ENo.2332 セロ＝テスタメント

　結局、こんな所まで来てしまった。
　街の規模には不釣り合いなほどの、近年にはめずらしい巨大建築物を見上げて、マリーエルは溜息を漏らした。
　確かこの大聖堂は200年ほど前の南国戦争で、進軍してくる敵を押さえる為に使われたはずだ。
　旅に出る前に、短時間で叩き込んだ知識ゆえに、戦争の細かい背景は覚えてはいないが、よく見れば矢を射る為の小窓や、熱湯を垂らすための返し穴等、装飾に隠れて戦を念頭に置いた改修の跡が見て取れる。
　この辺りは幾多の川が折り重なる水都が都市構造の特徴となっているのだが、地盤の安定している場所は珍しく、地震災害には弱いと言われている。さぞかし名のある建築家が作ったのだろう、調べた本には今まで災害に見舞われ改修したという史実は乗っていなかった。　　巨大な吹き抜けのフロアを持つ礼拝堂に、数本の塔が隣接する形で作られているこの聖堂が建築されたのは、600年前の宗教戦争の折。名をマルサス大聖堂と言う。
　祭事用の装飾物を納めたり、事務、居住をする区画が塔であり、この塔は何度かの増改築で拡大されてきた。現在展示会が開かれているのはこの区画に当たり、普段から戦争の戦利品や、当時の遺物などが納められている。
　記者の卵を自称するヨシュア等は、しきりにメモを取って歴史の深さに感銘を受けていたようだが、なるほど、確かに見るだけの価値はあった。
　歴史の重みを感じられる刀傷等も残っており、今の平和が平坦な道のりではなかったことを伺わせる。
　しかしながら、裏手に回れば正面の厳かな感じとは異なり、普通に洗濯物が干してあったり、神職を司る者がホウキで地面を履いていたりと、信仰の中心であると同時に生活の場ともなっている。その前を修道女だろうか、小さな子供が走って横切るのをたしなめる声に、どこか微笑ましさを感じて小さく笑み漏れた。
　もっとも、随所に警備兵らしき姿がちらほら見え隠れするのは、なるほど、過去の歴史や私設の重要性を考えれば当然のことだろう。　
　その歴史の奥深さを何より体現している礼拝堂を前に、今からしようとしていることを考えると、どうしても暗い気持ちが頭をもたげる。
　なんと言っても、神聖なる大聖堂に盗みに入ろうとしているのだから。
　警備の合間を縫ってこそこそと裏門から入り、人気のない窓へと進む。
　周囲を伺い小さく呪文を唱えると、パチンと音がした。
　鍵が開いたのだ。
　ゆっくりと窓を開き、いざ侵入しようというところで、突然、何ものかに肩を叩かれた。
「ひっ」
　血の気が引いた。
　見つかった以上拷問でも待っているのだろうかと、怯えて振り返る。
　と、ほっぺたが何かにつっかえた。
「やーいひっかかった」
　ぷにっと指で突っつかれたことをようやく理解し、目に写った人物に思考停止しする。
「よく鍵開けの魔法なんて使えたわね。何処で覚えたのかしら、お嬢様だと思ったら」
　目の前の人物に頬がひきつり、からかわれたことに気付いて憮然とする。そして、自分を追ってきたのだと思い至ってうつむいた。
「なかなか表情豊かね、あなた。いいこと、抜け駆けはなしよ」
　急に真剣になった視線が痛い。
「ク、クレアさん……」
「お説教はまた今度でいいわ。警備に気付かれないうちに済ませるわよ。で、何処にありそうなの？」
「２階です。多分、ですけど。清浄の息吹と呼ばれる玉壁があったあたりじゃないかと……」
「おっけー。じゃぁこっそり忍び込みましょうか。とりあえず、あそこのあれ、発砲型の浮遊魔法ね。それに、あの場所、気づきにくいけどアナログの警報機があるわよ」
「……よく分かりますね」
「魔力認知の魔法使ってるのよ。音響探知のアレンジも加えてるわ。残念ながら私専用」
「さすがプロ……」
「ナビゲートするわ。付いてきて」
　さっと窓から身を踊り入れると、手でクレアと、少し後ろで警戒するエリナへと合図する。
「エリナさんも来てたんですか……」
「巻き込まれ体質みたいでして」
「……なんとなく分かります」
　警報機をかいくぐり、警備兵の隙をついて2階へと進んだ一同は清浄の息吹と呼ばれる玉壁の前まで足を進める。
「発砲機とかは無いみたいね。鍵がかかってるだけ。まぁ割ったらさすがに警備飛んでくるでしょうけど、これが目当てのお宝かしら？
　でもこれって、けっこうな値打ち物よ」
「待って下さい」
　懐中時計を取り出して片手で持つと、さっとクレアがハンカチを取り出しその周囲を覆う。
　光があまり漏れないようにとの配慮をアイコンタクトで伝えてくるのに頷き、力を込めた。
　ふっと緑の燐光が立ち上がり、方角を指し示す。
「あれ？違う？」
　玉壁の脇、装飾用に据え付けられた石像あたりを光印が指し示す。
　違和感を感じて首をかしげたその時、入り口側で見張っていたエリナが小走りで近づいてきた。
「誰か来ますっ」
「隠れてっ」
　クレアに手を引かれるままに、大型展示物の物陰に身を潜める。戦艦の模型を箱に入れた物だ。
　遅れたエリナが咄嗟に騎士鎧の物陰に隠れる。
「何か光ったような気がしたが……」
　警備兵が呟いてコツコツと近づいてくる。
　展示物毎に立ち止まり、注意深く観察する。
　すぐ背後で聞こえる靴音の気配に身を細め、かすかに届く息使いに生唾を飲む。
　一歩一歩近づき、付近で警備兵の足が止まった。
　心臓が激しく脈打つのを必死で押さえ、呼吸を止めて気配を消す。
「気のせいか？」
　警備兵は言うと、そのまま反対側の通路へとコツコツ歩いて行った。
　全身を脱力と安堵が駆け巡り、ほっと息をついたのも束の間。
　所定の位置だったのか、警備兵は反対側の扉前で止まって定点警戒をはじめた。
「どうしますか？」
　声を押し殺してクレアの耳元で呟くと、玉壁のあったショーケースを軽く指差し、口元を寄せてくる。
「印の向きを思い出しなさい」
　隠れながら、微かに頭を横から出してもう一度玉壁のあたりを見る。
　光印は玉壁をそれて右側を指していた。
　その方面に展示物は無い。一体の像があり、その奥には壁があるだけだ。
「あれよ」
「でも……石像ですけど」
「胸の位置を良く見てご覧なさい」
　そこには石像に似つかわしくない不思議な文様と、後から塗り固めたような跡があった。
「何か、付いてます」
「あれよ。だけど、まだ近づくのは早いわ。今はじっとタイミングを待つのよ。なんとか時間を作るわ」
　頷いて応える。それからどれだけの時間そうしていたのか、緊張で息が乱れてくる。胸の中で、不味いと呟き、必死に抑え込もうと目をつむり、深く呼吸をする。クレアがそっと手を重ねてくる。人肌の温もりにを押さえ込んで、マリーエルはひたすらに息を潜めた。
　やがて、警備兵が再び先へと歩き出したのを確認すると、軽く息を吐く二人。
　すかさず立ち上がり、すっと石像に近づく。
「こうよっ」
　クレアは勢いよく石像の胸へと、取り出したナイフを突き立てた。
「ちょっとっ」
　ボロボロと落ちる破片を器用に掴みあげるクレア。館内に響くような音はしなかった。
　ほっと胸をなで下ろすマリーエル。
「ナイフには音消しの魔法使ってるから大丈夫」
「破片は鳴るんでしょう？」
「そんなヘマはしないわよ」
「これ、中に埋もれてたんですか？」
　いつのまにか戻ってきたエリナが脇から覗き込む。
　黒くくすんだ丸い石がクレアの手に乗っていた。
　石の周囲には文様が浮かび上がり、指輪サイズの輪が食い込むように填っている。
「おかしいわね、これは封印魔法が施されてるのかしら？」
「でもどうしてあそこに有るって」
「この部屋、展示解放する前は神事につかう宝物庫だったんだって。改装して、解放した際に使えそうなものは周りの装飾に使ったらしいのよ」
「どこでそんなことを……」
「聞き込み調査の結果よ」
「みんな親切な方でしたよ」
「神官何人かにアプローチしてね。まぁ大したことでも無いでしょ。世間話よ」
　言ってクレアがウインクする。
　察するにエリナを使って話しを聞き出した、といった感じだろうか。この人は悪人だと再確認するマリーエル。
「多分この石像は近くの神殿に奉納されていた守護像よ。
　大聖堂が作られてこちらに移設する時に、周囲を囲む守護像は倉庫に入れたままになっていた」
「それが展示会場を作る際に装飾として利用された？」
「守護像にはそんなに価値が無いってのが今の風潮だからね。
　でもね、昔は祭られる大切な神仏の所持品を、周囲の守護像に埋め込み、神威を高めるって習慣があったの」
「じゃぁこれは……」
「埋め込む時に使われる文様に良く似てるわ。
　造形も600年前の物だし。そう、これが作られた当時はまだ埋め込みの習慣はあったのよ」
　ごくりと喉を鳴らす。
　歴史との邂逅に胸が高鳴った。
　クレアが手の中で転がしていた黒い石をつまんで、あるべき場所、マリーエルの手の上へとゆっくりと載せる。
　それは突然だった。
　黒い石が手の平に置かれた瞬間、視界一杯に見たこともない景色が広がった。
　石造りの暗い部屋の中、幾多の白骨化した骸が横たわっていた。霧がかかったように禍々しい妖気が立ち籠め、骸の数を誇るがごとく、床に一本の剣が突き立っていた。部屋を彩るのは月光か、差し込んだ光の先に窓越しに広大な湖が広がっていた。
　あまりの情報量に頭の中がかき回されるように圧迫され、電流が流れたような痙攣が全身を襲う。
　一瞬の光景が頭の中を埋め尽くしたその次の瞬間、何が起きたか分からぬままに、急に足の力が抜けて視線が揺れた。
　手から黒い石が転げ落ちる。
　そして意識を失ったマリーエルが倒れ込んだ。