ENo.2874 茜

「……もしもーし。どなたか居ますかー？」

夜の草原に、辺りを警戒しながら茂みをうかがう者が居た。

少し離れた森の方で大きな音がしている事に気付き、相方に報告したところ「はよう調べんか」と蹴っ飛ばされ、泣きそうな顔で見回りに出た哀れな麻月伊吹その人である。

「いませんよねー？もう帰って良いですよねー？」

森の方は今は静かなもので、このまま引き返したい気分になる。
伊吹は何時もながら面倒な事になったと思った。敵意を持った何かが近くに居るなら、それを撃退しなければならない。が、何も見つからなかったら見つからなかったで、自分が見落としているのでは？と、見えない敵との戦いに突入し要らぬ不安を抱える事になり兼ねない。

「参ったなぁ。確かにあの時は森が揺れるくらいだったのに。いっそ何か出てきてくれれば…」

　　　ガサッ

居た。しかも遠目に見ている森でなく、かなり近くに。

　ガサッ　ガササッ

来る！　伊吹は咄嗟に身構え、迎撃の態勢に入る。

そして茂みを掻き分け現れたのは。

「いィーーぶーーきィーーーーっ」

「……あぅっ」

血塗れでボロボロの茜を見た伊吹は、なよなよっと足をもつれさせその場に倒れこんでしまった。

森で巨大紳士にブチ殺されかけた後、ヒーヒー言いながら今日の目的地に向かっていたら伊吹君と鉢合わせして思わず睨みつけてしまったらこの如くだ。伊吹君を叩き起こし野営地に案内させると、そこには広がる大自然に不釣合いな白いドーム状の建造物が建っていた。

「ほぉ。ずいぶんと立派なハウスじゃねーか」

今まで獣の夜襲に脅えるテント生活だったのが一転、近未来風のステキな住居に俺の期待も否応無しに高まってゆく。

「頑張りました。私の能力とこよみさんの術の粋を集めて作り上げた簡易住宅です」

「おー、良いなこれ。魔法か？魔法で出来ているのか？」

「魔法と言うか。霊魂のかたまｒ」

　　　ガッ

俺は瞬間的に伊吹君の頭を鷲掴みにしていた。

「おいィ！今何と？」

「ひゃー！ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃッ！」

「いや、そんな謝らなくても良いんだが」

「霊的な何かって言いたかったんです！……ほ、ほら、私ってそういうの操れるから！　自然界に溢れるエレメントからゴニョゴニョ」

ビビった伊吹君が早口で何やら難しい事を喋り始めたので手を放してあげた。彼はその場にへたり込んだ。若干息が上がっているようにも見える。

「伊吹君。最近の君は、えらい体が弱ってきていないか？」

「……いえ。……そんな事、無い、ですよ」

息も絶え絶えである。俺は彼の服の襟首を掴んで引っ張り上げた。
予想していたがドえらい軽かったので、脇に抱えて運んでやることにした。

「お、降ろしてっ！放して下さ〜い！」

「ハッハッハ。遠慮するな、君を運ぶなど造作も無い」

割と本気でジタバタ暴れる伊吹君。そんなに持ち上げられるのがイヤか。その内、観念したのか体力が尽きたのか、グニャリと力なくダレてしまった。本当に体力が無いらしい。情けない。

大人しくなったところで、俺は話を白い霊的な建造物へと戻した。

「ま、要するによ。この建物は大自然の霊的な何かで出来てるわけで、死者の怨念とかじゃないんだろ？　全然無害なんだよな？」

「はい、そういう事です」

「なら良いんだ」

死霊か何かで出来ていようものなら即撤退に入るところだった。いや、在りがちじゃあないか。悪霊が犠牲者の魂で作った呪いの館なんて。

「……少しくらいは悪いのも混じってるかも」

　　　グッ　ミシ…ミシミシ…

「ひゃー！潰れるっ！折れるッ！ごめんなさいぃィッ！」

「ただいまー。邪魔するぜー」

伊吹ハウスの入り口をくぐると、プラスチックを思わせる安そうな、まぁシンプルな椅子に腰掛けたセーラー服姿のちっこいのが居た。

「ようやく辿り着いたか。ずいぶんと時間が掛かったな」

俺はそのちっこいのを見た瞬間、一言漏らした。

「あんたどちら様」

割と真顔で突っ込んでしまった。俺の知っている何とかとは違う、という言葉が有るがまさにこう言う事なんだろうか？　そこに居たのは、今日の昼に分かれた『こよみ』にそっくりな誰かさんだった。

「何じゃ。もう少しノッてくれるかと思ったんだがの」

「……ちょいと余りにも意表を付かれ過ぎてね。この霊的な何かで出来たハウスの見せた幻かと、ね」

スコン、と伊吹君の頭を小突いてやる。ぐぅ、と呻く伊吹君。さて、どちらが納得のいく説明をしてくれるのかな？

「まぁひとまずだ。自己紹介は居るか？」

「んー、つまり。アンタは比良坂家の御先祖の魂で、こよみ…　あぁ、アンタもこよみか。まぁ、その肉体に憑依して現代に蘇った、って訳だな」

「まぁの。そのような認識で良かろうぞ」

あー。何かこう…　突然中の人が変わると、すげー違和感を感じるな。ともかくだ。こよみの肉体は元々、この御先祖様の入れ物として作られたようで。今まで接していたこよみの人格は…。

「そうか。大体把握できたよ。じゃ、これからも宜しく頼むぜ」

「ほう…　思ったよりも割り切っておるの。もう少しショックを受けているものかと思ったが」

「ずいぶんストレートに言ってくれるな。アンタいい性格してるな」

どうにもこの御先祖様は食えないヤツらしい。

「さて。どうもまだ本調子でないのでな。二階が女子の寝室じゃ。先に上がらせてもらおうかの」

「あぁ。俺も体がバキバキだからすぐに寝に行くわ」

こよみが二階に上がって行った後、俺は伊吹君に向き直った。

「伊吹君よぉ」

「はいはい伊吹君です。何でしょう？」

「俺は他人の都合に踏み込む気は無いからよ。一言断ってくれれば二人の事情くらいは都合付けてやるからさ」

俺の率直な気持ちだった。伊吹君の表情がどこかぎこちない。『今のこよみ』の為にどうにか時間を作りたかったんだろう。色々と裏工作してまで、俺達と一度距離を置きたかったのがあの時の怪しい挙動から見て取れる。…お陰で散々な目に有ったんだがな。

「………すいません」

彼は申し訳無さそうな顔をする。お互いそれ以上言葉が見つからず、妙な静けさが何とも耳に痛い。

窓から夜空を見た。ただ遠くを眺めたい…いわゆる黄昏たい、ってやつかな。これでも俺は訳有って長く生きている方だ。こういう気持ちは山ほど感じた事がある。今日は星空がどうにも寂しく見えた。