪輩を、その一切悉くを。その光景は、山を飲み込む巨獣の姿にも似ていて。

結局の所、彼らが山を越えるのに、一日とかからなかった。

日が暮れ、気付けばそこは麓の大地。
山の方角へと、日が沈む。山頂に刺さる太陽が次第にその姿を欠かし、広がる夜空に月が姿を現す。風景としては優雅なのだろうが、それを楽しむ者は誰もいなかった。
一面に広がる光景は砂にまみれ、荒れ果てている荒野そのもの。先程までの山中の如き状在戦場の気配はないが、かといって楽観できる程の状況ではない。
この旅の目的は、『次の街へと至る』事。最も危険たる山を無事に越えられた事には安堵していいものの、街へと辿り着かない事にはいつ死者の仲間入りになってもおかしくはないのだから。

「…………おや？」

事ここに至り、ようやくにして男は気付く。

いない。周囲を見回しても、歩く人並みの隙間を覗いても、いない。
道中まで同行していたはずの莉奈の姿が、そこには無かった。

「所詮、ここまでの命だったか……まあいい。御苦労だよ、小娘」

そう言って、男は山へと振り返る。
状況を軽んずる事はない。正しく判断し、自身の安全を見極めるのが男のあり方故に。
それを踏まえたからこそ、男は判断する。
――あの小娘は、ここで終わったのだと。

男は知らない。
一緒に同行していた莉奈が、まだ生きている事を。
道中の戦闘ではぐれ、未だ山の手前にいる事を。
知らない。知らないからこそ――希望は、持たない。

男にとって、必要なのは自分を守る盾であり矛。そしてそれは、誰であれ務まるもの。
要はそういう事であり、それ以上でも以下でもない。失ったものは痛くとも、所詮は消耗品の扱いである事に違いはなく。
幸いにも、その役割は今の男の回りに非常に多く存在する。
不自由なく、そしてあまりにも強固過ぎる矛と盾。先へと進むにあたり、これ程都合の良い存在はない。のだが。

「……面倒だな」

一人、ぽつりと呟いた事が何を意味していたのか。
それは、男にも解らなかった。