ENo.937 綾辻優衣

ゆらゆらと幽鬼の如く歩いていく。
獲物を探して狙い歩く。
彼女にとって、
相手は誰でもよかった。
それほどまでに彼女は飢えていた。
飽くなき強さという名の欲に。
――経験は強さだ。
人の身である彼女にとっては尚更に。
肉体を鍛える、
魔力を鍛える、
気を鍛える。
人である以上、
どんなに鍛えた所で、
人を超えた者達に対抗しようがない。
だからこそ、
経験こそが大切。
少なくとも彼女はそう考えている。
そんな彼女の眼に不思議なものが飛び込んで来る。
一人なのか二人なのか、
それとも、そこには何もないのか。
不鮮明で不安定。
けれど、
“それ”は其処に居る。
興味が出てきた。
それに、
確実に人の理の外にあるものだ。
だから――
彼女は闘いを挑み、襲い掛かる。
そんな彼女に対し、
“それ”は、
「遊ぼう」
ただ、そう告げた。
相手にとっては遊びに過ぎない。
ならば、
と、魔物を召喚する。
――自分でも御しきれるかは分からない。
けれど、
自分が呼び出せる最大の魔物を。
――上半身が女、
下半身は蛇。
背中には翼。
魔物達の母にして、
かつては神として崇められた存在。
――エキドナを。
といっても、
彼女の力でその力を完全に顕現させることなどできない。
だが――
それでも十二分で、
彼女にとっては幸いなことに、
“それ”は疲弊しきっていた。
――本来の力を出し切る事が不可能な程に。
故に、
無邪気に遊び、
翻弄する“それ”を打ち破る事には成功する。
……
最も、向こうが本来の力を発揮していれば、
どうなっていたかは分からない。
本当に幸運だったとしかいえない。
――まだまだ未熟。
焦りが心を支配する。
焦ってはいけない、
着実に進まないとという理性を押し流すほどに――

＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊

――ザァァ……
降りしきる雨が彼女を打つ。
女性を救う。
そう決めてから一月が経過しようとしていた。
材料はそろった。
問題はただ一点。
――彼女は今、
一つの屋敷を見ている。
情報を聞くに、
どうしても相手に最短であうにはこれほどの時間をかける必要があった。
女性の話を総合すると、
相手がどこにいるまでかは分からなかった。
だから、
情報を独自で集めなければならなかった。
――情報を聞き出すのは難しいともいえるし、
難しくないともいえる。
――自分の事を伏せるのは難しく、
聞き出すのは簡単だからだ。
異端者として終われる以上、
情報無くして、ここまで生き延びれはしない。
だからこそ、
彼女は情報を得る事にはそれなりに長けている。
だが、
それは悪魔で自分が生き延びる為である。
だからこそ、
情報を確実に集めるには多大な時間がかかってしまった。
更にいえば、
その情報も完全ではない。
この時には屋敷に戻っているはず。
その程度の情報である。
(まぁ、その情報が間違っていたとしても、
まだ時間はあります。
最悪張り込めばいい話ですしね。)
ゆっくりとドアノブへと手を伸ばし、
開けようとする。
当然の如く鍵がかかっているのだが――

――バキィッ！

少し自分の筋力を強化し、
鍵の部分を脆くさせ、
力づくで障害である鍵のかかった扉を突破する。
辺りに人気がないからこそでもある。
そして、一歩踏み入った所で、
気付かれた事を悟る。
――呪いを扱う相手だ。
そこに何も無くとも、
自分の領域に何か異物が侵入したら、
気が付かない訳がない。
そして、
それは同時に、
彼女の目的の人物がそこにいる事も示している。
ただ、どこにいるかは分からない。
さて、どう探すかと彼女が考えた所で――
一人の影が正面の階段の上、
２階の所に現れた。
「……扉を力ずくで破って侵入とは――
　物取りか何かにしても、
　もっと大人しい方法をとったらどうですか？
　はは、いや、そんな事をしても僕には分かってしまいますけどね。
　それにしても、うら若き乙女がそんな真似をするなんて、
　全く、嫌な世の中ですね。
　ですが、僕の家に入ったのが運の尽きですね。
　全く……
　今出て行けば許して差し上げますよ。
　そうでないなら覚悟してくださいね。」
眼鏡をかけた神経質そうな男。
そして、そのまま元来た道を帰って消える男。
(――探す場所が省けていい。)
じっと声も発さずに前へと進む。
だが、次の瞬間、
階段の両脇にいた甲冑が彼女目がけて襲い掛かって来た。
――彼女に力があるといっても、
本格的な格闘技等の技術はまだなかった。
(神よ、我に加護を与えたまえ――)
……彼女の身体能力も、
術技で鍛えた所でたかが知れている。
ならば、
彼女はどうやって生き延びてきたのか？
……
経験、
そして、知識。
彼女は後ろへと飛びのき、
瓶を二つ投げる。
甲冑は避けようともせず彼女に向かって進み、
瓶は甲冑にあたって砕け散る。
中に入った液体が、
甲冑に降りかかり――
甲冑は動きを止める。
「術であるなら解けばいい、
　人の手によるものであれば、
　その仕掛けを解けばいい。
　人が入っていたのなら、
　甲冑を着こむ弱点をつけばいい。
　幸いでした。
　これも神のご加護でしょうか。
　“術”であるなら一番楽です――」
動きを止めた甲冑を押しのけると、
甲冑は大きな音を立てて崩れ落ちる。
それを後目に彼女は進む。
階段に仕掛けられた術を見事に避けながら。

――大きな音が聞こえた。
甲冑が散らばる音。
それは、
その状況を見ていない男にもそう確信できるほどの音だった。
(まさか、突破されたのか？)
――眼鏡の男は驚いていた。
物取りか、
それとも何か別の目的があっての事かは知らないが、
あんな若い女が一人、
例えはいって来たとしても、
甲冑にやられるか、
よしんば倒せたとしても、
彼女の視界から消えて、
ものの１，２分も立たないうちに倒されるなどは思いもよらなかった。
一応、術式による罠もあるが、
どこまで通用するかは分からない。
男も闘う事は出来る。
だが――女がどのようにして甲冑を倒したかはわからない以上、
もし、女が力づくで突破したとあれば、
男の体力ではどうにもならない。
男は体術は苦手なのだから。
元の自分の部屋へ向かおうとしていた足を、
別の部屋へと向ける。
(……くそ、仕方ないか……
“アレ”を使うしか――)
術式による罠がどこまでもつか分からない。
大きな音がした後は、
何も音が聞こえてこない。
不安と焦燥に男はかられ、
足を速める。
(……不愉快だ、不愉快だ、
くそ、
呪いでもかけてやるか？
いや、ダメだ。
それでは時間がかかりすぎる。
確実に相対して潰さないといけない。
ついてない、どうしてこうもついてないんだ！
僕が一体何をしたというんだ！
落ち着け、落ち着け。
奴よりも早くあそこに辿りつければ、“アレ”がある。
そうすれば――！)
追うものと追われるもの。
その関係は変わらない。
着実に彼女は彼を追い詰めていた。
だが、窮鼠(きゅうそ)猫を噛むともいう。
まだ、結末は分からない。
――例え目の前に迫っていたとしても、
最後に立っているのはどちらか分からない。
――果たして、最後に立っているのは彼女か、彼か――

＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊

歩みを続ける彼女の前に、
新たな敵が現れる。
それは大きなライオン。
明らかに強敵だが、
いまだ、
彼女の焦りは抜けない。
――ただでさえ劣っているものが、
もし焦りを生み、
心の均衡が破られればどうなるか。
それは心に隙をつくり、
勝てる勝負も取り落とす。
だから、
必然だったのだろう。
(――こんなはずでは――)
こんな筈ではない。
そう思っていても、
結果は変わらない。
魔物を呼び出し、
空を飛ぶ束子を使役し、
闘うも、
強力な相手の力を前に、
なす術もなく倒れた。
――焦りさえなければとも思うが、
終わった事は変わらない。
……
運が良かったことは、
特に損傷も無く、
命を拾った事だろうか……